トンボ歳時記総集編 6月−8月

夏の大型カワトンボ
写真1.山中のハイキングコースを流れる渓流.

 ミヤマカワトンボは夏のカワトンボの印象が強いのですが,実は5月から出現して,場所によってはニホンカワトンボなどに混じって繁殖活動を行っています.6月くらいがもっとも個体数が多いように感じられ,7,8月とそれなりの個体数が見られますが,9月に入ると,目撃記録等は一気に少なくなります.
 生息する川は,かなり上流から中流くらいまでのところで,川に林が接しているところによく見られます.

写真2.左:5月30日,右:5月17日.5月に現れているミヤマカワトンボのメス(左)とオス(右).

 ミヤマカワトンボは,アオハダトンボやハグロトンボとは違って,流畔に植生がなく石がゴロゴロしているような流れにも生息しています.そういった場所では,産卵は朽ち木に行われ,幼虫は川底に重なる落ち葉の隙間に入り込んで生活しています.そのせいでしょうか,アオハダトンボやハグロトンボの幼虫に比べると,脚を開いたときにより平べったくなるように,脚が横に広がりやすくなっているように見えます.また触角が非常に長く,葉の隙間という暗い場所で,付近を動めく餌昆虫の震動を捉えるセンサーになっているのかもしれません.羽化の観察例はまだありませんが,成虫の出現時期から考えると,5−7月にかけて行われているのではないかと思われます.

写真3.6月12日.ミヤマカワトンボの若齢幼虫.葉の上にぺったり張り付くように脚を広げている.

 ミヤマカワトンボも,他のカワトンボと同じように,成熟してもオス・メスが同じ場所に生活しています.観察していると,オスは朝から流れの石の上や岸の植物に止まり,縄張りをつくっているように見えます.メスも流れの石などに止まって,時々飛んだりしながら,摂食をしています.オスの止まっているすぐそばにメスが止まっても,オスは反応しないことも多いです.

写真4.6月20日.午前中,流れで生活するミヤマカワトンボのオスとメス.
写真5.左:8月4日,右:6月20日.流れの中に止まるオス(左).オスの縄張り内にメスがやって来ても,オスメスとも特に反応しない.

 しかし,お昼前後,ある時刻になると,オスの動きが変化します.オスがメスの前でホバリング飛翔したり,腹部先端裏側の白色の部分を上に折り曲げ目立つようにし,メスに誘いをかけます.それに反応するかどうかは,メス次第のように見えます.そして,メスが反応すると,オスはメスを捉え,移精行動から交尾へと至ります.このあたりのディスプレイは,アオハダトンボほどはっきりとはしていません.
 下記に8月の山間の渓流での観察例を紹介しましょう.メスが飛来してから約1時間後に,潜水産卵に至りました.途中時間が空いているのは,いったんメスが姿を消したからです.

写真6.左:8月4日.縄張りオスの近くへメスがやってきた.オスは腹部先端の裏側を誇示するような姿勢をとり(左),いったんメスに近づいた(右).
写真7.左:8月4日.メスが反応しなかったので,オスは少し離れたところに止まり,腹部先端裏側を誇示しながら静止した.
写真8.8月4日.メスに近づくオス.交尾拒否.離れて腹部先端裏側を誇示.<中断>.オスがメスを追う.メスが下りてくる.突然産卵開始.
写真9.8月4日.メスは産卵を中断して移動し後ろから迫るオスに交尾拒否(左).産卵再開したメスにオスが再び腹部先端を曲げて誘引(右).
写真10.8月4日.オスは産卵するメスの前に回り,腹部先端裏側の白色部分を誇示して誘引する.
写真11.8月4日.後ずさりしながら潜水産卵に移行するメス.
写真12.8月4日.翅も含めて全身が水面下に沈む.やがて,木の裏側へ回っていった.

 このメスは,結局このオスと交尾には至りませんでした.産卵意欲があっても交尾に応じないこともあるということが分かります.たぶん,別の場所で交尾を済ませていたのかもしれません.まとわりつくオスを無視するかのように,最後は潜水産卵をしてしまいました.もちろん産卵する前に縄張りオスと交尾する場合もありますし,繁殖活動時間帯が終わったと思われる夕方近くに交尾している観察例もあります.アオハダトンボなどでは,オスは縄張り内に入ってきたメスとは必ず交尾をするようです.このあたり,少しオス・メスの関わり合いの違いが感じられます.

写真13.左:6月10日,右:6月20日.夕方16:04に交尾するミヤマカワトンボ(左)と,縄張りオスと産卵直前に交尾するメス(右).

 もう一つの産卵活動の例を紹介しましょう.こちらも交尾を目撃は出来ませんでしたが,こちらのペアは多分交尾が終わっていたのではないかと想像しています.それは,メスの産卵に付き添うようにオスがずっと行動を共にし,腹部先端を持ち上げて裏面の白い部分を誇示する行動が最初にちょっと見られただけだったからです.つまり,オスは,このメスを警護するために付き添っていたと考えられるからです.

写真14.5月20日.流れの石の上に並んで止まっていたオスとメス.メスが飛び立ち,オスが後を追う.メスは流畔の植物に興味を示した.
写真15.5月20日.流畔の植物に止まり産卵を開始.やがて潜ろうとするそぶりを見せたが...
写真16.5月20日.メスは産卵をやめて静止.オスは少し先に静止.メスが飛び立つ(右)とオスは腹部先端を誇示しメスはオスの周りを飛ぶ(左下).
写真17.5月20日.メスはオスの前を通り過ぎ(左上),オスが追うとメスは石に止まり産卵行動(右・左下).メスはすぐ飛び立ちまたオスが追う(左下).
写真18.5月20日.メスは朽ち木の破片に止まり産卵行動を始めた(左).オスは少し離れたところで産卵を見まもっている(右).
写真19.5月20日.メスは産卵基質が気に入らないのか,すぐに飛び立ち,オスはぴったりと後ろについて追いかける.
写真20.5月20日.メスは細い枯れ枝に止まり産卵を再開する.
写真21.5月20日.こんな浅い場所でも身体を倒して潜水しようとするが(左),潜れないのかすぐに飛んで別の場所へ行きまた潜り始める(右).
写真22.5月20日.今度こそゆっくりと身体を沈めて潜水産卵をするかと思いきや,気に入らないのか私の撮影が気に障るのか,遠くへ飛び去った.

 上の行動を見ていると,ミヤマカワトンボは何が何でも潜水産卵をしようとしているように見えます.上の写真の産卵しようとした場所は,いずれも水深が非常に浅く,また産卵基質の枯れ枝なども十分に水面下に没してはいません.それでも体を倒してでも水中に入ろうとするのは,ミヤマカワトンボにとっては,潜水産卵が常態だからなのかもしれません.ビデオも含めて,3回産卵行動を観察しましたが,いずれの場合も潜水産卵をしました.
 ところで,通常オス同士は,縄張りの周辺部で出会うと激しい追飛行動をとって,闘争を行います.川に沿って上流の方へ,また下流の方へと,2頭が追いかけ合いをする風景をよく見かけます.

写真23.5月20日.ふつうに見られるミヤマカワトンボのオス同士の闘争行動.

 ところが,オスがオスに対して誘引行動をとり,さらに,誘引された方のオスも,通常の追飛などの闘争行動ではなく,誘引オスにまとわりつくといった行動を観察しました.オスが腹部先端裏面を誇示するような行動は通常メスに対して行われますが,このときはそれをオスに対して行い,なされた方のオスもそれに反応しているように見えたのです.こういったことがふつうなのか,この観察が珍しい事象なのかは分かりません.一つの観察例として紹介しておきたいと思います.写真はいずれも,上段左から右,下段左から右へと順に並べています.

写真24.5月16日.2頭のオスが向かい合っているが闘争ではなく,一方のオスが腹部先端を上げ,裏面の白色部を見せて他方のオスを誘引している.
写真25.5月16日.他方のオスが逃げたので,誘引オスは後を追いかけ,ついに"究極の兵器"=水に浮かぶディスプレイをした.
写真26.5月16日.さらに誘引オスが朽木に止まり腹部を大きく反らすと,他方のオスはついに腹部先端の白色部に近づいた.
写真27.5月16日.白色部を目の前にる位置で,他方のオスはしばらくの間停止飛翔をした.
写真28.5月16日.しばらくの間白色部にこだわったような動きを見せた後,他方のオスは誘引オスの上を飛んで,離れていった.
写真29.5月16日.誘引オスはそれでもなお,翅を半開きにし他方のオスを引きつけようとしたが,他方のオスは飛び去っていった.

 カワトンボはその行動が面白く,ついつい数多くの写真を撮ってしまいます.ミヤマカワトンボは多くの場合潜水産卵をしているようなので,産卵そのものを見つける機会があまりありません.潜水しているメスは姿が確認しづらいからです.また,配偶行動の時のディスプレイも割合短時間で終わってしまうことが多く,これもあまり見る機会がありません.普段はただ止まってときどき飛ぶだけといった感じのおとなしいトンボに見えますが,じっくり観察すると,アオハダトンボ同様に面白いトンボです.

写真30.6月20日.潜水した状態の産卵メス(右)は,潜り始めるところ(左)を押さえなければ,簡単には認識できない.左右とも同じ個体.