トンボ歳時記総集編 6月−8月

垂直尾翼を持つ飛行機トンボ
写真1.丘陵地に広がる周囲に広い草原を持つ皿池.

 サナエトンボの多くは流水性で,春に現れる種類が多いのです.対して止水性で夏に現れるサナエトンボの代表が,ウチワヤンマでしょう.最近はこれにタイワンウチワヤンマが加わりました.これは南方のサナエトンボで,成虫はその多くが7月に入ってから現れてきます.一方ウチワヤンマはもう少し早く,6月には繁殖活動を開始しています.しかし1980-90年代頃には,むしろ7,8月に成虫が数多く見られたトンボであったような気がします.このことは,データからも裏付けられます.兵庫県下のトンボを詳しく調べたデータ集(東,2010)で,2000年以前の目撃記録のうち6月のものは72記録中わずか1例(1.3%)です.しかし同氏からの私信も含めた2000年以降の目撃記録では,6月のものは140記録中34例(24%)に増えています.また私自身の1988−1991年の神戸市内で行った集中的調査でも,6月の発見例はありませんでした.
 出現時期が早まった理由としては,最近の気温上昇とともに,特に日当たりのよい平地の池の水温が上昇し,そこに生息するウチワヤンマ幼虫の越冬後の生育が速くなった可能性が一番に考えられます.
 もう一つはタイワンウチワヤンマとの競争関係です.タイワンウチワヤンマが兵庫県南部に出現したのが1987年で,1990年代に兵庫県南部のあちこちで爆発的に数が増えました.現在は,西脇市近くの内陸部にまで入り込んでいます.タイワンウチワヤンマとウチワヤンマは,その生態的地位(ニッチ)がよく似ていて,繁殖活動に必要とされる資源が酷似していますので,生息場所をめぐる競争関係にあることは十分に予想されます.同所的に生息している場所で縄張り争いをしたとき,タイワンウチワヤンマの方がウチワヤンマより強いという報告もあります.タイワンウチワヤンマは7月中旬以降に数が増えますので,競争の結果,それ以前の早い時期に活動する傾向の強いウチワヤンマが選択されて小進化が起きているのかもしれません.

写真2.左:6月23日,右:7月6日.ウチワヤンマの羽化不全(左)と,羽化中クモか何かに襲われた個体と羽化殻(右).羽化は7月でも行われている.

 ウチワヤンマの羽化は6月から7月にかけて行われます.羽化したウチワヤンマは,樹林や草原のある丘陵地などへ移動します.谷筋にある池で羽化した個体は,その谷の奥に広がる草地へ移動していることがよくあります.私は,羽化場所と思われる池の奥に広がる草原や空き地に生えている樹木のてっぺんに止まっている若い個体を観察しています.こういった場所は成熟したメスのねぐらにもなっています.
 ウチワヤンマは「彷徨性がある」という表現で,かなり移動するという報告があります(松本,1982).住宅街の公園から飛び出していった個体が,住宅街のまっただ中に入りこむように飛んで行き姿を消したのを観察しました.周囲に池がないと思われる場所でもときどき見つかります.

写真3.7月1日.羽化したと思われる池の奥に広がる空き地の,木のてっぺんに止まるオス(右)とメス(左).
写真4.7月1日.池から離れた空き地で,木のてっぺんに止まるウチワヤンマの若いメス.
写真5.7月24日.もう成熟していると思われるメスのウチワヤンマ.谷筋のいちばん奥に広がる草地で休んでいる.
写真6.左:8月14日,右:8月3日.活動期間の後半8月に入っても,かなり日齢の進んだオス(右)やメス(左)は池から離れた草地などで休息している.

 ウチワヤンマは,どちらかといえば,平地の池のトンボです.兵庫県南部では,住宅街と田畑がモザイク状に広がっているような平地の池でよく見つかります.コフキトンボも同じような環境・時期に見られますので,よくいっしょに活動しているのが観察されます.オスはおそらく縄張りを形成しており,水辺でメスを待っているときには細長い棒の先に水平に止まるのが特徴です.

写真7.左:7月27日,中・右:8月8日,平地の池で,棒の先に止まるオスたち.コフキトンボと同じ時期・場所でいっしょに活動する.
写真8.左上:7月26日,左上中:7月22日,左下:7月27日,右:7月27日.夏の日差しを受けて縄張り活動するオスたち.時々飛んで周囲を見回る.
写真9.6月9日.池のほとりの棒の先に止まるオス(右)が,ときどき飛び立って周囲をパトロールする(左).

 ウチワヤンマの繁殖活動は,午前中からお昼頃にかけて行われます.池で静止しているウチワヤンマのオスがメスを見つけて捕捉しタンデムを形成するところは,私には観察例がありません.たいがいすでに交尾態になっているペアを見るだけです.池のすぐ近くで交尾をしているところの観察がほとんどで,これから推測すると,オス・メスの出会い場所は,池のすぐ近くということになるでしょう.交尾もやはり棒の先に止まった状態で行われます.やじろべえのように見事にバランスをとって静止しています.

写真12.8月27日.池の畔で交尾するウチワヤンマのペア.
写真10.6月9日.池の堤に生えている樹木の外側で交尾しているペア.
写真11.6月8日.池から少し離れた,樹木の陰になっているようなところで,こっそりと交尾をするペア.

 ウチワヤンマを観察していると,交尾態で水面上を飛び回っている姿をよく見かけると思います.私は,この交尾態での飛翔は,産卵場所の探索のための警護の一形式であると考えています.その理由は,池の近くで交尾しているときには,おそらく精子の挿入や精子置換のための腹部の上下運動をともなっていますが,水面上を交尾態で飛ぶときにはこういった上下運動はなく,一定の形で固まったようにオス・メスがつながり,飛翔するからです.この飛翔形態は,通常のタンデム飛行に比べて,高速で飛ぶのに非常に適している形に見えます.屈曲して立ち上がっているオスの腹部は,まるで飛行機の垂直尾翼のようです.
 そして,浮遊物が存在する適当な産卵場所を見つけたら,オスは交尾態を解きメスを放します.よく観察していると見えてくるのですが,メスを放す場所は,単に産卵基質があるというだけでなく,他のオスの干渉が少ない場所を選んでいるようです.交尾態で池の周囲を飛び回ることで,場所によって他のオスの干渉程度を測ることができます.そういう意味でも,警護しながら池の周囲を一定時間飛び回ることには,オスの繁殖成功にとって重要な意味があるように感じられます.

写真13.左:8月27日,右:6月9日.精子の挿入や精子置換が行われていると考えられる交尾態と産卵場所探索飛翔中の交尾態の姿勢の違い.
写真14.6月9日.交尾態で産卵場所探索飛翔するペアたち.姿勢は固まったようにすべて同じである.ときどきオスにしつこく追われる.
写真15.6月9日.水面に漂う浮遊物を見つけると,オスはメスを放し,メスはその浮遊物に卵を絡めるような産卵を始める.

 産卵様式は,間欠的な打水産卵です.ウチワヤンマの卵には,その後極に糸をたたんだような構造物がついていて,水に触れるとそれが広がり糸状になります*1.産卵しているウチワヤンマの写真をよく見ると,その糸が,納豆が糸を引くように産卵基質と腹部先端をつなぐように伸びているのが,写っていることがあります.

写真16.6月9日.しばらく停止飛翔をして浮遊物をねらい(左),打水して飛びあがったところ(右).
写真17.6月9日.腹部先端の生殖口と産卵基質である柳の枝との間が白い糸でつながっている.その途中には納豆の豆のように卵が2,3個ついている.
写真18.6月9日.多少向きは変わるものの,ほとんど同じポイントで産卵を続けるウチワヤンマのメス.

 ウチワヤンマは,通常深くて大きな池に生息しています.琵琶湖のような湖にもたくさん生息しています.しかし兵庫県内で,小さな浅い小川で繁殖活動を行い,産卵をしているペアを見たことがあります.

写真19.8月14日.浅い流れの小川で縄張り活動をしているウチワヤンマのオス.
写真20.8月14日.交尾態で流れの上を飛び,やがて,流れに引っかかっている草に上で停止,いったんオスはそこに止まってからメスを放した.
写真21.8月14日.左上は交尾態が草に止まったところ.オスはメスを放ししばらくそばにいた.やがて,メスは間欠打水産卵を始めた.
写真22.8月14日.打水した後の急上昇の場面.産卵は2分30秒ほどで終わった.

 こんな活動を繰り返しながら,ウチワヤンマは,9月に入るころには姿を消していきます.兵庫県の記録としては9月に入ってからのものもありますが,私はほんの一,二例の観察しかありません.ほぼぴったり6月から8月のトンボといえます.

写真23.左:9月12日,右上:9月4日,右下:9月11日.8月の下旬から9月にかけてのウチワヤンマの記録.生き残りがポツポツ見られる程度だ.