トンボ歳時記総集編 6月−7月

日本一小さな不均翅亜目
写真1.浅い流れがあって,そこにモウセンゴケのような背の低い植物が生えている湿地.

 ハッチョウトンボは湿地の住人です.しかし,草が密に生え草丈があまりに高くなるような湿地にはふつう見られません.湿地の中に浅い流れがあるような場所が好きです.定常的な流れがあると,そこにあまり草が生えることがありませんので,ハッチョウトンボが活動できる空間ができるのです.
 ハッチョウトンボは日本でいちばん小さい不均翅亜目のトンボです.10円玉の直径より小さいです.オスは体全体が赤くなってよく目立ちますが,メスは蜂のような色彩をしており,初めて見たときには,蜂が飛んでいるように見えるかもしれません.

写真2.6月18日.人差し指に止まっているハッチョウトンボのオス.指の第一関節より先より短い.
写真3.6月25日.ハッチョウトンボのメス.蜂のような色彩をしている.非常に素早く飛ぶので,最初はトンボと思えないであろう.

 他のトンボの例にもれず,ハッチョウトンボの生息地も激減しました.2019年の環境省のレッドデータブック見直しにおいては,ハッチョウトンボは特にどのランクにも指定されませんでした.しかし,フィールドに出て観察を続けている身としては,少なくとも兵庫県においてはハッチョウトンボは激減しているといってよいでしょう.あちこちで言っていることですが,見た目の環境が特に変化していなくても,ある年に突然姿が見られなくなるといったことがよく起きます.ハッチョウトンボの場合は,小さいということで珍しがられ,商品価値もあるかもしれないので,採集圧が大きく働いている可能性があります.小さな湿地に住んでいる個体群など,徹底的に採集してしまえば,ほぼ壊滅状態になることは想像に難くありません.神戸市内にも,1980〜90年代には,あちこちに生息場所がありましたが,今はほぼ皆無の状態です.

写真4.7月19日(1997年).神戸市内のとあるため池の流入口にできた湿地で生活するハッチョウトンボ.当時はちょっとした湿地でよく見られた.

 さて,ハッチョウトンボの羽化は5月から始まります.羽化は午前中に行われるようです.羽化した成虫は湿地の外縁に生えている樹木や草本の枝や葉に止まって,未熟期間を過ごします.成熟した成虫が水面の見えるところで活動するのに対し,未熟虫はやや背丈のある草地に入り込んでいるのがふつうです.成虫の数がもっとも増えるのは,6月下旬から7月にかけてです.生き残りと思われる個体は9月に入っても見られることがあります.羽化が盛んに行われている6月の下旬に生息地を訪れると,成熟した個体から未熟な個体まで,いろいろな段階の個体が入り混じってみられます.

写真5.5月27日.5月のハッチョウトンボ.もう成熟していて,水辺に出て繁殖活動をしているオス.
写真6.6月7日.6月上旬のハッチョウトンボ.頭部・胸部の拡大写真.
写真7.6月11日.ハッチョウトンボの羽化.泥面上10cm程度の高さで羽化している.
写真8.6月18日.未熟なオス(左)と成熟したオス(右).6月から7月にかけての生息地には,こういった成熟段階の異なる個体が混じっている.
写真9.左・右下:7月4日,右上:6月24日,右下中:6月18日.いろいろな成熟段階のメスとオス.メスはあまり色彩が変わらない.

 ハッチョウトンボの繁殖活動は晴れた日の午前中に始まります.オスは縄張りを形成し,1m程度の間隔で湿地に止まっています.縄張りを形成する場所は,湿地の中でも水面が見える場所です.メスは湿地の水面に打水産卵するので,そういったところが資源として重要なのでしょう.他のオスが縄張りに入ってくると,目にもとまらぬ速さで飛んで追い払います.本当にものすごい速さです.

写真10.左・中左上:6月25日,中左下:6月18日,中右・右:7月4日.湿地で縄張り形成しているオスたち.水面が見えるところで縄張りを形成する.

 メスが産卵にやってくるのはお昼前くらいです.オスは目ざとくメスを見つけ,タンデムからすぐに交尾態になります.交尾時間は十数秒でとても短く,写真に記録する者泣かせです.交尾が終わると,メスは短時間静止した後,産卵を始めます.オスは産卵するメスにぴったりと寄り添って少し高い位置から警護します.ときどきメスの体に当たるくらいに接近し,メスの産卵を促すような仕草をします.他のオスが来ると,激しく追飛し,追い払います.メスは産卵中によく静止します.止まったメスのそばには警護オスも止まります.こうやって,最後まで警護をし,産卵を終えたメスはやがて飛び去っていきます.このあたりの行動はビデオを見るとよく分かると思います.

写真11.左:6月25日,右:7月4日.ハッチョウトンボの交尾.交尾は止まって行われる.十数秒で終わる.
写真12.6月25日.交尾が終わるとメスはいったん静止する.その後オスの警護の下,連続打水産卵を行う.
写真13.6月25日.メスは産卵中によく静止する.警護オスはそのメスに寄り添うように飛んだり止まったりして,警護を続ける.
写真14.6月25日.上のメスが産卵中,またメスが入ってきて交尾,産卵を行った.右下は,産卵を終えたメスが,腹部先端の掃除?をしている.

 ハッチョウトンボは,夏の暑い時間帯に,日のよく当たるところで繁殖活動を行っています.暑さによる体温上昇を防ぐために,よく腹部挙上姿勢をとります.体が小さいせいか,腹を曲げるようにして腹部を突き立てる姿が,かわいらしく見えます.

写真15.左:6月24日,右:7月4日.腹部挙上姿勢の未熟なメスと成熟オス.

 現在,ハッチョウトンボの多くは,人が管理する公園で生き残っています.湿地にはモウセンゴケやサギソウをはじめとした珍しい植物が生えていることが多く,自然公園をつくるときにそういった湿地を取り込んで保護していくといったことが多く行われているからです.場所は明らかに出来ませんが,以下にそういったところで撮ったハッチョウトンボの写真を集めてみました.

写真16.左上:7月31日,左下:6月8日,右:6月25日.人の管理する公園で生き残っているハッチョウトンボたち.