トンボの生態学
3.産卵とその行動 目次
トンボの生態学 3.産卵とその行動
産卵器官
産卵行動を考える際には,まずその産卵器官について知っておく必要があります.系統分類学的に決まってくる産卵器官の構造が,まず産卵行動の基本にあるからです.トンボには,多くの有翅昆虫*1に見られる典型的な産卵管を持つグループと,それが退化して*2見られず,生殖口を保護する産卵弁(生殖弁)が存在するグループがあります.
*1.有翅昆虫 Pterigota
成虫のときに翅を有するような昆虫.
*2.Asahina(1954)ではreduced ovipositorと記されている.浜田・井上(1985)や,杉村ら(1999)では,「退化し」と表記されている.
図1.トンボの産卵器官(ovipositor).有翅昆虫に典型的な産卵管を持つカトリヤンマ(左)とそれが退化して産卵弁を持つメガネサナエ(右).
名称は,Snodgrass(1935), Asahina(1954), 素木(1962),杉村ら(1999),Corbet(1999)を参照して決定した.
産卵管を持つ日本産のトンボは,均翅亜目全種,および不均翅亜目のうちムカシトンボ科,ヤンマ科,ムカシヤンマ科に属するトンボです.サナエトンボ科,エゾトンボ科,ヤマトンボ科,ミナミヤマトンボ科,オニヤンマ科,ミナミヤンマ科,トンボ科の各種は,産卵弁を持っています.つまり,科のレベルで系統的に決まっています.
一般に,産卵管を持つトンボは産卵基質の内部に卵を置き,それを持たないトンボは産卵基質の上に卵を置くように産卵します.前者の例外は,日本にはいませんが,ハビロイトトンボ科 Pseudostigmatidae の Mecistogaster jocaste (その後 M. martinezi に訂正)と呼ばれる樹洞に産卵する森林性のイトトンボが,飛びながら樹洞の中の水面に向けて卵を放出するそうです(Machado and Martinez, 1982).後者の例外としては,オニヤンマが挙げられるでしょう.オニヤンマは細長く硬化した産卵弁を有しており,飛びながら浅い流れの水底の泥の中にこれを突き刺して,底砂の中に卵を置きます.
写真1.オニヤンマの産卵弁(左)とその産卵行動(右).浅い流れで垂直に腹部を突き立てるように降下して,底砂の中に卵を埋め込む.
図1の構造物のうち,産卵管小突起および有歯板という目立った構造物があります.産卵管小突起については後に触れます.ここでは有歯板について簡単に説明しておきましょう.これは,土中や朽木のような固い産卵基質に卵を産み付けるヤンマによく発達しています.図1のカトリヤンマは通常土中産卵します.これは,固い産卵基質に産卵管(腹片・内片の合わさったもの)を後方へ突き刺す時の,力学的な支点を形成するためのものです.写真2を見れば分かるように,有歯板を産卵基質に突き立てて支点とし,産卵管を基質に食い込ませていきます.
写真2.サラサヤンマの産卵(左),有歯板が支点となって産卵管を産卵基質に刺し入れている(右).
トンボの生態学 3.産卵とその行動
産卵行動の分類(産卵モード)
産卵行動については,枝重夫博士が1976年に著した著書の中で,産卵メスの状態によって分類しています.その後これは多くの著作で産卵行動を分類するときに引用されていて,Corbet(1999)で,その後の情報をもとに整理されました.
これによると,まずトンボの行動学的視点に注目した座標軸が2つあって,一つはトンボが静止している(Settled*1)か飛んでいる(Flying)か,もう一つは産卵器官が産卵基質と接触している(Contact)か否(Non-contact)かの違いです.この組み合わせによってまず4通り,つまり SC (静止接触),SN (静止非接触),FC (飛翔接触),FN (飛翔非接触) に分類されます.
次に,産卵基質の種類と卵を産卵基質のどこに置くかによって,7通りに分類しています.すなわち,(1)植物内,(2)植物上,(3)植物間,(4)砂泥上,(5)砂泥中,(6)岩上,(7)水面上です.上の4通りと掛け合わせると,理論的には28通りの産卵モードがあることになります.しかし実際は存在しないものもありますので,産卵モードの分類としてはもっと少ない数に分けられることになります.従来から使われてきた産卵方式の名称では,植物(組織)内産卵,植物上産卵,土中産卵,遊離性静止産卵,静止接水産卵などの名称が,この分類の特定のカテゴリーを表しているといえるでしょう.ここでは,この分類基準を「行動学的・機能的基準」と呼ぶことにします.
あと,Corbet(1999)は言及していませんが,産卵時のトンボの動きや状況をより具体的に説明した呼び方をする場合があります.例えば,潜水産卵,連結産卵,単独産卵,警護産卵,グループ産卵,打空産卵,打泥産卵,打水産卵,連続打水産卵,間欠打水産卵,単一打水産卵,停止飛翔産卵,挿泥産卵等々です.
これらは明確な区別が難しい場合があります.例えば打空産卵と停止飛翔産卵は,産卵時のトンボの上下動の程度によって分けられていますが(枝,1976),なかなか微妙です.また打泥産卵および打水産卵は,それぞれ上の(4)または(5),および(7)のカテゴリーを表していると考えられますが,枝(1976)によると,キイロサナエは打泥産卵でかつ泥中に,アキアカネは打泥産卵で軟泥土上に産卵すると記述していますので,産卵基質との関係性よりもむしろ,トンボの動きに焦点を当てた名称であると考えられます.しかし,これらの呼称はイメージが具体的で,トンボの産卵行動を豊かに表現しているので,私もよく使っています.ここでは,この分類基準を「状態的基準」と呼ぶことにします.
それでは,行動学的・機能的基準に沿って,日本産トンボの産卵行動を紹介していきましょう.
T.静止・接触産卵(SC)
静止・接触産卵は,産卵モードの中で数の多いものの一つです.産卵管を持つほとんどのトンボがこの範疇に入ります.産卵管を持たないトンボではこれは非常に珍しく,これを主たる産卵モードにしている日本産トンボは,ヒメクロサナエだけです.他の種でもときどき観察報告があるようですが(例えばコサナエ;新井,1984),それらはそのトンボが通常採用している産卵モードではないと考えられます.植物内産卵,土中産卵,静止接水産卵などが含まれます.
産卵基質が植物の場合,生きた植物体,枯れた植物体の両方を含みます.トンボの種類によっては,どちらかの一方を特に好んで産卵するものがあります.むしろそれが普通かもしれません.また枯れた植物体に産卵するトンボの多くは,土中にも産卵します.またこれが転じて発泡スチロールのようなものに産卵する場合も,行動学的には植物内産卵としてよいでしょう.
*1.settled はメスの状態を表すために female settled として Corbet(1999) が使っています.他に sitting oviposition (枝,1967)が静止産卵の訳語として使われる場合があります.
写真3.静止・接触産卵(SC):アオイトトンボ科ホソミオツネントンボの植物内産卵(左),カワトンボ科ハグロトンボの植物内産卵(右).
写真4.静止・接触産卵(SC):ヤマイトトンボ科シコクトゲオトンボの朽木植物内産卵(左),モノサシトンボ科グンバイトンボの植物内産卵(右).
写真5.静止・接触産卵(SC):イトトンボ科キイトトンボの植物内産卵(左),ムカシトンボ科ムカシトンボの植物内産卵(右).
写真6.静止・接触産卵(SC):ヤンマ科ネアカヨシヤンマの土中産卵(左),ムカシヤンマ科ムカシヤンマの土中産卵または植物間産卵(右).
写真7.静止・接触産卵(SC):サナエトンボ科ヒメクロサナエの静止接水産卵(左),左写真の個体が産卵後に残した卵(右).
写真8.静止・接触産卵(SC):アオイトトンボ科コバネアオイトトンボの植物内産卵(左),左写真の個体が産卵後に残した卵(右).
U.静止・非接触産卵(SN)
静止・非接触産卵は,どちらかといえば稀な方式で,他の産卵モードと併用して時々行われていて,これを通常の産卵モードとしている日本産トンボはいない*2と思われます.日本産のトンボでは.トンボ科アカネ属や,サナエトンボ科で観察例があります.従来の名称では遊離性静止産卵が該当します.これらの観察例のトンボは,いずれも通常の産卵モードは飛翔・非接触産卵で,飛んで産卵していたものが何らかの理由で止まったときに行われるように思います.私は,サナエトンボ科の例は観察したことがありませんが,ヒラサナエ(Inoue & Shimizu, 1976),オナガサナエ(新井,1978)などの観察例が報告されています.
*2.世界に目を向けると,Corbet (1999)には Gomphomacromia 属(Jurizitza, 1975)が引用されているが,文献が入手不可能で詳細は確認できない.
写真9.静止・非接触産卵(SN):トンボ科ナニワトンボ(左),マダラナニワトンボ(右)の遊離性静止産卵.
V.飛翔・接触産卵(FC)
この産卵方式は,産卵管を持たないトンボに広く行き渡っている産卵モードです.状態的基準の,打泥産卵,打水産卵,挿泥産卵や,植物上産卵が該当します.産卵管を持つトンボにはこの産卵モードは存在しないようです.産卵基質は,砂泥,泥土,水,岩,植物体などになります.この産卵モードを採用しているトンボでは,同種のトンボが状況によって産卵基質を変えることもあります.例えば,キイロサナエは,泥土(枝,1960)と水面の両方を産卵基質として選択できます.
飛びながら産卵する場合,トンボの種類によって産卵時の動きが微妙に異なってきます.そこでこの産卵モードには,動き方の違いによってさまざまな状態的基準の名称がつけられています.連続打水産卵は,連続的に水面上に降下して水面を一定のリズムでたたいて産卵する方式,間欠打水産卵は,しばらくホバリング飛翔をしてその間に産卵弁と第9節腹板の間に卵塊をつくり,ある程度それが大きくなったら打水して放卵,それを繰り返す方式,といった具合です.だいたいは名称を見ればその動きに見当がつきます.状態的基準についても,同じトンボが異なる動きで産卵することがあり,つけられる名称も複数ある場合があります.例えばキイロサナエは,間欠打水産卵,連続打水産卵,連続打泥産卵(山本ら,2009)などを行います.
写真10.飛翔・接触産卵(FC):(サナエトンボ科)オジロサナエがレキの間に打水したところ(左),キイロサナエの連続打水産卵(右)
写真11.飛翔・接触産卵(FC):ミナミヤンマ科ミナミヤンマがレキの間に打水したところ(左),オニヤンマ科オニヤンマの挿泥産卵(右)
写真12.飛翔・接触産卵(FC):エゾトンボ科ハネビロエゾトンボの岩上への産卵(左),トンボ科コシアキトンボの岩上への産卵(右).
写真13.飛翔・接触産卵(FC):トンボ科オオキトンボの連結打泥産卵(左),トンボ科コフキトンボの植物上産卵(右).
写真14.飛翔・接触産卵(FC):サナエトンボ科コオニヤンマの打水産卵(左),打水の瞬間にピンク色の卵塊がばらけて水中に散っていく(右).
W.飛翔・非接触産卵(FN)
この産卵方式も,産卵管を持たないトンボに広く行き渡っている産卵モードです.産卵管を持つトンボでは,海外で,上に紹介した Mecistogaster martinezi の例がありますが,これは,樹洞に産卵するという特殊な状態が適応進化させた非常に稀な例といえるでしょう.状態的基準では,停止飛翔産卵,打空産卵などが含まれます.飛びながら空中から卵を落とす,あるいは飛ばすという特殊性のため,落ちる卵を肉眼で観察できる場合があります.
通常,この産卵モードを採用しているトンボは,日本産ではサナエトンボ科やトンボ科の中のいくつかの種です.産卵基質としては水,泥,草地などの植生(植物)などです.トンボの種類によって好みの産卵基質があるようで,その産卵基質の上空で飛翔しながら産卵を行います.例えば,リスアカネやナニワトンボなどは土の上,オナガサナエやアオサナエなどは水の上,といった具合です.
写真15.飛翔・非接触産卵(FN):(サナエトンボ科)水面上で停止飛翔産卵するアオサナエ(左),泥土上で停止飛翔産卵するクロサナエ(右).
写真16.飛翔・非接触産卵(FN):(トンボ科)湿土上で単独打空産卵するリスアカネ(左),水際の草原で連結打空産卵するナツアカネ(右).
X.若干の考察が必要な産卵モード
産卵時のトンボの微妙な動きを排し,産卵基質とトンボの関係性を単純化した上記4つの産卵モードを使えば,ほとんどの産卵行動の分類は可能なように思えます.しかし若干の種の産卵行動については,きちんと考察をしておく必要があると考えます.それは,接触と非接触の動作が,産卵動作の中に同時に現れてくるような産卵方式があるからです.それは,打水して卵に水を含ませ,その後その水滴を飛ばして卵を基質に貼り付けるという産卵方法です.打水行動は接触であり,水滴を飛ばして卵を基質に貼り付ける動作は非接触となるからです.こういった産卵を主たる産卵方式として行う日本産の種には,タカネトンボ,オオシオカラトンボなどがあります.
Corbet(1999)は,その付表A.2.5.で,このような産卵モードを「飛翔・接触(FC)」のカテゴリーに入れて,「Onto water, with subsequent scooping (水面上,続いてすくい取りを行う)」という分類をしています.これは卵を飛ばす前に打水するという点に注目して「接触」に分類したものと思われます.しかし卵が飛ばされて水面より高い位置にある泥土や植物体に貼り付けられるのが事実であるとするならば,この場合の産卵基質は水ではなくて泥土や植物体であると考えることもできます.とすると,トンボと産卵基質の関係は「非接触」と考えることもできます.この点,オオシオカラトンボの観察によると,少なくとも卵が水滴とともに前方に飛んでいることは間違いないと考えています*3.
この議論のポイントは,産卵の瞬間をどう定義するかにかかっているように思えます.卵がメスの生殖口を離れた瞬間が産卵の瞬間であると定義すると,打水したときに卵がその水滴中に拡散するかもしれませんから,この場合の産卵基質は水ということになります.水とは接触していますので「接触」というカテゴリーに入ります.しかし水を含んでも,まだ卵を含む水滴はトンボの体を離れていません.この水滴が離れた瞬間を産卵と定義するなら,この水滴は岸辺に落ちるまで空中を飛んでいますの「非接触」になります.
前者の「水滴中に拡散する」ことについては,産卵時に打水−打泥を繰り返すキトンボにおいて,打水後の卵が水滴の中に浮かんでいる写真があります.ただしキトンボは「飛翔・接触産卵」です.ただキトンボの場合も写真などで解析すると微妙で,打泥して卵を離すとき,水滴を泥に接触させるのではなく,産卵弁の腹面付近を泥に当てて,水滴はその勢いで泥上に飛ぶように見えます(写真18,19).
ここでは,この問題は,疑問点を指摘しておくだけにとどめておきたいと考えています.このような単純に見える分類でも,厳密に考え出すといくつか困難な点が見えてくるということです.
写真17.産卵弁と第9腹節腹板の間に水を含ませ,卵とともに岸や前方に飛ばす産卵方式.タカネトンボ(左)とオオシオカラトンボ(右).
写真18.左:キトンボが打水した瞬間でこの後岸辺の産卵基質上に接触して放卵する.右:打水した後のキトンボ腹端の水滴.浮かぶ卵が見える.
写真19.左:キトンボが打泥した瞬間.右:同様の拡大写真で第8節腹板や産卵弁の腹側が小石に当たっていて,水滴を直に貼り付けていない.
トンボの生態学 3.産卵とその行動
産卵エピソードに含まれる行動
前項では,卵を置く瞬間の行動を問題にして,産卵モードを分類してきました.つぎは,これら産卵モードに付随するトンボの行動について考えていきます.そのためには,「産卵」という語が,一連の産卵行動のどの部分をさすのかをはっきりさせておく必要があります.一般的に,広い意味で産卵といえば,メスが飛来して*1,卵を産み落とし飛び去るまでの全過程と考えてもよいと思われますが,狭い意味でとらえると,まさに卵を産み落とす瞬間をさすともいえるでしょう.Corbet(1999)では,前者の意味を表す語として「産卵エピソード (an episode;Tsubaki et al.,1994)」という語を紹介しています.後者を表す適当な語が見当たらないのですが,ここでは「放卵」あるいは「卵を置く」という語を使っておきます.以下,産卵エピソードに含まれる,放卵行動以外の部分について考えていきます.
具体的には,産卵基質の探索・検査,休止,卵塊形成,飛び去り前の行動などがあります.全ての種にこれらの行動が備わっているわけではありませんし,状況によって現れたり現れなかったりすることもあります.またこれら以外に,多くのトンボに見られるように,産卵場所でオスが待ち構えていて,産卵に飛来したメスを水辺で捕らえ交尾する場合や,カオジロトンボなどのように,放卵行動を開始した後で交尾が行われる場合があります.ここではこれらの交尾を,産卵エピソードには含めないことにしておきます.それでは,順に見ていくことにしましょう.
T.産卵基質の探索・検査
メスが初めての水域にやって来たとき,まずはその水域のどこに産卵するのかを見極めなければなりません.実際に観察していると,種によっては,ある水域の特定のポイントで産卵する傾向が強いように見えますので,メスはどのタイミングかでその場所を見極めているはずです.この議論はトンボの生息地選択と密接な関わりがあり,詳細はそこで議論をする予定です.ここでは,産卵管を持つトンボの産卵基質の検査について述べるにとどめましょう.
静止・接触産卵を行い産卵管を持つヤンマは,産卵場所にやって来た後,しばらくあちこち飛んでは止まりして,卵を置く場所を慎重に探しているような行動をとることがあります.よく観察すると,腹部第8,9節あたりの腹面で,産卵基質の表面を撫でるような動作を行い,何かを感じたときにおもむろに産卵管を突き刺し,卵を置きます.このときに使われている感覚器官は,おそらく産卵管小突起です.産卵管を突き立てる前に,この先に着いている感覚毛らしき構造物で,産卵基質の表面を探っています(写真20右).その繊細な構造から見て,産卵管を刺すための力学的な付属物ではないと考えられます(写真20左).単に産卵基質と産卵管の位置関係を調べているだけの可能性もありますので,その正確な役割については今後明らかにされていくべき課題でしょう.
*1.メスが産卵に飛来したとき,水辺で待つオスと交尾することがあります.この場合は,交尾が終了してから後を指します.一回の産卵エピソードで多回交尾する場合は,ここでは交尾と次の交尾の間を考えることにします.
写真20.産卵管小突起の先端に付いている毛状構造物(左)と,産卵管を突き立てる前にそれを産卵基質に接触させているところ(右).
ルリイトトンボは,交尾が終わると,タンデム態で浮葉植物の葉の上に止まったり,飛んで移動したり,時には腹部を曲げた産卵姿勢をとってはすぐ止めるような行動(疑似産卵行動)を続ける時間が,結構長く続きます.Corbet(1999)でも,Bick & Bick(1963)が観察した同じルリイトトンボ属の Enallagma civile で同様な例を紹介し,これを探索相 exploratory phase と名付けています.特にメスが腹部を曲げる疑似産卵行動は,「あたかもその植物の材質が産卵基質として適しているかどうかを検査しているようだ」と記しています.この推測が正しいとすると,これは産卵基質の探索・検査の行動ということになります*2.
写真21.ルリイトトンボ Enallagma circulatum の探索相と考えられる状態.
左:タンデムペアが飛んだり止まったりしているだけの状態,右:産卵しているように見えるがすぐに止め長続きしない.
上述したように,メスが産卵場所に飛来して飛び去るまでの間に行われる交尾は,産卵エピソードに含めないで考えることにしました.ところがウチワヤンマは,「交尾態」で産卵場所を探索するような行動をとります.交尾の機能が,精子置換と精子の交尾嚢への注入だとしますと,ウチワヤンマが「交尾態」で産卵場所の探索を行っている場面では,下記に述べるように機能的な交尾は完了しているとみることができます.もしそうなら,「交尾態」という特殊な状態ではあっても,これは産卵に先立つ「産卵基質の探索・検査」と言ってよいかもしれません.
一般にトンボが交尾している場合,オスは腹部をうねるように動かして,精子置換や精子の注入を行います.その動きに伴って,結合しているオスの副性器から先の腹部とメスの腹部先端はさまざまな角度を動的に取ることになります.これはまさに交尾の機能を果たしている動きといえるでしょう.ウチワヤンマはこのような交尾行動を,生息地の池周辺の草原や樹林で行っています.そしてそれが終わると「交尾態」のままで池の周囲を飛び回り,産卵場所を探します.このときの「交尾態」では,上に述べたような腹部がうねるような動きは全くありません.メスは腹部第2節から第4節の間を180度に折り曲げて,その先をまっすぐ前に伸ばしています.オスはメスをできるだけ前方に引きつけ,前に伸びているメスの腹部と自身の胸部腹面がほぼ一直線になるように位置させます.そして完全一体に固まったようになって高速に飛翔します.おそらくこれはタンデム態よりこの方が航空力学的に高速飛翔できるからだと思われます.この形態は全てのペアでほとんど同じです.したがってこれは,交尾態は解かれていませんが機能的な交尾は終了しており,産卵エピソードの「産卵基質の探索・検査」と同等の行動であると考えてよいのではないかと,私は見ています*3.
そして,産卵場所を見つけると,オスはメスを放し,メスはその場所で産卵を始めます.このとき,オスが産卵場所を決めているのか,メスが決めてオスに合図を送っているのか,非常に興味深いところです.観察していると,他のオスがいるところではメスが離れることがあまりないようですので,オスが判断して放しているように見えます.つまりこの「交尾態」は,一種の警護にあたると考えられます.
ウチワヤンマと非常によく似た行動には,トラフトンボの「交尾態」による産卵場所の探索があります.この場合も,機能的な交尾行動は池周辺の草むらなどで行われていると考えられ,その後「交尾態」で池の周辺などを飛び回って放卵する場所を探します.時には違う池に行ってしまったりして,この探索行動はかなり長時間続くこともあります.そしてここと思う産卵場所を決めると,オスはメスを放します.
ウチワヤンマは卵に付着している細い糸状構造物を,トラフトンボは卵を紐状にして,いずれも水面や水中の細い構造物に絡みつかせるという点がよく似ていて,非常に興味深いと思います.
写真22.ウチワヤンマの探索相と考えられる状態.
左:生息地の池の外で行われているウチワヤンマの交尾.オスとメスのつくる腹部の角度に注目.交尾の実質的な機能を果たしている.
右:ウチワヤンマの探索相と思われる「交尾態」での飛翔.このときの形態は全てのペアでほとんど同一で,固まったように一体化する.
写真23.トラフトンボのの探索相と考えられる状態.
左:生息地の池の周囲の草むらで行われているトラフトンボの交尾.右:トラフトンボの探索相と思われる「交尾態」での飛翔.
これら以外にも,産卵前のヒメサナエやオジロサナエのメスが,産卵場所のすぐ上の葉上に静止してしばらくじっとしている行動や,高速で産卵場所を横切るように飛ぶキイロヤマトンボやオナガサナエのメスの行動を観察したことがあります.オスがこのメスの飛ぶ姿を見つけたときには一気に追いかけますが,メスはまず捕まることがありません.こういった行動は,産卵場所の探索の他に,非警護産卵をするトンボの場合,オス存在の有無を確認しているようにも見えます.
U.休止
産卵エピソードの中には,打水行動や打泥行動の間に,短時間の休止を伴う場合があります.卵塊形成のための静止とは異なる,別な意味での静止と考えられる行動です.ハッチョウトンボ(Tsubaki et al.,1994)で報告されていますが,確かに連続打水の間によく静止します.同様の静止はカオジロトンボでも見られます*4.これはオスの干渉を避けるための行動と思われます.定量はしていませんが,オスがしっかりとメスの近くで警護しているときは,メスの打水回数が増えるような印象があります.カオジロトンボの場合,オスの目に付きやすい開放的な場所で長い時間連続打水産卵をしていると,まず間違いなくオスに追われますし,多くの場合,タンデムから再交尾を強要されます.実際,個体密度の高いカオジロトンボの生息地を訪れてみますと,交尾時間が長いこともあってか,産卵時間帯には交尾態ばかりが目に付きます*5.
写真24.ハッチョウトンボ(左)とカオジロトンボ(右)の休止.カオジロトンボの腹端が濡れているので産卵途中であることが分かる.
コサナエ属では,間欠的な打空産卵中に,メスが数回静止することがよくあります.この静止の意味は,観察しているだけでは,ちょっと見当がつきません.まわりにオスがいなくても静止することがあるので,オスに見つからないための行動であるとも思えません.おそらく,休息をするための静止ではないかと思われます.
また,産卵中に処女飛行に飛び立ったオオイトトンボを捕食したコサナエを観察したことがあります.産卵途中でも,餌動物を目にすると,捕食することがあるということです.このメスは捕食で産卵を中断し,そのまま林の方へ飛んでいきました.これは休止というより中止ですが,一つの事例としてここに紹介しておきます.
写真25.左:フタスジサナエの産卵中の休止.右:産卵中に摂食しているコサナエ.腹部先端が下方に向いており,産卵途中であることが分かる.
キトンボで休止が観察される場合があります.特に冬に入って気温の低い日によく見られます.9,10月の暖かいときにはほとんど見られないので,これは,産卵中に体温が下がり,太陽光を受けて体温を上昇させるための静止だと考えられます.産卵ペアの静止場所は,太陽光が体に対してほぼ直角に当たるような面を持つ地面,白っぽい石,岩の斜面などです.2011年12月29日の観察では,1分程度の打水−打泥産卵行動を続けると,4分程度の静止が行われ,これが9回繰り返されました*6.途中で単独産卵になっても,メスはやはり静止しました.
写真26.キトンボの休止.2011年12月29日の産卵活動.池岸の角度のある白っぽい場所に止まり,太陽光をできるだけ多く受け取ろうとしている.
V.卵塊形成
卵塊形成は間欠打水産卵を行う種によく見られる行動です.連続打水産卵では,メスは打水するたびに少しずつ水中に放卵していると思われますが,間欠打水産卵では,少し時間をかけて産卵弁と第9節腹板の間にかなり大きな卵塊を形成し,それをまとめて水中に放卵します(写真14右参照).卵塊形成は,飛翔しながら行われる場合と,静止して行われる場合とがあります.だいたい種によって決まっているようですが,キイロサナエのように一つの種で両方を行っているものもあります.
卵塊形成といえば,忘れてはいけないのがトラフトンボです.トラフトンボは,卵塊形成の前に必ず一度,打水するように腹端を水に浸けます.そして岸に静止して,1クラッチ*7の卵すべてを,数分かけて1個の卵塊にしてしまいます.そして水面で腹端を引きずるように飛んで,水中に放卵します.卵塊は水に触れると膨らみ,卵がゼラチン質の細いひもの中に収められた状態になります*8.トラフトンボの場合,打水は1回だけですので,枝(1976)は,これを単一打水産卵と呼んでいます.
その他のトンボは,岸や流れの石の上に短時間静止して卵塊形成,飛んで1〜2, 3回打水,...,を繰り返したり,水面上でホバリングして卵塊形成,下降して打水,...,を繰り返して産卵するものが多いです.ホンサナエの場合は,川岸で卵塊形成の後,水面を高速で飛翔して数回打水放卵し,また川岸で卵塊形成をするといった行動を繰り返します.これらは打水という行動が間に入るので,卵塊は水を含んで,丸く膨らんだ形になります.
写真27.キイロサナエの2通りの卵塊形成.静止して卵塊形成を行って打水する方法(左),ホバリングしながら卵塊形成し打水する方法(右).
写真28.左:1クラッチの卵を一気に行うトラフトンボの卵塊形成.右:トラフトンボの卵.水中で水を吸って膨らみ紐状の卵塊となる.
写真29.左:オジロサナエが静止して卵塊を形成している.右:ヒメサナエが水面上でホバリングしながら卵塊を形成している.
停止飛翔産卵をするサナエトンボ科のアオサナエやオナガサナエでは,空中で卵のかたまりができ,それが落下するのが観察できます.これらの種は,卵塊形成の前に打水動作をしないので,卵塊は丸い形にならず,不規則な形状・大きさになります.そして,塊の卵を落下させます.同じ停止飛翔産卵をするダビドサナエ属では卵塊は形成されず,たいがいの場合,卵を一粒ずつ落下させているようです(写真15,左右の比較).
空中産卵をするコサナエ属は,ホバリング飛翔の後,体全体を振って卵をばらまくという,間欠的な打空産卵をしています.産卵を観察していても,形成された卵塊や落下する卵塊がほとんど見えません.これは,放卵直前の非常に短い時間に,卵が塊になって産卵弁から押し出され,その後の打空動作によって,卵がばらばらに飛び散っているためのようです.これを,ここの文脈での卵塊形成と言ってよいかどうかは論議すべきところだとは思われますが,記録としては数少ないものと思われますので,紹介しておきます.
写真30.停止飛翔産卵をするサナエトンボ科の卵塊形成.左:オナガサナエ,右:アオサナエ.いずれも卵塊の形は不規則で小さい.
写真31.間欠打空産卵をするコサナエ属タベサナエ.形成された放卵直前の卵塊(左)と腹部を岸の方へ振って放卵した瞬間(右).
W.飛び去り前の行動*9
全ての放卵が終わって,産卵エピソードの最後を締めくくる行動のことです.一般的には,メスが飛び去っていくというだけで終わることが多いわけですが,いくつかの種においては特徴的な行動が見られることがあります.その一つが,オナガサナエやアオサナエに見られる打水行動です.空中での放卵行動が終わると,1,2回程度打水してから上空へ飛び去ります.これはおそらく残った卵の放出や産卵弁の清掃を行っているのではないかと思われます.
これ以外には,産卵後疲れたのか,しばらく付近で静止状態になってから飛び立つ場合があります.またムカシトンボのように,春早く,上流の気温が低いところでの産卵などでは,体温を上げるためか,ほんの短時間,翅をその場で震わせてから飛び立つ場合もあります.
*9.Corbet(1999)では,Bick & Bick(1963)を引用して,放卵行動が終わった後の飛び去り前の時期を終局相 terminal phase と呼んでいる.
写真32.左:産卵終了後,すぐ上にある葉の上に止まる(ヒメサナエ),アオサナエが産卵エピソード最後に打水(というか着水)して飛び去る.
トンボの生態学 3.産卵とその行動
産卵に関係したさまざまの行動や状況
トンボの産卵には,以上述べてきた以外に,種によってさまざまの特徴的な行動・状態・状況が見られます.ここではそういったことについて述べていくことにします.具体的には,警護産卵,非警護産卵,潜水産卵,グループ産卵,産卵中の他の生物との関わりについて見ていきましょう.
T.警護産卵
警護産卵とは,メスの産卵時に,そのメスと交尾したオスが何らかの形で関わった状態での産卵行動を意味します.警護には「オスが護る*1」という意味がありますが,何から何を護るかということをまず明らかにしておかなければなりません.詳細な話はオスの繁殖戦略の節でお話しすることにしていますので,ここでは,次の事実だけを述べておきます.それは「トンボの卵が受精するのは放卵の直前で,そのとき,最後に交尾したオスの精子と最も多く受精する」ということです.
この事実はオスにとっては非常に重要なことで,メスが産卵する前に,自分がそのメスの最後の交尾相手にならないと,自らの遺伝子を受け継いだ子孫を多く残せないということになるわけです.自分が交尾した後に他のオスが交尾してしまうと,そのメスはその別のオスの遺伝子を受け継いだ卵を多く産んでしまうことになります.ですから最後に交尾したメスを他のオスに取られないように,産卵が終わるまで交尾メスを「護る」行動が進化してきたのだと考えられています.これが警護産卵です.
縄張りを形成するトンボでは,縄張りオスは自身の縄張り内に入ってきたメスと交尾し,縄張り内で警護しながら産卵させることが多く見られます.その場合,他のオスに対し縄張りを防衛することが,即,メスに自身の遺伝子を持った卵を産卵させることにつながります.縄張りには先住効果があるので,縄張り内で産卵させることは,自分の精子で受精した卵を産ませるには効果的だといえるでしょう.
警護産卵には,接触警護と非接触警護があります.接触警護はいわゆるタンデム状態での産卵で,連結産卵とも呼ばれます.非接触警護は,オスが交尾メスのそばで飛翔または静止して,産卵メスを見まもり,他のオスが来たらそれを追い払うといった警護です.日本産のトンボいうと,接触警護は,均翅亜目のアオイトトンボ科,モノサシトンボ科,イトトンボ科の多く,不均翅亜目のトンボ科アカネ属,ヤンマ科のギンヤンマなどで見られます.非接触警護は,均翅亜目ではカワトンボ科,ヤマイトトンボ科,不均翅亜目ではトンボ科などに見られます.
*1.警護産卵は guarded ovi- position と英訳されます.つまり産卵するメスの立場から言うと「警護された産卵」という意味になります.警護するのはもちろん交尾オスです.
写真33接触警護産卵:アオイトトンボ科オオアオイトトンボの連結植物内産卵(左),イトトンボ科オオイトトンボの連結植物内産卵(右).
写真34.接触警護産卵:トンボ科ナニワトンボの連結打空産卵(左),ヤンマ科ギンヤンマの連結植物内産卵(右).
写真35.非接触警護産卵:カワトンボ科アサヒナカワトンボの非接触警護(左),トンボ科オオシオカラトンボの非接触警護(右).
以上は,交尾オスと他のオスの関係という側面で見たものですが,警護にはもう一つ別の側面があるのではないかと考えられます.それは,交尾オスとそのパートナーのメスとの関係です.あるメスと交尾したオスは,そのメスに逃げられてしまっては精子という資源の無駄遣いになる可能性があります.ですからそのメスにその場ですぐに産卵してもらわないと,確実に自分の精子で受精した卵を産んでもらえません*2.そこで交尾した後,そのメスにある程度「強制力」を持って産卵を促すという側面があるのではないかということです.
この視点については,次のような観察事実を挙げておきたいと思います.一つ目は,他のオスがいないときでも,しばしばオスは警護を行うことです.広い草原で,ナツアカネが1ペアだけ連結打空産卵をしているのをよく見ます.
二つ目は,産卵意欲のないメスに強制的に産卵させようとするオスの行動です.これは,マイコアカネで観察しました.産卵が終わって逃げようとしたメスと交尾したのでしょうか,オスが連結打水をしようとメスの腹端を水面に当てようとしますが,メスはそれを拒否します.結局このペアは,無駄な上下動を繰り返した後,連結したままメスが草に捕まって,オスの動きを封じてしまいました.そしてオスは連結を解き,飛び去りました.この観察から,オスはある程度の強制力でメスに産卵をさせようとしていることが分かります.この行動はその日2例観察されました.
三つ目は,オオシオカラトンボでの観察例です.オスは交尾を解いた後,飛んでいるメスの上からメスに体当たりしてメスを押し下げ,メスの産卵を促そうとすることがあります.また,逃げようとするメスをこれまた体で阻止し,囲い込むような動きもします.これらは,オスがメスに強制的に産卵させようとしている行動ではないかと考えられます.*3.
*2.交尾後,産卵までの時間が大きく空くトンボについては,オスは別の戦略を持っているようです.これについては,繁殖戦略の節で述べる予定です.
*3.オオシオカラトンボがメスを上からたたいて産卵させようとする行動は,以下のビデオに映像があります.
=
オオシオカラトンボ −繁殖活動−
写真36.産卵意欲のないメスを強引に産卵させているマイコアカネのオス.左のメスは脚を伸ばし,腹部を通常より上に反らして,産卵を拒否している.小さなウィンドウはメスの通常の産卵姿勢で,脚を縮め腹部はまっすぐである.右は,このペアのメスが草にしがみついて,オスが飛ぶのを阻止しようとしている.
接触警護産卵のうち,植物内産卵を行ういくつかの均翅亜目のトンボでは,オスがメスの前胸をつかんだ状態で直立するものがあります.これは歩哨姿勢*4と呼ばれる姿勢です.Corbet(1999)には,「この姿勢には,オスが周りをよく見渡せるためカエルの補食に対してより警戒できること,同種のタンデム個体を誘引すること,産卵可能な場所の拡大(接近して産卵できる;筆者註),オスの体温上昇の防止,タンデム切り離しに対する物理的障害になる」といった効果が書かれています.モノサシトンボ科によく見られます.イトトンボ科でも種類によってはよく観察されます.
モノサシトンボ科のグンバイトンボでは,歩哨姿勢をとって産卵しているときに,他のオスやタンデムが近づくと,軍配状の中肢・後肢を広げて,威嚇するような行動をとるのが観察できます.ホソミイトトンボでは,翅をブンブン震わせて威嚇するような行動をします.
*4.歩哨姿勢 sentinel position,または Agrion position.
写真37.歩哨姿勢:他のオスの接近に対し威嚇するグンバイトンボ(左),歩哨姿勢をとっているので接近して産卵可能(ホソミイトトンボ;右).
接触警護産卵は,必ずしも産卵エピソードの最初から最後まで持続するものではありません.種によっては,途中でオスがメスを放し,非接触警護に移行するものがあります.アカネ属ではしばしば観察されます.
U.非警護産卵
トンボの中には警護が行われずメス単独で産卵する種もたくさんいます.交尾と産卵の間が長く空くようなトンボは,だいたいが非警護産卵を行い,メスは,むしろオスを避けるように,オスのいない場所や時間帯に産卵することが多いようです.サナエトンボ科,ヤンマ科,オニヤンマ科,ミナミヤンマ科,ミナミヤマトンボ科,ヤマトンボ科,エゾトンボ科などに多く見られます.イトトンボ科の中ではアオモンイトトンボ属やモートンイトトンボ属が,少なくとも日本産の種については,単独産卵を行っています.トンボ科など警護産卵を行う種では,途中で警護が放棄されて非警護の状態になることがあります.
非警護産卵を行うトンボでは,オオルリボシヤンマのように,オスが産卵メスのそばに来てもタンデムに至らないことが多いようです.むしろ,産卵を中断して,オスから逃げる行動が多く見られます.時には逃げ切れずに,水面や地面にたたき落とされて,強引にタンデムを形成され交尾に至ってしまう場合もあります.ヤブヤンマの観察では,強引にタンデムにならされたオスに対し,産卵していたメスが暴れまわり,樹木の中にもつれるように落ちた後,ついにオスの腹端に噛みつきました.徹底した交尾拒否行動です.このようなメスの行動や状況を見ていると,非警護産卵をするメスは,オスの存在を忌避する傾向があると思われます.
アオモンイトトンボやモートンイトトンボのメスは,午前中に長時間交尾を行った後,午後にオスが飛んでいるような水辺や湿地で産卵します.しかし,オスはこれらの産卵メスに対して干渉することは非常に少ないようです.この状況からは,オスやメスの活動に日周性の存在が示唆されます.
写真38.イトトンボ科で単独産卵を行うトンボ:モートンイトトンボ属モートンイトトンボ(左),アオモンイトトンボ属アオモンイトトンボ(右).
写真39.左:単独で産卵するオオルリボシヤンマはオス(左上)が来てもまずタンデムにならない.
右:単独産卵をしていたタベサナエのメスがオスの接近を感知して,飛翔を止めて草むらに落ちた後,落ち葉の陰でしばらく様子を見ているところ.
写真40.左:単独で産卵していたサラサヤンマのメスがパトロールするオスに見つかり,地面にたたき落とされてタンデムを強要されようとしている.
右:単独で産卵していたヒメサナエのメスが,付近に止まっていたオスに見つかり,水面にたたき落とされてタンデムを強要されている.
写真41.左:単独産卵していたメスに強引にタンデム形成したオスが,メスが暴れたためうまく飛べず,樹木の中に転がり落ちた.
右:左の写真のペアが飛び立ち別の木に止まったとき,メスがオスの腹端に噛みついていた(ビデオの切り出し).
V.潜水産卵
潜水産卵とは,体全体を水面下に没して産卵することをいいます.状況によっては翅の一部が水面上に出ている場合もありますが,潜っているメスにとっては,生理的には潜水状態と同じであると思われます.ここでは,翅の一部が水面上に出ていても,それ以外の体全部が水面下に没している場合を潜水産卵と呼ぶことにします.
潜水産卵は均翅亜目だけに見られると言ってよいでしょう.コシボソヤンマなどでは,かなり水面下に入り込むことがありますが(写真43左),体全体が完全に水面下に没することはないと思われます.ほぼ常態的に潜水産卵をする種もあるようで,ルリイトトンボはその典型です.アオハダトンボやミヤマカワトンボもしばしば潜水産卵をします.クロイトトンボ属をはじめとしたイトトンボ科のトンボも,ときどき潜水産卵を行います.その他,私は見たことがありませんが,アオイトトンボも潜水産卵をすることが観察されています(安藤,1969).
写真42.潜水産卵:常態的に潜水産卵するルリイトトンボ(左),しばしば潜水産卵が見られるアオハダトンボ(右).
写真43.左:完全には水没していないが,体のかなりの部分が水中に没しているコシボソヤンマの産卵.右:ムスジイトトンボの潜水産卵.
不均翅亜目のトンボが潜水できないのは,「翅が開いているために水面を通過しにくいからかもしれない(Corbet, 1999)」からと考えられています.私は,力学的に表面張力を突っ切るのが難しいというだけでなく,翅がべたっと水面に接したとき,翅が水面に貼り付いてしまい,水面から脱出できなくなる危険性があるからではないかと考えています.これは,何らかの原因で水面に落ちた不均翅亜目のトンボが,水面から脱出できず,もがいているという何例かの観察が,その根拠になっています.
写真44.何らかの原因で水面に捕らえられた不均翅類のメス.左:ギンヤンマ,右:ホンサナエ.
いずれも,翅の下面と水がぴったりと貼り付いている.ギンヤンマでは水面上に位置する翅の下面部分にも,分子間引力で水が入り込んでいる(矢印).そのため,ギンヤンマは翅を水面から持ち上げられないように見える.
それに対して均翅亜目のトンボは,閉じた翅を立てて潜水しますから,表面張力による水面の抵抗は最小です.さらに均翅亜目のトンボが潜水しているとき,翅や体の表面が銀色に輝いているのを目にすることがあります.これは気泡がそれらの表面に付いているためです.気泡が付くと翅が直接水に触れることがなく,翅が水に捕らえられにくくなります.さらにこの気泡は,潜水中のガス交換にも役立っていると考えられています(Corbet, 1999).
写真45(左).体が銀色に輝くクロイトトンボの潜水産卵 / 図2(右).気泡がガス交換を助けていることを示す模式図.
均翅亜目のトンボは,多くが警護産卵を行っています.潜水時のオスの警護はどうなっているのでしょうか.結論から言うと,多くの場合,潜水時も警護を続けています.ただ,警護のあり方は種それぞれです.接触警護をしているイトトンボ科のクロイトトンボ,ムスジイトトンボ(写真43右),オオイトトンボ,ホソミイトトンボなどは,タンデムになったまま潜水するのをよく観察します.ルリイトトンボは,タンデムで潜水していることもありますが,たいがいオスは潜水時に離れ,水上でホバリング飛翔したり,浮葉植物の葉上に止まったりして警護しています.アオハダトンボでは,警護オスは近くに止まっていたり,時々潜水しているメスの上空を飛んだりして警護をしています.
ルリイトトンボでは,交尾オス以外のオスが交尾オスとともに潜水産卵メスを見まもっている姿がよく観察されます.そして単独潜水メスが浮上してくるとき,交尾オス以外のオスがタンデムになろうとメスに乗りかかっていくのが,しばしば観察されます.
なお,潜水産卵のような危険性を伴う行動が進化してきた理由について,Corbet (1999)では,気化冷却による体温調節の可能性,オスに干渉されず産卵場所を選べること,水位が下がっても乾燥する可能性が少なくなる(Fincke, 1986を引用)こと,などの利点を挙げています.
写真46.左:アオハダトンボの潜水産卵メスの飛翔警護,右:ルリイトトンボの潜水産卵メスの飛翔警護.(矢印が潜水産卵メス)
写真47.ルリイトトンボの潜水産卵メスの静止警護.複数のオスが葉上に止まっているが,黄色矢印のオスが交尾オスである.
W.グループ産卵
トンボの産卵を観察していると,単独メスやタンデム状態のペアが一カ所に複数集まって産卵している姿をよく目にします.単独メスの場合,それら複数のメスをまとめて警護しているオスが近くにいる場合があります.ふつう,これらの産卵をしている個体どうしは互いにほとんど干渉することはありません.こういった状態をグループ産卵と呼びます.
グループ産卵は,産卵時間が長時間にわたる植物内産卵の種に多く見られます.飛びながら産卵をする不均翅亜目のトンボは,せいぜい数分と産卵時間が短いため,集団を形成しにくくなります.しかし,気温の低くなる秋など,産卵に適した時刻が限られている場合には,集団で産卵しているのを見かけることがしばしばあります.これらも定義上はグループ産卵に分類してよいと思いますが,目的やメリットを考えることのできるグループ産卵とはいえないかもしれません.
グループ産卵を観察していると,メスや産卵ペアがパッチ状に存在する産卵基質を探索している間に,結果として集合したのか,それとも先に産卵しているメスやペアに誘引効果があって,他のメスやペアが集まってくるのか,という疑問がわいてきます.これについては,Martens(1993)が,歩哨姿勢をとって産卵するイトトンボ科の Pyrrhosoma nymphula を使って,次のような実験をしています*5.浮葉植物のオヒルムシロ Potamogeton natans の葉を2枚並べ,その間にオスを直立させメスの腹部を産卵しているように曲げたタンデムの標本を固定します.そして標本を置いた実験区と葉だけの実験区で,どちらにより多く他のペアがやって来て葉上に止まるか,その数を比較したものです.結果は,有意に標本のある方に多く止まりました.つまり,すでに産卵しているペアに誘引効果があったということになります.ただし,これをもって,すべての種のグループ産卵が,すでに産卵しているメスやペアの誘引効果によって生じているとは言い切れません.
グループ産卵が,単独の産卵よりメリットがあるのかどうかについてはいろいろな考え方があるようですが,まだ推量の域を出ていないようです.しかし,たくさんの産卵個体がいるところは,適切な産卵基質があり,捕食者がいない安全な場所である,ということはいえそうですから,誘引効果によるグループ産卵は,そういった場所をコストを使わずに探せるという点ではメリットになるでしょう(Corbet, 1999参照).
*5.関連実験はCorbet(1999)に複数紹介されている.
写真48.単独メスのグループ産卵:
左:ハグロトンボ,写真には写っていないが,近くに警護オスがいる.右:アオハダトンボ,上のオスが下の5頭のメスを警護している.
写真49.タンデムペアのグループ産卵:歩哨姿勢をとるグンバイトンボ(左),アオイトトンボの連結植物内産卵(右).
写真50.不均翅亜目のグループ産卵:
左:オオシオカラトンボ,2頭のメスが1頭のオスの警護下で産卵している.オスはシオカラトンボと闘争もしている.
右:タイリクアカネ,これは,10月下旬という限られた産卵適時刻の故に,単に集団になっているだけの可能性が高い.
X.産卵中の他の生物との関わり
メスやタンデムペアは,産卵中に思いがけない事態に遭遇することが時々あります.ルリボシヤンマのメスが腹部を水中に入れて産卵していると,何らかの水生動物が腹部に噛みついたのか,腹端を水中に入れたままそれを引きずるように水面を飛び回るのを観察したことがあります.オナガサナエは産卵の終局相で打水しますが,打水したときに水中に繁茂していたコカナダモに腹端が引っかかり,飛び上がれず水面に落ちました.ルリイトトンボは,潜水産卵からの浮上時に,アメンボに攻撃されるのを何度も観察しましたし,潜水中に水ダニに寄生されることも多いようで,多くのメスにたくさんの水ダニが付着していました.キトンボでは,ペアがクモの巣にかかってしまったのを観察しました.
産卵行動は,接触産卵の場合はほとんど静止状態,動きを伴う非接触産卵でも,限られた範囲でパターン化された動きをすることが多く,捕食者にとっては格好の獲物になります.捕食者としては,カエル,肉食魚,他のトンボ,鳥といった動物になります.カエルが,停止飛翔産卵をするヒメサナエ,土中産卵するヤブヤンマ,水面上で連結植物内産卵するクロイトトンボなどを襲った例を観察しています.肉食魚では,オオクチバスが,探索相にある交尾態のトラフトンボが水面低く飛んでいるとき,ジャンプ一口,オスメスとも捕食したり,ギンヤンマのペアが水面の植物に止まったとたん,水中から現れたオオクチバスにパクリとやられたのを観察しています.オオクチバスは,オオキトンボやタイリクアカネのような打水産卵をするトンボにも,よく飛びつきます.
飛び回って産卵する接触産卵のペアや単独メスをもっともうまく捕食するのは,大型のヤンマです.クロスジギンヤンマが,パトロール中に,ネキトンボの産卵ペアを捕食したのを観察しました.またアカネ属の産卵観察では,ペアが産卵に集まる時刻になると,産卵場をギンヤンマのオスが複数飛び回るようになります.これは,動きがぎこちなくなるタンデム態のペアをねらって集まっているようです.実際,産卵中のオオキトンボ,キトンボ,マイコアカネを捕食した例を観察しています.シオカラトンボが水面で産卵場所を探しているムスジイトトンボを襲撃するところを観察したこともあります.この場合,ムスジイトトンボはそのまま水面に落下し,動くのを止めて逃れました.
写真51.左:コカナダモに腹端がかかり,水面に落ちて,水に捕らえられ,もがいているオナガサナエのメス.こうなると脱出はほぼ不可能になる.
右:潜水産卵して浮上して来たところを,アメンボに襲撃されているルリイトトンボのメス.
写真52.左:オオクチバスがジャンプして,水面上20cmくらいの所を飛んでいたクロイトトンボのタンデムペアを捕食したところ.
右:キトンボの産卵ペアがジョロウグモの巣にかかってしまった.クモは栄養価の高いメスのほうを食している.
写真53.左:オオキトンボの産卵ペアがギンヤンマに追いかけられている.右:捕まった瞬間.この後,オスはメスを放して逃れた.
写真54.左:産卵中のクロイトトンボのタンデムペアに,突如飛びかかるウシガエル.クロイトトンボは難を逃れた.
右:産卵基質を探して水面低く飛んでいたムスジイトトンボが,シオカラトンボに急襲されて,とっさに水面に落ちて浮かんだところ.
産卵するトンボたちはこのように捕食者にねらわれることが多いのですが,こういった捕食圧は,捕食されにくくなるような産卵行動を進化させる力となるはずです.すでに紹介した歩哨姿勢やグループ産卵は,この文脈で理解することが可能です.
打水産卵をするアカネ属のトンボでは,オオキトンボ,タイリクアカネ,ミヤマアカネのように生物相の豊かな池や川の中央でも打水産卵する種は,打水後,水面からかなり高く飛び上がります.これは魚の補食に備えた行動なのかもしれません.一方,コノシメトンボやアキアカネのような,一時的水域や浅い湿地水域を好む種では,打水後あまり水面から高く上昇しません.こういった水域では,水中に魚が待ち伏せしている可能性が低いので,特に高く飛び上がることなく,無駄なエネルギーを使わないこの方法が進化したと考えることが可能です.もっともこれは遺伝子に刻み込まれた「戦略」というよりは,状況によって行動を変える「戦術」のようです.
この考えを補強できそうな産卵行動をビデオに撮ることができましたので,最後に紹介しておきましょう.ビデオ1 は,コノシメトンボの産卵です.一時的水域ではなくふつうのため池での産卵行動です.このペアは岸近くで打水産卵をしています.このとき,水際に草が生えていて捕食者のカエルが隠れやすいような場所では,打水後このペアは逃げるように高く水面から離れます.これはちょうど写真55左のミヤマアカネ的な動きです.一方同じペアが移動して,見通しのよいコンクリート護岸の岸近くで産卵するようになると,今までと全く違い,打水後ペアは上昇しなくなります.写真55右のアキアカネのように,オスの胸部を中心に円弧を描くような動きに変化します.同じ産卵ペアが連続的にこのように動作を変えるのは,やはり捕食者の存在を警戒してのことだと言えるのではないでしょうか.
写真55.打水行動の後の動きを示した合成写真.毎秒4コマの連続写真のうち打水後の3コマ,つまり約3/4秒間の動き.
左:ミヤマアカネの打水後の動き.オス・メスが一緒になって,約3/4秒後に水面からかなり高く上がっていることが分かる.
右:アキアカネの打水(泥)後の動き.オスの胸部を中心にして円弧を描くようにメスを持ち上げていて,オスの水(泥)面からの高さは変わらない.
ビデオ1.コノシメトンボの産卵.打水場所まわりの環境の違いで,打水後の動きの変化が起きることが観察できる.岸近くで産卵しているとき,岸に草が生えていて,捕食者のカエルがひそんでいそうな場所では打水後高く上昇する.一方見通しのよいコンクリート護岸の場所では,打水後の上昇は小さい.
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