トンボ歳時記総集編 9月中旬−10月

絶滅危惧種のアカトンボたち
写真1.丘陵地にある,草原と疎林に囲まれた浅い皿池.

 兵庫県には,絶滅危惧I類のトンボが5種記録されています.そのうち2種がアカネ属で,マダラナニワトンボとオオキトンボです.この2種は,兵庫県では対照的な運命をたどっています.マダラナニワトンボはおそらく県内絶滅,オオキトンボは20−30年前に比べると,その姿を各地で見かけることが多くなったように感じます.これはそれぞれの生息環境が大きく異なるからです.こういったことも含めて,季節的消長を追いかけていくことにしましょう.

 マダラナニワトンボは,日本の北方では湿原に生息するのが一般的のようです.兵庫県では湿原ではなくため池の生活者です.ただし,生息している(た)ため池には特徴があります.遠浅である,秋には毎年のように水が落とされ岸の部分が大きく広がる,そうでない場合は岸の部分に湿地状の広がりがある,まわりにマツなどの疎林がある,水の透明度が高い,などの特徴を有する池です.しかし最近は,池の環境の見た目の変化がまったく感じられないのに,ある年に突然姿を消すという事例が複数見られ,ため池に流入する薬剤の影響が疑われます.最後と思われる生息地もその一つで,最後に姿を見たのは2016年です.以来兵庫県での目撃情報は途絶えたままです.
 さて,私がマダラナニワトンボに初めて出会ったのは,1990年10月9日でした.写真2がそれです.写真1の池の,岸に生えている禾本科植物の群落の上で,連結打空産卵をしています.このときに見た光景は今でもはっきりと目に焼き付いています.無数の,本当に数え切れないくらいのマダラナニワトンボのペアが,禾本科植物の上で,ふわりふわり上下動をしながら,産卵をしていました.このときは,その20年ほど後に,ここから姿を消すなどとは想像すらできないくらいでした.ここでは2010年を最後にマダラナニワトンボは姿を消しました.















写真2.10月9日.かつての大産地で連結打空産卵を行うマダラナニワトンボのペア.

 マダラナニワトンボは,6月から7月にかけて羽化していたのではないかと思われます.6月,7月に終齢幼虫が採れました.羽化殻の採集記録が6月に2例,成虫の目撃記録が6月20日にありました.7,8月の未熟な時期の個体は,周辺に広がる疎林内で生活していました.この時期の観察記録は少ししかありません.
 繁殖活動は9月の中旬以降に見られ,10月の上旬に最盛期を迎えます.この頃の朝に生息地を訪れますと,まだマダラナニワトンボの姿はありません.マダラナニワトンボは繁殖池のすぐ近くにある疎林の木の枝の先などに止まっています.

写真3.9月20日.9:33.繁殖活動を始める前,池周囲の木に止まっているマダラナニワトンボのオス.左上の丸内と同じ個体である.
写真4.10月13日.左は10:13で,間もなく繁殖活動が始まる時間.池に現れて池畔の木の上で様子をうかがっている.右は繁殖活動終了後の静止.

 マダラナニワトンボの繁殖活動の開始は,11:00過ぎです.まず,池にやって来たオスが,ホバリングを交えながら,産卵場所の上を飛びます.これはメスを待つためのパトロールのように見えますが,このオスがメスを捕まえて交尾になるというシーンは,ほとんど見ることがありません.産卵に訪れるのはすでに連結になったペアがほとんどで,単独産卵にやって来るメスはわずかです.ですから池岸の上空を飛んでいる単独オスは,ペアを見つけられなかった可哀想なオスではないかと思ってしまいます.

写真5.9月20日.池岸の湿地状の部分でホバリングしながら飛翔するオス.
写真6.左:10月13日,右上:9月21日,右下中:10月13日,右下:10月11日.産卵活動が始まる前,産卵場所でこういったオスの単独飛翔が見られる.

 マダラナニワトンボは連結打空産卵を行います.連結打空産卵を行う種は共通して陸上に卵を落とします.マダラナニワトンボは,多くの場合,植物が生えている岸で産卵を行っています.植生の中に卵をばらまくという感じです.ふわふわと上下動をしながら,卵を一つずつ落としていきます.

写真7.9月21日.ふつうの池の岸部分で産卵しているペアたち.左は卵が落ちているのが分かる.
写真8.9月21日.池岸の湿地状の部分に生えている草むらの中で産卵を続けるペア.
写真9.9月21日.あちこち移動しながら,かなり長時間産卵を続ける.
写真10.10月13日.背景に池が見えるが,池岸の背の高い草の上で産卵を続けるペア.
写真11.10月13日.10月のこの時期が産卵する個体が一番多いように思える.
写真12.10月16日.連結打空産卵するペアのアップ.翅の動きが同調している.

 産卵活動の後半,オスがメスを放して,メスが単独産卵に移行することがあります.オスはしばらく,あるいは最後まで,単独メスの産卵を警護します.産卵が終わったメスは一気に上空へ舞い上がり林の方に消えていきます.稀に池岸の木の枝などに止まって,遊離性静止産卵を行うことがあります.また遊離性静止産卵ではありませんが,ペアのオスが疲れたのか,枝先に静止してしまい,そのままメスが体を振って卵を放出するという,「静止打空産卵(勝手に命名!)」を行うペアを見たこともあります.

写真13.10月13日.産卵するペア(左)のオスがメスを放し単独産卵に移行(中).稀に遊離性静止産卵をし(右下).産卵が終わると上空へ舞い上がる(右上).
写真14.10月16日.「静止打空産卵!?」を行うペア.オスは翅の動きが止まっているが,メスは羽ばたいているのが分かる.そして卵を放出している.
写真15.10月16日.このメスは上の写真の「静止打空産卵」をしていたメスで,オスがメスを放した後,単独産卵に移行したものである.
写真16.10月16日.写真14の続きで,移動しながら,水面に近くまで行って産卵を続けるメス.産卵終了後には静止した(右下).

 このように,禾本科植物を中心とした植生が茂る岸辺で産卵することが多いマダラナニワトンボですが,環境によっては,湿土上に産卵する場合もあります.この場合,水面上にも出て行って,水から顔を出している泥の小山に産卵したりします.

写真17.10月16日.産卵中,マダラナニワトンボはあまり水面には出て行かないが,この例では珍しく,池の中にある泥の小山の上で産卵している.
写真18.10月16日.湿土上で産卵するマダラナニワトンボ.池に現れている単独オスが産卵ペアに干渉している(下左).

 産卵は12:00を過ぎるころにだいたい終わります.その後は,オスもメスも日向に止まって,摂食活動などを行いながら過ごしています.オスは池にとどまっていることも多いですが,メスは少し離れた草地で過ごしているようです.
 その後,11月上旬まで姿が見られ,11月中には没姿するようです.2016年10月10日以来姿が見られていませんが(写真19左),新たな生息地発見を期待しながら,調査を続けています.

写真19.左:10月10日,右:10月13日.午後のひとときを過ごすマダラナニワトンボのオス(左)とメス(右).左は私が兵庫県で見た最後の個体である.

 では次はもう一つの絶滅危惧IB類のオオキトンボにいきましょう.オオキトンボは,今から20−30年ぐらい前は,限られた場所でしかその姿を見ることができませんでした.ただ,生息地へ行けば個体数は結構いました.マダラナニワトンボと同じところでもよく見られました.しかしこの15年ほど,結構あちこちでその姿が見られるようになったように感じられるのです.コンクリート護岸された池にさえ飛んでいます.
 観察に出かけますと,面白いことに,オオキトンボしかいない池,というのに結構当たります.オオキトンボは,遠浅の皿池が秋に水落をして,岸の部分が大きく広がったような池に集まってきます.こういう池はアカトンボの好みの池でもあります.ですから,以前は色々なアカトンボに混じってオオキトンボが飛んでいました.しかし最近は他のアカトンボが激減しているためか,それらの姿がなく,オオキトンボだけが飛んでいるのです.

写真20.10月6日.コンクリート護岸の池で繁殖活動をしているオオキトンボ.こんなありきたりの池で繁殖するなんて,絶滅危惧IB種とは思えない.
写真21.10月7日.水を落として岸部分が広く広がったため池.オオキトンボはこういった場所を好んでいる.

 その理由については,想像するに,播磨地域のため池の水落が奨励されるようになったからではないかと思うのです.真偽のほどは確かではありませんが,オオクチバスを釣りに,兵庫県のため池に各地から釣り客がたくさんやって来るのを減らすためだと聞いたことがあります.いずれにしてもその結果,多くのため池が,オオキトンボの産卵に適した環境になったというわけです.
 もう一つ大きな理由があります.オオキトンボは移動性が高いトンボであるということです.オオキトンボは6月頃に羽化しています.消長図を見て分かると思いますが,9月中旬までほとんど目撃例がありません.この未熟な時期,どこで生活しているかよく分からないのです.羽化した池からかなり移動して,人目に付かないところで生活しているのでしょう.これは羽化した成虫が,空高く舞い上がるように飛び上がり,見えなくなるほど遠くまで飛び去ってしまうことからも,まず間違いないことです.

写真22.6月21日.翅はすっかりと乾き,これから移動するオオキトンボの未熟な個体.その後,一気に上空へ舞い上がって姿が見えなくなった(右上).
写真23.6月28日.羽化直後のオオキトンボのメス.翅が濃い黄色をしていて,独特の美しさである.

 そして秋になると,その生活場所から繁殖場所に適したため池を探しに,また大移動をするのです.全国一と言われる兵庫県南部のため池の多さに加え,水落をしたため池の数が増えると,オオキトンボは簡単に繁殖場所を見つけることができるはずです.また数がたくさんあれば,仮にある池に薬剤が流れ込んでいたりして繁殖に適さなかったとしても,別の池では繁殖に成功することができます.つまりあちこちに分散して産卵することで危険分散が可能になると考えられます.いいかえると,オオキトンボの生活範囲の中にたくさん繁殖に適した池があり,そのとれかで繁殖に成功できるとすれば,次の世代を確実に増やしていけるということです.
 よく似た生活を送っているトンボに,タイリクアカネがあります.タイリクアカネがオオキトンボといっしょに繁殖活動している姿を最近頻繁に観察します.一方ため池で減っているトンボは,マイコアカネのように,通常の生活史の中で大移動を伴わないトンボです.こういったトンボは,その池が何らかの理由で繁殖に適さない状況になると,そこから消えていきます.そして次第に生息地が分断化され,孤立化して,減少の一途をたどるということになります.
 こういった意味で,オオキトンボの生活のあり方が,今の環境悪化を乗り越えるトンボを代表しているように思えます.

写真24.10月26日.左:タイリクアカネ(下)とオオキトンボ(上)が同じ池で産卵している.右:タイリクアカネとオオキトンボの異種間連結も見られた.

 さて,オオキトンボが繁殖活動を行うために池に帰ってくるのは,9月の下旬頃からです.9月に現れるオオキトンボは,非常に若々しい個体です.体色も明るい黄色です.繁殖活動については,9月には,私はまだ観察したことがありません.オスが池に現れて,止まったり飛んだりしているのを観察するのが中心でしょう.

写真25.左:9月21日,右上:9月26日,右下2枚:9月20日.9月の下旬に池に現れたオオキトンボ.若々しく新鮮な感じに見える.

 10月の上旬になりますと,各地の池で繁殖活動が見られ始めます.朝10:00を過ぎたあたりに,まずオスが池に現れます.日当たりのよいところで,オスは池の上に出て,ホバリングを交えて飛行をします.かなり長い間ホバリングをすることもあります.

写真26.10月2日.10月に入りたてのオオキトンボ.まだ体色は緑味がかった黄色で,メスの腹も白っぽい.若い個体の交尾である.繁殖活動が始まった.
写真27.10月12日 10:12.10月,繁殖活動が盛んな時期のオオキトンボのオス.体色がやや赤みがかってきた.
写真28.10月12日 10:25頃.池の岸近くでホバリングをしているオス(左)とその拡大(右).前後の翅を交互に羽ばたかせホバリング状態であることが分かる.

 他の多くのアカネ属のトンボと同じで,ここにメスがやって来て交尾に至るというシーンはあまり観察できません.産卵にやって来るタンデムペアは,どこかで交尾を済ませてから池に入ってくるようです.ですから,池にいるオスは,メスが見つからなかった個体である可能性が高いのです.産卵は開けた水面で連結打水産卵,または水際の湿地状になった部分で連結打泥産卵を行います.オオキトンボが集まってくる池は,上で述べたように,水を落として岸の部分が大きく広がった池です.ですから,この泥状の水際部分で連結打泥産卵をする個体が多いです.しかし,面白いことに満水の池にも現れ,その場合,かなり岸から離れた池の中程で連結打水産卵をするのです.かなり池の状況に対する適応性が高いように見えます.

写真29.10月12日 10:40頃.池の中央近くで打水産卵を続けるペア.かなり深く腹端で水を掻いていることが分かる.
写真30.10月12日.水が落とされて露出した底部分で連結打泥産卵をするペア.アカウキクサが泥の上に打ち上げられている.
写真31.10月12日.池岸の水際で打泥産卵するペア.産卵が終わるとオスはメスを放し,メスは空高く舞い上がって池を去る(左下).
写真32.10月19日.水落をした池の水際で産卵を続けるペア.
写真33.10月19日.産卵するペアをあぶれたオスが追いかけている(右上).産卵が終わって,メスを放すのを待っているのかもしれない.

 オオキトンボのあぶれたオスは,産卵の終わったメスを捕まえて池の近くの草原で交尾をすることがあります.この交尾は,多分その後の産卵につながらないでしょうから,あまり意味がないように思えます.次にこのメスに産卵意欲ができたときには,多分別のオスがそれを見つけて交尾すると思われるからです.
 しかし一方で,あぶれたオスにもチャンスがあります.それは,ときどきですが,メスが単独で産卵にやって来るときがあるからです.最後まで諦めないオスの努力が実を結ぶときがあるということですね.

写真34.左下:10月26日,他:10月19日.単独で産卵にやって来たメス(左).産卵が終わってオスが放したメスを捕まえて交尾しているオス(右).
写真35.10月19日.単独で産卵に入ったメス(写真34左上)を捕らえて交尾をしたオス.池の横の水田で交尾している.

 11月に入っても,オオキトンボは産卵活動を続けています.しかし,ピークは明らかに過ぎていて,観察回数はかなり少なくなります.でもオスたちはまだまだ元気で,暖かい日差しを受けて,岸辺でメスを待っています.マユタテアカネがこんなオスに興味を示しました.

写真36.11月5日.石の上に止まっていたオオキトンボのオスが,飛び立って,ふたたび止まろうとしたとき,マユタテアカネが興味を示して近づいた.
写真37.11月5日.マユタテアカネがしつこく干渉するので,ついに腹部を突き立てて,「いやいやサイン」を送ったオオキトンボのオス.
写真38.11月18日.11月の繁殖活動.産卵にやって来たメスを池の上で捕らえ,移精行動.その後,池岸のササ原に止まって交尾に至った.オスが小さい!

 11月も終わりに近づくと,オスの体色は赤みを濃く帯びて,渋い茶色になります.一方メスは,オリーブ色の体色がくすんで,やはり渋い色彩になります.これらの色は他のトンボには見られない色彩で,どことなく気品があって,私はとても気に入っています.そして,12月上旬まで姿が見られた後,いつの間にか姿を消していきます.兵庫県の最も遅い記録は,掲示板にご投稿いただいた12月25日でしょう.

写真39.11月22日.11月後半のオオキトンボのメス.オリーブ色のくすんだような渋い色になる.
写真40.12月8日.私的には,オオキトンボの最も遅い観察記録.オスは茶色味が強くなり,独特の色彩となる.