トンボの生態学
6.変態と羽化 目次

トンボの生物学 6.変態と羽化
羽化に先立つ幼虫の変化=変態
 ご存知のように,トンボの幼虫は脱皮しながら成長していきます.羽化は,その脱皮成長の最終回というべきイベントです.そこで羽化について見ていく前に,脱皮について見ておくことにしましょう.

 脱皮すると脱皮殻が残されます.これはとりもなおさず,古い表皮が脱ぎ捨てられた証拠です.昆虫の皮膚の構造は「5.幼虫の生活」のページで紹介しましたが,その構造をもとに脱皮の過程について紹介しておきましょう (図1).

脱皮過程
図1.脱皮過程の模式図:(1) 幼虫の皮膚の構造.(2) 真皮と内原表皮の間に隙間が生じる.この状態をアポリシス apolysis という.羽化の場合,この状態にある内部の成虫をファレート成虫という.(3) そこに真皮細胞からまだ活性化されていない (はたらきを持っていない) 脱皮液が分泌される.(4) 新しい外表皮,および未分化の原表皮 (外原表皮と内原表皮にまだ分化していない) が真皮によって形成され,そのころに脱皮液内の酵素が活性化される.そして活性化された酵素の働きによって古い内原表皮が消化されていく.(5) 古い内原表皮が消化されると脱皮液は吸収され,脱皮膜,古い外原表皮,古い外表皮が外側に残る.(6) そして脱皮が起きて新しい表皮が完成されていく.(桜井 in 小原編 (1995) を参照して描画)
 幼虫から幼虫への脱皮は水中で起きます.幼虫は脱皮に際して水を飲み腹圧・胸圧を上げて,胸部背面正中線上にある脱皮線といううすい膜状部を破って,体が外に出てきます.羽化の場合は水ではなく空気を吸い込み,腹圧・胸圧を高めて脱皮線で殻を破って体が出てきます.

 幼虫から幼虫への脱皮と幼虫から成虫への脱皮でもっとも異なるのは,脱皮が始まる前に,幼虫の体内で成虫の体が作られているという点です.この現象を変態 metamorphosis といい,変態を起こす幼虫を終齢幼虫と呼びます.完全変態の昆虫であれば蛹の中で起きている変化が,トンボでは終齢幼虫の体内で起きるということになります.外見から見て顕著に分かることは,翅芽が膨らんできて中に折り畳まれた翅が形成されていることでしょう.それ以外にも表皮が透き通ってきて,成虫の複眼の形成など,終齢幼虫の体の中に起きている変化が外から見て分かる場合が結構あります (図2,欄外図3,図4).

 松木ら (1994) は,多くのトンボの羽化殻を観察し,脱皮時にどのように開裂しているかを調べています.彼らは脱皮線のことを裂開線と呼んでいます.そして数多くのトンボ分類群の裂開線形状を調べています.それによると,胸部背面の形状はほぼ同じですが,頭部,特に複眼を横断するかどうかという点で,分類群によって微妙な違いがあります.そしてこの脱皮線 (裂開線) はファレート状態にある幼虫をよく観察すると,うすい白線として認識することができます (図4).
ダビドサナエの頭胸部の変態のようすと羽化殻,および脱皮開始点付近に見られる構造物
図4.ダビドサナエの頭胸部の変態のようすと羽化殻,および脱皮開始点付近に見られる構造物 (緑矢印).
 (1) まだ顕著な変態の様子が見られない幼虫.2009.1.3. (2) 翅芽が膨らみかなり変態が進行した幼虫.脱皮線が白いスジになって認識できる.2008.4.12. (3) 羽化のために水から出て定位した幼虫,すでに裂開が始まっているが,幼虫はこのままでしばらくとどまっていた.緑矢印の構造物は,その位置と色から(2)で見られた構造物の内側にあったものだろうと推定している.2011.4.29. (4) 羽化殻.顕微鏡でよく観察すると,この構造物は正中線に沿って二等分されている (楕円内).裂開腺は松木 (1994) の術語を引用.
 図4(2)の写真から類推すると,この緑矢印で示した構造物は脱皮線上に存在し,そこがまず縦裂して脱皮が始まるように見えます.ファレート成虫の表皮は非常に柔らかいので,空気を吸い込んで内圧を高め幼虫の表皮を破るときの物理的圧力によって成虫体を傷めてしまう可能性がないとはいえません.図4(3)に残された突起物はちょうどこの構造物の真下の位置にあり,最初の裂開を手助けするものなのかも知れません.ちなみに,この2分後,本格的に成虫が出始めたときには,この突起物は脱落しています (欄外図5).

 図4(3)の突起物が写真に撮られていることは非常に珍しいことです.たくさんの羽化の写真を調べてみましたが,これが写っているのはこの写真だけでした.図4(3)で,開裂しているところから見える成虫の表皮は,この2分後の欄外図5と比べて色彩コントラストがまだはっきりとしていません.これはおそらくまだ脱皮膜 (図1(5)) が破られずに残っているせいだろうと考えています.だからこの突起物も脱落せずに残っていると考えることができます.一方で図4(2)の構造物と相同な構造物は,多くのトンボに確認できます (図6).

脱皮線に見られるマーク
図6.ファレート状態にある,いろいろなトンボ幼虫の脱皮線に見られる構造物 (緑矢印).左:ムスジイトトンボ,中:ルリボシヤンマ,右:エゾトンボ.均翅亜目のムスジイトトンボではこの構造物がやや判別がしにくい.均翅亜目においてはこの構造物が不明瞭ものが多い.
 そんな中で,もし機会があればぜひ観察していただきたいのが,下唇の収縮です.トンボ幼虫の下唇は折りたたみ式で長く伸びる独特の形態をしています.しかし成虫の下唇は平たい小さなものです.羽化が近づき変態が終盤にさしかかったとき,この下唇の中身がどんどん縮んでいくのです (図7).図2ぐらいの幼虫になりますと下唇前基節の中身は全くなくなっており,羽化殻の下唇前基節と同じ,中が空洞状態になります.
下唇の変態過程
図7.Anax imperator の下唇の内部が縮んで成虫の下唇に変化していく変態過程.pm.下唇前基節.(Corbet, 1957).

トンボの生物学 6.変態と羽化
変態・羽化のコントロール
 さて脱皮や変態がホルモンでコントロールされていることは,高等学校の生物教科書に載るほどよく知られています.ホルモンは体内では微量物質であるため,ある昆虫のホルモンを化学的に分析するには,大量の材料 (昆虫体) が必要です.そんな関係から,養蚕業に利用されていたカイコガの幼虫を使ってホルモンが集められ,その化学構造やはたらきが解明されていった歴史があります.ですから,トンボからホルモンを直接抽出なんてことはまず無理でしょう.そこで最近のアプローチは,ホルモン合成の遺伝子 (群) を特定して,それらを使って研究を進める方向が主流になっています.

 教科書的には,脱皮や変態を直接コントロールするホルモンは,前胸腺から分泌される脱皮ホルモン (MH;Molting Hormone) であるエクジソンと,アラタ体から分泌される幼若ホルモン (JH:Juvenile Hormone) です.前者は脱皮や変態を促進し,後者は変態を妨げ現状維持をしようとします.これらは,必要なタイミングで必要な量放出される必要がありますので,脳が受け取っている外部・内部情報をもとにして間接的にコントロールされています.これによって日長を感じて脱皮や変態を抑制するといったことが可能になります.

MH,JHの作用
図9.完全変態昆虫における脱皮ホルモン (MH) と幼若ホルモン (JH) の作用の教科書的な説明.JH が十分分泌されているときには,MH の作用で幼虫から幼虫への脱皮が起きる.JH の濃度が低い状態では,MH の作用で幼虫から蛹への脱皮が起きる.JH の分泌がないときには,MH の作用で変態が起き,成虫へと脱皮する.
 しかし,トンボに関してはこの方面の研究は過去にほとんど行われておらず,カイコなどと似たような機序で脱皮や変態がコントロールされている,と考えざるを得ませんでした.わずかに Schaller (1988) の Aeshna cyanea を使った研究で,ホルモンの機序について述べられている程度に過ぎません.

 これによると,脱皮ホルモン (MH) を分泌する細胞は,前胸腺ではなく腹面腺と呼ばれる部位とされています.またアラタ体からは幼若ホルモン (JH) が分泌されています.腹面腺を除去した F-1 齢幼虫は,600日間脱皮せずその齢にとどまりました.つまり脱皮ホルモン (MH) を欠如させると脱皮が起きなかったということになります.またアラタ体を移植した終齢幼虫は,変態せずに過剰脱皮を行い,より大きくなった過剰終齢幼虫になりました.つまり通常幼若ホルモン (JH) が消失し変態が起きる生理状態にある終齢幼虫にアラタ体を移植すると,それが分泌する幼若ホルモン (JH) によって変態が妨げられたため,過剰終齢幼虫になったということになります*1

 ところが2020年代になって,トンボのホルモンコントロールに関して,日本の研究者によっていくつかの進展がなされました.まだ完全にトンボによる脱皮ホルモンや幼若ホルモンのコントロールが解明されたわけではありませんが,今後の進展を期待して,現時点で分かってきたことを紹介しておきましょう.これらの研究には,遺伝子操作の技法の一つ,RNA干渉 (RNAi) という方法が使われています.ここで簡単に教科書的なお話をしましょう.

 遺伝子 (DNA) は核内で転写されて,メッセンジャーRNA (mRNA) を合成します.mRNAは核から細胞質に移動して翻訳され,タンパク質が合成されます.合成されたタンパク質は,酵素としてはたらいたり,体の構造物をつくったりして,生物の活動や成長そのものを動かします.これを遺伝子の発現と呼びます.脱皮にしても変態にしても,実際にはたらいているのはこのタンパク質です.

 詳細はここでは述べませんが,RNA干渉という技術は,このmRNAをはたらかないようにさせる技術です.しかも特定のmRNAだけをはたらかなくさせます.mRNAがはたらかなければ,働き手であるタンパク質が合成されませんから,その遺伝子が本来やろうとしていた仕事ができないことになります.つまり何らかの異常が起きるわけです.そこでこの異常を逆にたどれば,該当遺伝子がどのようなはたらきを有する遺伝子かが分かることになります.

RNA干渉
図10.RNA干渉によって遺伝子の働きを特定する原理.RNA干渉とは,特定のRNA (この図ではmRNA(1)) のはたらきを阻害する作用である.阻害する物質 (図ではmRNAに結合した赤い四角) も,実はRNAの断片である.RNA干渉によって特定のはたらきが消失すると,その遺伝子がそのはたらきをしていたことになる.図では,遺伝子(1)は仕事(1)を行う遺伝子ということになる.
 もう一つ,調節遺伝子について解説します.例えば,脱皮といった現象を見てみると,図1に書いてあるだけでも,不活性脱皮液の合成,古い内原表皮の消化分解,新しい原表皮の合成,等々,さまざまな仕事の集まりによってそれは達成されます.それぞれは異なる遺伝子によってなされますので,一つの現象 (ここではプロジェクトという語で表現しておきます) には多くの遺伝子が関与し,仕事をしていることになります (一つの遺伝子は原則として一つの仕事しかできない).そこで一つのプロジェクトを行う遺伝子の集団,いわばプロジェクトチームを動かす必要が生じます.このプロジェクトチームを発動させる遺伝子が調節遺伝子です.

 つまり調節遺伝子一つを発現させれば,プロジェクトチーム全体の遺伝子集団が発現することになるのです.そしてプロジェクトを実行します.会社組織に例えれば,調節遺伝子は「部長 (あるいは課長でもよい)」のようなもので,部長が命令をすれば,その部はそのプロジェクトを実行するといったことと似ています.生物が生きていくためにはさまざまのプロジェクトが実行されなければなりません.そしてそれを一個体で統括するのが社長ということになります.遺伝子の発現のしくみも似たようなことになっているわけですね.

 ホルモンというのは,多くの場合,この調節遺伝子を発現させる物質であると考えて差し支えありません.つまり.脱皮ホルモンは,脱皮というプロジェクトを実行する調節遺伝子を発現させるというはたらきを持っているわけです.するとその配下にある遺伝子 (構造遺伝子) が次々と発現して,脱皮プロジェクトを進めていきます (図11).

 さらにもうちょっとややこしいのは,調節遺伝子の中には,あるプロジェクトを抑制させるはたらきを持つものがいます.この調節遺伝子が発現すると,その配下にある構造遺伝子はつぎつぎと発現を中止していくことになり,結果として仕事が止まります.幼若ホルモンは変態というプロジェクトを抑制する調節遺伝子を発現させる物質です.

ホルモンによる遺伝子発現
図11.ホルモンによる遺伝子発現の原理.図9をさらに細かく描いたものと考えてよい.実際はもっと複雑な部分はあるが,このページを理解するには,この程度の考え方でよいと思う.
 ここでおさえておきたいのは,たった一つの調節遺伝子を発現させるだけで,関連する数多くの遺伝子が,調和のとれた形で発現するということです.

 トンボのホルモンコントロールについて,このような方法を駆使して現在分かってきたことをまとめていきましょう.一つは脱皮ホルモンとしてはたらいている物質が特定されたことです.よく言われているエクジソンという脱皮ホルモンは,エクジステロイドという物質のグループの一つです.トンボにおいて,脱皮を促す活性をもっているのは,エクジソンの誘導体である,20-ヒドロキシエクジソン (20E) です (Okude et al., 2025).これは,エクジソンからつくられる物質で,1ヶ所だけ水素原子がヒドロキシ基 (水酸基) に置き換わった物質です (欄外図12).

 もう一つは,トンボにおいて変態に関わる調節遺伝子が特定されたことです (Okude et al., 2022).それらは Kr-h1, broad, E93 と名付けられています.幼若ホルモン JH はこのうち Kr-h1 遺伝子を発現します.broad 遺伝子は Kr-h1 遺伝子によって発現させられます.つまり調節遺伝子が別の調節遺伝子を発現させています.脱皮ホルモン (20E) は E93 遺伝子を発現させます.

 そして, Kr-h1 遺伝子は,それが発現させる broad 遺伝子とともに,変態を抑制し幼虫のままでいるようなプロジェクトを実行しようとします.また Kr-h1 遺伝子は,E93 遺伝子の発現を抑制するはたらきもあります.一方 E93 遺伝子は,broad 遺伝子の発現を抑制し,変態を促進するようなプロジェクトを実行しようとします.これら遺伝子の発現量は,実に目的にかなったタイミングで,増減します (図13).

変態に関わる遺伝子発現
図13.変態に関わる3つの遺伝子発現量の時間的推移を示す概念図.遺伝子の発現量は,調べようとしている組織内の,各遺伝子に対するmRNAの量で測っているが,図の発現量は実際と異なる.あくまで増減のようすを視覚的に示したものである.なお,これら3つの遺伝子は「変態」に関わっている遺伝子であって,「脱皮」に関するものではないことには注意をしておく必要がある.また実験はアオモンイトトンボの腹部の一部を使って行われたものであり,全身的にどうなっていくかについてはさらなる研究が必要であろう.奥出・二橋 (2023) を参考に筆者が描画.
 これらの報告は,概ね他の昆虫で調べられた結果と同じです.ただ調べられた多くの昆虫は完全変態をするもので,不完全変態をする古い昆虫であるトンボがどのようなしくみになっているか,つまり進化的側面を明らかにするがこれらの研究のねらいです.今後の研究の発展を期待したいと思います.


トンボの生物学 6.変態と羽化
羽化の基本形 −直立型と倒垂型−

T.羽化の始まりと終わり

 羽化は幼虫から成虫への最終脱皮です.上で述べたように,脱皮の過程は幼虫表皮の,真皮と内原表皮の間に隙間が生じたところから始まります.かといって,この時点が羽化の始まりだと考えるのには,無理があるように思います.羽化=脱皮とするなら,それでも良いかもしれませんが,脱皮だけではなく羽化という語がある以上,この両者が同一だとするには違和感があります.変態から始まり,幼虫から成虫が出てきて,空へ飛び立つという現象は連続的なものですから,羽化の始まりと終わりをどのように決めるかは,結構難しい問題があります.ちなみに生物学辞典 (第4版) には「羽化」という項目自体がありません.

 このサイトでは,Corbet (1999) の認めている4つのステージの始めと終わりを,羽化の始まりと終わりとしたいと考えています.4つのステージ (図14) とは次のようなものです.
  1. 水から完全に出て,幼虫の表皮 (クチクラ) が裂開していない状態.
  2. 胸部クチクラが裂開し成虫が出てくるが,まだ腹部が完全に抜けていない状態.
  3. 腹部が引き抜かれ,羽化殻と成虫が完全に分離した状態.
  4. 翅と腹部が完全に伸びきっているが,まだ飛んでいない状態.
羽化の4つのステージ
図14.羽化の4つのステージ.リスアカネ.2011.6.19. 自宅羽化.
 これは,幼虫が水中にいる間は,羽化することが可能な生理状態であっても,羽化の始まりとはしないということですし,飛べる状態であっても飛び立たない限り羽化は終わっていないということになります.羽化可能な生理状態になった幼虫は,温度,天候,風,湿度などの物理的条件や捕食者の存在などの生物的条件を適切と判断したときに水から出ていくわけですし,処女飛行に飛び立つのも同様の諸条件を適切と判断したときです.つまり,羽化の始まりと終わりはトンボが決めているという考え方です.

 我々観察者がこれらのトンボの「判断」を認識することができるのは,「トンボの行動が生じたとき」しかありませんので,羽化の始まりと終わりに関しては,「トンボの行動の発現」によって判断するしかないと考えます.すなわち,羽化の始まりは幼虫の全身が水から出たときであり,羽化の終わりは処女飛行に飛び立ったときというのが,客観的な判断基準として妥当だと考えます.

 ただこれでも,ムカシトンボのように羽化の1ヶ月も前に水から出るトンボもいますので,場合によって若干のただし書きは必要かもしれません.またステージ3と4の境界が,特に均翅亜目の場合,あまりはっきりとしません.不均翅亜目では,翅を開いたときを境界にするのが,判断に揺らぎがなくていいと考えています.

 少し付け加えをしておきましょう.ステージ1では,いったん水から出た幼虫が羽化を止めて再び水に戻ることがあります (分割羽化;後述).ステージ3,4では,羽化殻と変態中の成虫は分離していますので,危険を感じたときなどには歩いて移動することがあります.したがって,この2つのステージでは,羽化成虫が羽化殻につかまっているかどうかは問題になりませんし,時には全く離れてしまうことさえあります (図15).

羽化殻から離れて羽化するアキアカネ (ステージ 4)
図15.羽化殻から少し離れて羽化するアキアカネ (ステージ 4)

U.2つの羽化の基本型とその定義

 枝(1959)は,ムカシヤンマの羽化を観察したときに,羽化型について定義しています.それによると,「羽化において脚を胸部側面につけぴたりと止まる時期を休止期といい,その休止期の姿勢によって,直立型 upright type倒垂型 hanging type に大別することができる」と述べています (図16).さらに,枝 (1963) は,ムカシトンボの羽化を観察したとき,各種トンボの羽化をこれら二つの型に分け,ほとんどの場合,科のまとまりでどちらかに属すると述べています.この見解は,最新かつ世界中の研究を網羅したトンボの生態学書である「トンボの博物学 (Corbet, 1999)」でもそのまま引用されており,ほぼ世界的に定着した考え方であるといえます.

 枝 (1963) によると,直立型の羽化をするトンボは,イトトンボ科,モノサシトンボ科,アオイトトンボ科,日本のムカシヤンマ科,サナエトンボ科の各種であり,倒垂型の羽化をするのは,カワトンボ科,外国産のムカシヤンマ科数種,ヤンマ科,オニヤンマ科,トンボ科の各種とされています.さらに井上・谷(1999)では,その後の研究成果をふまえ,トゲオトンボ科及びミナミカワトンボ科を直立型に,エゾトンボ科を倒垂型に,それぞれを付け加えています.

 図16に典型的な倒垂型の羽化と直立型の羽化を示しました.倒垂型の羽化は,休止期において腹部と胸部・頭部のなす角度がほぼ180°,つまりまっすぐに伸びきっているのに対し,直立型ではその角度がほぼ90°になって,前方に向いています.私は,系統進化を考える際には,両羽化の定義において,この角度が重要であると考えています.枝 (1959) にはそこまでの記述はありません.

羽化の定義は休止期の姿勢によってなされている
図16.羽化の定義は休止期の姿勢によってなされている.左:倒垂型の羽化 (トラフトンボ) と,右:直立型の羽化 (フタスジサナエ)
 さて,羽化の過程については,文章で書くより,写真で見ていただく方が確実です.以下にその過程を紹介しましょう.


V.倒垂型の羽化過程

 倒垂型の羽化例として,2012年7月3−4日に自宅で観察したコシボソヤンマの羽化を紹介しましょう.コシボソヤンマは割合に神経質で,自宅羽化に失敗することが多いトンボですが,この日はうまくいきました.羽化には湿度が重要だと言われているので,体が乾燥しすぎないように途中で霧吹きで水をかけてサポートしています.

 夕刻,羽化の支持棒の水面から 5cm くらいの高さのところに止まっていました.しばらくして 21:00 少し前,支持棒を上り,その枝先に定位しました.そのまましばらくじっとしていましたが,真夜中の 0:50 頃に羽化を始めました.それから開翅まで,3時間45分ほどの羽化でした.直立型に比べて時間がかかっています.写真はタイムラプス撮影です.

コシボソヤンマの羽化過程
図17.枝に登り定位し (20:50),しばらくほとんど動かない時間が過ぎ,その後腹部を左右に大きく振った (0:39).これは腹部の古い原表皮と新しい原表皮の接着を剥がす動きだと考えられる.この腹部を振る動きは多くの羽化幼虫で観察されている.
コシボソヤンマの羽化過程
図18.脱皮直前には枝に脚で密着するようにしっかりとしがみつき,ほどなく背中が割れた (ここからがステージ2).
コシボソヤンマの羽化過程
図19.非常にゆっくりと体を抜いていき,成虫の体は重力にまかせてだらんとしている.
コシボソヤンマの羽化過程
図20.脚を脇に固定し,休止期を迎えた.休止期は15分ほど続き,その後体を起こして羽化殻をつかみ,腹部を抜いた.
コシボソヤンマの羽化過程
図21.左は腹部を抜いた直後で (ここからがステージ3),その後翅が先に伸長する.翅は全体が一様に伸びていく.
コシボソヤンマの羽化過程
図22.翅が伸長を終えると,次に腹部が伸長する.
コシボソヤンマの羽化過程
図23.肛門水の排出はあったが,角度的に見えなかった.そして開翅した (ステージ4).
 倒垂型のトンボは,深夜に羽化することが多いように感じます.時間がかかるために捕食者から避けるためかも知れません.処女飛行に飛び立ったのはこの日中で,私は仕事のために目撃はできませんでした.


W.直立型の羽化過程

 次は直立型の羽化です.2023年4月11日に,オグマサナエの羽化を野外で観察したときのものです.

 成虫の体が出始めて開翅までだいたい1時間ほどで完了しました.ただ,処女飛行に飛び立つまで25分ほどステージ4の状態で止まっていました.これはおそらく天候や気温の関係で長くなったと思われます.晴天の日に羽化するフタスジサナエなどを見ていると,開翅したらすぐに飛び立つことも稀ではありません.

オグマサナエの羽化過程
図24.水から出て羽化する場所を探して歩行する幼虫.そして定位し,腹部を上に反らす動きをする.これは腹部の古い原表皮と新しい原表皮の接着を剥がす動きだと考えられる.
オグマサナエの羽化過程
図25.腹部を地面につけ,おそらく空気を吸い込んでいるため腹部が少し膨らんでいる (ここまでがステージ1).その後,胸部背面正中線に沿って殻が割れ,成虫が出てくる.
オグマサナエの羽化過程
図26.頭部が抜け,まっすぐ上に立ち上がるようにして,上半身を脱出させる.
オグマサナエの羽化過程
図27.脚の動きを確かめるようなしぐさをした後 (10:11),脇に密着させて休止期に入る (10:14).
オグマサナエの羽化過程
図28.約5分間の休止期の後,前方に脚をつき,腹部を抜く (ここまでがステージ2).
オグマサナエの羽化過程
図29.まずは翅が伸長する.基部から伸びていき先端部は縮んだままである.
オグマサナエの羽化過程
図30.翅が伸びきると,次に腹部が伸び始める.そして腹部が伸びきった後,開翅した (ここまでがステージ3).
オグマサナエの羽化過程
図31.開翅した後,腹部を持ち上げるような動きを見せた.処女飛行に飛び立ったのは,開翅後25分経ってからであった.

X.カワトンボ科の羽化型に関する問題

 以上基本的な2つの羽化過程について見ていただきました.羽化の形式の分け方に関しては,私も基本的には枝 (1963) の意見にほぼ賛成で,拙著「神戸のトンボ」ではこのように解説しました.しかし私は最近,この中でカワトンボ科についてだけは,少し再考察が必要ではないかと考えています.結論から言うと,上記の休止期の角度を含めた考え方によれば,カワトンボ科は直立型になると考えています.図32左はアオハダトンボの羽化の休止期です.確かに体全体が大きく下後方に傾いています.でも頭部・胸部は腹部に対してほぼ直角を保っており,図16左のトラフトンボのようにのけぞってはいません.これは単に腹部が細く上半身を支えられないために下方に垂れ下がっているだけと考えられます.

羽化の定義とカワトンボ科の休止期
図32.左:アオハダトンボの羽化(休止期)と,右:ハグロトンボの翅の伸張完了時期.
 これに気づいてから,私は,日本産のカワトンボ科の羽化の報告がないかと探してみましたが,意外にもカワトンボ科の羽化に関して報告した文献がなかなか見あたらないのです.インターネットでは,「近畿地方のトンボ雑記」の中に,アサヒナカワトンボの羽化経過の写真があり,この休止期の写真を見るとやはり直立型の定義にあてはまります.また,杉村ら (1999) には次のように書かれています.「均翅亜目の中でもカワトンボ科はかなりはっきり背方へ反り返り,両者の中間かむしろ倒垂型に近い姿勢をとる」.これによると一応倒垂型に分類していると考えられますが,明確に倒垂型であるとは断言していません.そして山本ら(2009)では,はっきりとカワトンボ科を直立型に分類しています.

 一方カワトンボ科は翅の伸張が生じる羽化の後半では倒垂型のように羽化殻にぶら下がっています(図32右).したがってこれを見ると倒垂型のように見えますが,羽化型の定義は休止期の姿勢によってなされていますから直立型であると考えるべきでしょう.

 したがって,現時点で,私は,カワトンボ科に関しては,「直立型の羽化をするが,後半は倒垂型のようにふるまう」という見解を持っています.こうなれば,均翅亜目のほとんどすべてが直立型に属することになり,トンボの系統性においても非常にすっきりするような気がしています.


Y.翅の伸張期にかかる問題

 ところで,直立型の羽化にはもう一つ再考すべき問題があります.それは翅の伸張の仕方です.翅の伸張期については,枝(1976)には,「一般に倒垂型ではちぢんでいる翅を均等に伸ばしていくように伸びますが,直立型では翅の根本の方から徐々に伸びて先端に達します.」と書かれています.あくまで「一般に」と書かれているので例外はあることを含んでいますが,特に直立型では「一般に」とは言えないほど例外があると考えています.日本産の身近なトンボの観察結果から言いますと,イトトンボ科,モノサシトンボ科,ムカシヤンマ科,サナエトンボ科は翅の根本から徐々に伸びるタイプですが,カワトンボ科,アオイトトンボ科,トゲオトンボ科は全体が均一に伸びるタイプです.

基部から伸びるタイプの翅の伸張
図33.いずれも翅は基部から伸びている.後脚で下半身を支え重力に抗した姿勢を取っている.左:ダビドサナエ,右:クロイトトンボ.
一様に伸びるタイプの翅の伸張
図34.いずれも翅は重力の方向に一様に伸びている.後脚は体を支えているようには見えない.左:オオアオイトトンボ,右:ハグロトンボ.
 カワトンボ科,アオイトトンボ科,トゲオトンボ科の各種のトンボは,一般に羽化の定位の角度は90度あるいはそれを越える値になり,縦から仰向けに近い姿勢で止まって羽化をします.これは後半の翅の伸張が,倒垂型の羽化をするトンボと同様,重力に沿った方向に伸びていくためであろうと考えられます.

 対して,サナエトンボ科やイトトンボ科のように基部から伸長するタイプでは,重力に沿った方向に翅は伸びていません.翅の伸張期には後脚で腹部を支え持ち上げるような姿勢を取り,むしろ重力に抗した姿勢を取っています (図33).これらの羽化殻は垂直に近い位置に付いているものもありますが,水平な位置に付いているものも見られます.これは翅の伸張期に図33のような姿勢を取るために水平な位置での羽化も可能なのだと思われます.

 一方でムカシヤンマは翅が基部から伸長するタイプですが,この伸張期に体はぶら下がっていると言った方がよいような状態で,重力に抗した姿勢とは言えないように見えます.図35で見て分かるように,倒垂型のクロスジギンヤンマとほぼ同じ姿勢になっています.ただしそれでも後脚は突っぱって,体を支えているように見えます.

ムカシヤンマとクロスジギンヤンマの翅の伸張期の比較
図35.直立型のムカシヤンマ(左)と倒錘型のクロスジギンヤンマ(右)の翅の伸張がほぼ終わったところ.
ムカシヤンマの翅は基部から伸長するが,ぶら下がる姿勢を取り,倒垂型とよく似ている.
 最後になりましたが,以上の議論で一つだけ注意するべきことがあります.翅の伸張の仕方について,「基部から伸びる」あるいは「一様に伸びる」と言ってここで区別していますが,実際の羽化を観察すると,中間的に見える場合も結構あるのです.これは翅の伸張という,連続的に変化するような形質を相手にしているので致し方ないことかもしれません.ここの議論をきちんと整理するためには,翅の伸張の仕方についての明確な定義が必要なのですが,残念ながら現時点ではまだよい定義が見い出せていません.


Z.まとめ

 現時点での,私の今までの観察や文献資料を基にしたことを整理すると,以下のようになります,

 羽化には直立型と倒垂型があって,それぞれは休止期における頭部・胸部の腹部に対する角度で定義するべきで,大きくのけぞるかどうかは定義からはずすべきだと考えます.続いて,腹部を抜いた後の翅の伸張期については,倒垂型は翅が重力の方向に一様に伸びていく一つのタイプにまとめられますが,直立型には2種類あって,翅が基部から伸びていくタイプと,重力に沿った方向に一様に伸びていくタイプに分けられます.さらにそのときの姿勢は,重力に抗する姿勢を取るタイプと,重力にゆだねてぶら下がり姿勢を取るタイプがあります.このうち重力に抗する姿勢を取るものは翅が基部から伸びる様式で,これらのトンボは羽化定位の角度がほぼ0°,つまり水平な位置でも羽化できるトンボと言うことになります.
亜目 Suborder 科 family 羽化型 翅の伸張 翅伸張期の姿勢
均翅亜目 カワトンボ科 直立型 一様 ぶら下がり
トゲオトンボ科 直立型 一様 ぶら下がり
アオイトトンボ科 直立型 一様 ぶら下がり
モノサシトンボ科※1 直立型 基部から 重力に抗する
イトトンボ科 直立型 基部から 重力に抗する
不均翅亜目 ムカシトンボ科 倒垂型 一様 ぶら下がり
ムカシヤンマ科 直立型 基部から ぶら下がり
ヤンマ科 倒垂型 一様 ぶら下がり
サナエトンボ科 直立型 基部から 重力に抗する
オニヤンマ科 倒垂型 一様 ぶら下がり
エゾトンボ科 倒垂型 一様 ぶら下がり
トンボ科※2 倒垂型 一様 ぶら下がり
表1.羽化の分類と系統
※1:南西諸島に産するルリモントンボ属の羽化については調査の必要がある.
※2:ウミアカトンボについては検討の必要がある*2

 兵庫県域外に生息するトンボや,また外国のトンボなど,科毎にまとめ上げるにはあまりにも資料が不足しています.また,翅の伸張やそのときの姿勢に関しては,科毎に整理できるかどうか分からない部分があります.属単位,あるいは種単位で異なる可能性もあります.ここで私が述べておきたいことは,羽化型に関する定義の明確化や,羽化姿勢のまとめ方をもう少し細かく分類して整理するなど,羽化に関する知識の再整理が必要なのではないかということです.


トンボの生物学 6.変態と羽化
羽化の生態学
 羽化という現象については,多くがその生理的,外形的な側面が多く語られます.この項では生態的な側面について述べてみたいと思います.なお,羽化の季節的制御に関しては,別の章で扱っています.


T.羽化時の死亡

 トンボの羽化は,トンボの生涯の中で,死亡率が高くなりそうな時期であるように感じられます.これは羽化が非常に目立つ現象で,多くのトンボ観察者が目にすることによるからかも知れません.羽化以外では卵の時代の死亡率が高いように思えます.羽化時の死亡原因としてよく観察されるものとして,羽化失敗あるいは羽化不全があります.原因についてはさまざまなことが推定されています.幼虫時代の餌不足といった内因性の問題の他,羽化時の温度や湿度,羽化時の気象などの外因性の問題などがあります (図36).
羽化失敗と羽化不全
図36.左:ウチワヤンマの羽化不全,2007.6.23.裂開は生じているがそのまま絶命したようだ.右:ウスバキトンボとオオシオカラトンボの,おそらく低温による羽化不全.2012.11.21.市街地のコンクリートU字溝で秋の日差しを受けて羽化を始めたが,途中で日が陰り気温が下がって羽化に失敗した.緑色の体液のようなものが浸出している.
 もう一つは被食です.羽化している最中のトンボは,飛ぶことができないだけでなく動くこともできないし,非常に目立つ場所で行われるので,トンボの一生の中で,もっとも捕食者にねらわれやすい時だと考えられます.

羽化時の捕食による死亡
図37.左:オジロサナエのオオクロアリによる捕食.右:アメンボに襲われる羽化途中のコサナエ.2022.4.19.羽化途中にアメンボに襲われ,結局処女飛行に飛び立つことなく死亡した.
 捕食者としてもっとも大きな被害をもたらすものは鳥だと考えられます.例えば,相田 (1990) はセグロセキレイによるナゴヤサナエ羽化個体の捕食のようすを,「正午前後に岸辺を歩いて捕食する.羽化の最盛時刻に,定期的に飛来して探しているように見える」と述べています.鳥類は明るい時間帯に活動する捕食者です.またナゴヤサナエは13時をピークとして昼間の明るい時間帯に,それも目立つ人工的な場所で羽化します.この捕食−被食者の関係がナゴヤサナエを絶滅させず,それが存続している理由について,観察者である我々は「目立つ場所で羽化し捕食される状況」をよく見ているのが原因であること,人工的環境になる前の羽化場所は,もっと見つかりにくい場所だった可能性が高いこと,などを挙げています (相田,1990).

 羽化の時間帯に関しては,今までの観察記録が役に立ちます.特に写真記録を中心に据えていると,野外で何度も羽化が撮影できるトンボは,明るい時間帯に羽化をするトンボであるといえそうです.もっとこれは夜間に羽化しないことを意味しないことには気をつけておくべきです.


U.雌雄の先行羽化と性比

 羽化調査を定量的に行うことによって,生態学的にいくつかの興味深い情報を得ることができます.代表的なものとして,その地域個体群のオス・メスの性比の問題,オス・メスのどちらが早く羽化するかという先行羽化の問題,羽化の同調性の問題などがあります.これらについて,筆者のキイロサナエの調査結果をもとに分析してみましょう (図38).

キイロサナエの羽化定量調査
図38.キイロサナエの羽化定量調査の結果.1994年から1996年の3年間.1995年は途中で豪雨による増水で調査ができず,羽化殻も流されたため一部が欠落している.黒丸はオス,白丸はメスを示し,棒グラフは両者を合計したものである.これ以外の時期も幼虫調査で現地を訪れているが,羽化殻は見つかっていない.(Aoki, 1999).
 まず,羽化の同調性の問題を見てみましょう.羽化の同調性を表す指標にEM50という数値があります.年間羽化数の50%が羽化 (EMergence) するのにかかる日数で表現されます.これによると,1994年は4日,1996年は6日となっています (1995年は不完全なため省略).キイロサナエ幼虫は,孵化してから3年かけて羽化に至ります.このような長い期間幼虫であっても,年間の羽化数の半分が,それぞれわずか4日,6日で羽化してしまっているということです.この同調性の高さには何か秘密があるのではないかと考えるのは,生態学的な意味で自然です.こういった基本情報から,生活史の季節的制御に関してさらなる調査研究が進んでいきます (Aoki, 1999; 青木,2003).

 次は性比*3です.3年間とも,メス (female) の方が,オス (male) より数多く羽化していることが分かります.この数の差をカイ二乗検定にかけて見ると,1994年,1996年は,それぞれ危険率0.001,0.02で有意の差があると出ています.キイロサナエの場合,有意にメスが多かったことになります.この傾向は不均翅亜目において一般的であり,均翅亜目では逆にオスの方が高くなっていることが示唆されています (Corbet, 1999).また,キイロサナエでも明らかなように,性比は年変動があることも確かなようです.性比の問題は興味深いですが,性比がなぜこのようになるか,またその生態学的な意味については,十分な議論はまだできていないようです.

 最後は雌雄の先行羽化の問題です.図38を見るとメスの方が後半により多く羽化しているように見えます.EM50 で表現してみるとはっきりします.1994年は,オスの EM50=3日,メスの EM50=5日,1996年は,オスの EM50=5日,メスの EM50=8日となっています.Corbet (1999) は,「羽化時期は雌雄による差が顕著に現れてこないことがふつうだが,それが存在する場合にはオスの先行羽化の例が多い」と述べています.

 オスの先行羽化が有利な点に関しては,割合簡単に想像がつきます.多くのトンボは,オスが積極的にメスを探して交尾すると考えられています.なわばりを持ってメスを待つオスなどはその典型でしょう.そうであるならば,オスはできるだけ早く羽化し成熟してメスを探すほうが有利であり,繁殖成功度が高くなるでしょう.このあたりについては,また別の章で考えてみたいと思います.


V.分割羽化

 分割羽化とは,羽化しようと一度水から上がった幼虫が,羽化を中止して再び水に戻り,時間をずらして羽化することを意味します.ずれる時間は,日をまたいで翌日以降である必要はありません.主に北方の夜間に羽化するトンボに見られるようですが.私はキイロサナエで一度だけ,羽化しようとして離水した幼虫が再び水中に戻っていった動きを観察しています.その後を追跡したわけではありませんので,これがその後どうなったかは分かりません (図39).
キイロサナエの羽化中止
図39.キイロサナエの分割羽化.神戸市,1991.5.21. 水から出てしばらく定位していた幼虫は,かなり時間が経ってからきびすを返して水中に戻っていった.曇の日の観察であったが,処女飛行に飛び立った個体もあった.
 相田 (1990) は,ナゴヤサナエの観察で,水に戻った幼虫を追跡し,観察した限りはその日のうちに別の場所で羽化したことを述べています.

ヒメクロサナエの羽化中止
図40.ヒメクロサナエの分割羽化?.2018.4.22. ここは標高が高く,ヒメクロサナエの羽化としてはまだ少し早い感じである.おそらく暖かさに誘われて岩の上に出てきたが,まだ寒いと判断して水の中に戻ったのかも知れない.とすると,かなり長い時間間隔の分割羽化になるだろう.または単に水の外に出ていただけなのかも知れない.
トンボの生物学 6.変態と羽化
羽化の場所とその実際
 羽化は,トンボにとって,水中から陸上への生活の舞台を変更する大きなイベントです.それぞれの種が,長い時間をかけてもっとも成功率の高くなるだろう場所を選んで,羽化していると考えられます.その意味を言葉で表現することは無理だと思われますが,その姿を見ていくと何かが見えるかも知れません.この章の最後に,理屈は捨てて,とにかくトンボの羽化の場所やその実際の一断面を,分類群ごとに掲載しておきたいと思います.これは表1の根拠を示すことでもあります.


アオイトトンボ科 Lestidae

オツネントンボの羽化
001.オツネントンボ Sympecma paedisca の羽化.ステージ3または4.2007.6.30., 08:54.
  植生豊かな池の水際に生えている草につかまって羽化する.
ホソミオツネントンボの羽化殻
002.ホソミオツネントンボ Indolestes peregrinus の羽化殻と飛び立った羽化成虫.2022.6.25., 14:41.
  湿地のスゲの葉につかまっていた羽化殻.すぐそばに羽化成虫も見られた.
アオイトトンボの羽化
003.アオイトトンボ Lestes sponsa の羽化.ステージ3または4.2012.6.23., 13:17.
  浅い池に投げ捨てられていた木の枝で羽化している.
オオアオイトトンボの羽化
004.オオアオイトトンボ Lestes temporalis の羽化.左:ステージ2,右:ステージ3.2011.6.11., 12:41.
  樹林にかこまれた池のスゲの葉につかまって羽化している.
コバネアオイトトンボの処女飛行後の成虫休息
005.コバネアオイトトンボ Lestes japonicus の処女飛行後休息する成虫.2011.6.25., 08:08.
  羽化はおそらく池の縁に生えている植物につかまって行われたのだろう.

カワトンボ科 Calopterygidae

ニホンカワトンボの羽化殻
006.ニホンカワトンボ Mnais costalis の羽化殻.2009.4.19., 11:14.
  河川のかなり上流だが,勾配は比較的緩くツルヨシが生えている.
アオハダトンボの羽化殻と羽化個体
008.アオハダトンボ Calopteryx japonica の羽化殻と羽化個体.ステージ3または4.2009.6.13., 08:23.
  ツルヨシの林の中に着いていた羽化殻とツルヨシの葉で羽化する個体.
リュウキュウハグロトンボの羽化
***.リュウキュウハグロトンボ Matrona japonica の羽化.ステージ3または4.1992.3.25., --.
  薄暗い河畔の草につかまって羽化している.

トゲオトンボ科 Rhipidolestidae

ヤンバルトゲオトンボの羽化
***.ヤンバルトゲオトンボ Rhipidolestes shozoi の羽化.ステージ3.2024.4.19., 10:39.
  生息地である浸出水のある斜面に生える草で羽化.羽化殻は葉の裏に付いている.

ミナミカワトンボ科 Euphaeidae

コナカハグロトンボの羽化
***.コナカハグロトンボ Euphaea yayeyamana の羽化.ステージ3または4.2026.6.16., 11:36.
  棲息河川の岩の裏面で羽化している.定位角度は110度くらい..

モノサシトンボ科 Platycnemididae

グンバイトンボの羽化
011.グンバイトンボ Platycnemis sasakii の羽化.ステージ3.2009.6.13., 09:21.
  アオハダトンボと同じようにツルヨシの葉で羽化している.
モノサシトンボの羽化殻
012.モノサシトンボ Pseudocopera annulata の羽化殻.2006.5.11., --.
  生息池内の植物の葉につかまっていた.
アマゴイルリトンボの羽化
***.アマゴイルリトンボ Platycnemis echigoana の羽化.ステージ4.2023.6.23., 10:01.
  生息地畔に生える草の中で羽化していた.

イトトンボ科 Coenagrionidae

キイトトンボの羽化
013.キイトトンボ Ceriagrion melanurum の羽化.ステージ3.2012.6.23., 13:16.
  棲息する池に沈む木の枝で羽化している.
ベニイトトンボの処女飛行個体
014.ベニイトトンボ Ceriagrion nipponicum の処女飛行個体.2010.7.30., 12:41.
  羽化直後から体色が赤い.池畔の草につかまって羽化したようだ.
クロイトトンボの羽化
015.クロイトトンボ Paracercion calamorum calamorum の羽化.ステージ2.2011.5.4., 07:46.
  池岸にある人工物につかまって羽化している.
アジアイトトンボの羽化殻
023.アジアイトトンボ Ischnura asiatica の羽化殻.2005.6.18.,
  キシュウスズメノヒエの群落内に付いていた羽化殻.

ムカシトンボ科 Epiophlebiidae

ムカシトンボの羽化殻
024.ムカシトンボ Epiophlebia superstes の羽化殻.2014.4.27., --.
  流れから数メートル離れた林の中で羽化している.定位角度は180度にもなる.

ヤンマ科 Aeshnidae

サラサヤンマの羽化
025.サラサヤンマ Sarasaeschna pryeri の羽化(撮影:T.Y.氏).ステージ3.1994.4.30., --.
  棲息湿地の縁のヨシにつかまって羽化している.
アオヤンマの羽化
028.アオヤンマ Brachytron longistigma の羽化(撮影:N.O.氏).ステージ3.1994.6.25., --.
  棲息池に生えるフトイの群落内で羽化している.
ネアカヨシヤンマの羽化殻
029.ネアカヨシヤンマ Brachytron anisopterum の羽化殻.2009.5.31., --.
  棲息湿地の草に付いていた.
マルタンヤンマの羽化
031.マルタンヤンマ Anaciaeschna martini の羽化.ステージ4.1997.7.5., --.
  人工のビオトープ池で羽化している.
ヤブヤンマの羽化殻
032.ヤブヤンマ Indaeschna melanictera の羽化殻.2026.7.9., --.
  棲息池の横に張られたロープの,高さ2m程度のところに付いていた.
ルリボシヤンマの羽化
034.ルリボシヤンマ Aeshna juncea juncea の羽化.ステージ4.1998.7.25., --.
  わずか畳3畳ほどの小さな湿地状の水たまりで羽化している.
ギンヤンマの早い羽化
035.ギンヤンマ Anax parthenope julius の早い羽化.ステージ3.2010.4.24., 12:38.
  春一番の羽化といってよいほど早い羽化でまだ水生植物も伸び始めたところである.
クロスジギンヤンマの羽化
036.クロスジギンヤンマ Anax nigrofasciatus nigrofasciatus の羽化.ステージ3.2010.5.16., 11:31.
  浮葉植生のある薄暗い池に転がっていた枯れ木につかまって羽化している.

サナエトンボ科 Gomphidae

ウチワヤンマの羽化殻
038.ウチワヤンマ Sinictinogomphus clavatus clavatus の羽化殻.2012.6.23., 09:56.
  広い開水面を持つ池の杭につかまって羽化したようだ.
タイワンウチワヤンマの羽化殻
039.タイワンウチワヤンマ Ictinogomphus pertinax の羽化殻.2007.7.8., 09:12.
  広い開水面を持つ池に転がる朽ち木につかまって羽化した.
コオニヤンマの羽化
040.コオニヤンマ Sieboldius albardae の羽化.ステージ2.1991.6.22., --.
  この平たい体でどうやってこんな葉の正面に定位できるか不思議である.
オナガサナエの羽化殻
041.オナガサナエ Melligomphus viridicostus の羽化殻.2021.6.17., --.
  本種の生息域ではない,深く幅広い河川の下流域に敷設されたポッドにつかまって羽化している.上流から流れてきているように思う.
ダビドサナエの羽化殻
044.ダビドサナエ Davidius nanus の羽化殻.ステージ2.2011.4.29., 11:37.
  川の縁にたまっている植物体に上って羽化している.
ヒラサナエの羽化
045.ヒラサナエ Davidius moiwanus taruii の羽化.ステージ2.2013.5.5., 08:57.
  湿地の植物に登って羽化している.
ヒメクロサナエの羽化殻
046.ヒメクロサナエ Lanthus fujiacus の羽化殻.2011.5.21., 09:50.
  流れの上に開く葉の上で羽化したようだ.
オジロサナエの羽化
048.オジロサナエ Stylogomphus suzukii の羽化2頭.左:ステージ3,右:ステージ2.2026.6.12., 12:04.
  水際からすぐのところの砂地で羽化している.
タベサナエの羽化
049.タベサナエ Trigomphus citimus tabei の羽化.ステージ3.2023.4.9., 09:39.
  水際の植物につかまって,幼虫の腹部先端を水につけたまま羽化している.
オグマサナエの羽化
050.オグマサナエ Trigomphus ogumai の羽化.ステージ3.2023.4.11., 09:53.
  羽化殻の腹部が水に浸かったような状態で羽化している.
コサナエの羽化
051.コサナエ Trigomphus melampus の羽化.ステージ3.2019.4.20., 11:18.
  浅い湿地に生えるコカナダモにつかまって,ほぼ水面で羽化をしている..
フタスジサナエの羽化
052.フタスジサナエ Trigomphus interruptus の羽化.いずれもステージ3.2018.4.20., 11:20.
  ほとんど羽化殻が水に浸かったような状態で,水辺で羽化している.
ミヤマサナエの羽化
053.ミヤマサナエ Anisogomphus maacki の羽化.ステージ3.1990.6.2., --.
  堰があって非常に深く幅広い河川の河岸に生えている植物上で羽化している.
オオサカサナエの羽化
***.オオサカサナエ Stylurus annulatus の羽化.ステージ3.2010.8.28., 07:32.
  大湖湖岸の消波ブロックの上で羽化している.
メガネサナエの羽化殻
***.メガネサナエ Stylurus oculatus の羽化殻.2010.8.28., --.
  大湖湖岸の消波ブロックの上に付いている羽化殻.
ホンサナエの羽化幼虫
056.ホンサナエ Shaogomphus postocularis の羽化幼虫.ステージ1.1991.5.1., --.
  水から出てこれから羽化を始めようとしている幼虫.
キイロサナエの羽化
057.キイロサナエ Asiagomphus pryeri の羽化.ステージ4.2015.5.24., 11:10.
  泥底の溝川で,水際で羽化殻が水に浸かった状態で羽化をしている.
ヤマサナエの羽化
058.ヤマサナエ Asiagomphus melaenops の羽化.ステージ2.2023.4.16., 10:05.
  公園の水路で羽化しているヤマサナエ.

ムカシヤンマ科 Petaluridae

ムカシヤンマの羽化殻
059.ムカシヤンマ Tanypteryx pryeri の羽化殻.2012.5.13., --.
  浸出水のある生息地に生える草につかまっている羽化殻.

オニヤンマ科 Cordulegastridae

オニヤンマの羽化殻
060.オニヤンマ Anotogaster sieboldii の羽化殻.2018.7.1., --.
  公園の柵で羽化.棲息していたと思われる流れからは5mほど離れている.

エゾトンボ科 Corduliidae

トラフトンボの羽化
061.トラフトンボ Epitheca marginata の羽化.ステージ3.2012.4.21., 10:21.
  水際から3mほど離れた堰堤の草地で羽化している.
オオトラフトンボの羽化殻
***.オオトラフトンボ Epitheca bimaculata sibirica の羽化殻.2024.6.5., --.
  棲息池周囲の遊歩道際の,水際から3mほど離れた林床の草地に付いていた.
ハネビロエゾトンボの羽化殻
064.ハネビロエゾトンボ Somatochlora clavata の羽化殻.2018.7.1., --.
  棲息している細流の畔の草地に付いていた.

ヤマトンボ科 Macromiidae

オオヤマトンボの羽化殻
065.オオヤマトンボ Epophthalmia elegans elegans の羽化殻.2007.7.7., --.
  いつもながら,こんなに図体の大きな幼虫が細い枝先までどうやって登るのだろう,と思う.
コヤマトンボの羽化
067.コヤマトンボ Macromia amphigena amphigena の羽化.ステージ3.2018.5.20., 11:24.
  棲息する河川の際に生えている植物に登って羽化している.

トンボ科 Libellulidae

チョウトンボの羽化殻
068.チョウトンボ Rhyothemis fuliginosa の羽化殻.2007.7.5., --.
  棲息池の岸辺にある棒に付いていた.
アキアカネの羽化
075.アキアカネ Sympetrum frequens の羽化.ステージ4.2022.6.25., 10:47.
  水田で一斉に羽化するアキアカネ.みんな羽化殻から移動している.
ネキトンボの羽化殻
084.ネキトンボ Sympetrum speciosum speciosum の羽化殻.2012.6.23., --.
  生息地横の切り株の幹に付いていた.
オオキトンボの羽化殻
086.オオキトンボ Sympetrum uniforme の羽化殻.2007.6.30., --.
  棲息池横の草地に,それなりの数が付いていた.
コシアキトンボの羽化殻
089.コシアキトンボ Pseudothemis zonata の羽化殻.2008.7.20., --.
  棲息池の枯れ木にたくさん付いていた.
コフキトンボの羽化殻
090.コフキトンボ Deielia phaon の羽化殻.2007.7.6., --.
  この池はこの年440頭もの成虫が数えられ,羽化場所にも競争が生じたようだ.
ハッチョウトンボの羽化
092.ハッチョウトンボ Nannophya pygmaea の羽化.ステージ3.1991.6.11., 11:00頃.
  棲息湿地のハリイにつかまり,水面上10cm程度のところで羽化している.
ハラビロトンボの羽化
096.ハラビロトンボ Lyriothemis pachygastra の羽化.ステージ3.2007.6.15., 08:46.
  棲息湿地のスゲ類に葉に止まって羽化している.
シオカラトンボの羽化
097.シオカラトンボ Orthetrum albistylum speciosum の羽化.ステージ4.2023.4.28., 11:06.
  左上に羽化殻が見える.驚かせて飛ばしてしまった.
シオヤトンボの羽化
098.シオヤトンボ Orthetrum japonicum の羽化.ステージ4.2014.4.27., 10:25.
  羽化殻の角度が水平に近い.そのせいか羽化殻から離れてぶら下がって羽化をしている.
ヨツボシトンボの羽化
100.ヨツボシトンボ Libellula quadrimaculata asahinai の羽化.ステージ4.2009.5.2.., 10:19.
  棲息池に生えるスゲ類の葉に止まって羽化している.
ベッコウトンボの羽化
101.ベッコウトンボ Libellula angelina の羽化.ステージ3.1992.4.--., --.
  生息地に林立するヨシの枯れ茎につかまって羽化している.
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