トンボの生態学 モノグラフ:アカトンボ
アカトンボについて

 「アカトンボ」は,文字通りですと「赤とんぼ」,つまり赤いトンボということになります.赤い体色のトンボは,身近にも結構数多くの種類がいます.ショウジョウトンボ,ハッチョウトンボ,ハネビロトンボ,ベニトンボをはじめ,より南方へ行くと,オオハラビロトンボ,ウミアカトンボというものまでいます.これらは,特にオスにおいて,からだが赤い色をしています.「アカトンボ」という語自体が分類学に使われている日本語名称ではなく,いわゆる俗称ですから,「アカトンボ」という名称をどのようなトンボに使おうと一向にかまわないということになります.

 では,分類学で使われている和名で「アカトンボ」を意図する日本語は何かといいますと,それは「アカネ属*1」です.学名では Genus Sympetrum Newman, 1833 と書かれます.単に Sympetrum (シンペトラム)でもかまいません.ここで「意図する」と書いたのは,私たちの多くが「赤とんぼ」でイメージするのは,三木露風の童謡「赤とんぼ」の歌詞に出てくる「赤とんぼ」ではないかと思われるからです.

 この「赤とんぼ」の正体については諸説あって,アカネ属のアキアカネだろうというのが一般的(例えば,相坂,1988)ですが,アカネ属ではなくウスバキトンボであると考えている人もいるようです(例えば杉村・一井,1990).相坂(1988)は,「赤とんぼ止まっているよ竿の先」という童謡「赤とんぼ」の原点となっている三木露風の俳句を引き合いに出して,アキアカネが有力であると述べています.確かにウスバキトンボは竿の先には止まりません.一方,杉村・一井(1990)は,「夕焼け小焼の赤とんぼ」の「夕焼け」の時刻にはアキアカネは群飛せずウスバキトンボなら群飛するということを根拠にしています.

 少し話がそれてしまったような気がします.「赤とんぼ」についての議論はさておき,このページでは分類学上のアカネ属を扱おうと考えていますので,以降アカトンボという語を使わず,「アカネ属」という語で話を進めていきたいと思います.

赤いけれども分類学的に「アカネ属」ではないトンボたち
写真1.赤いけれども分類学的に「アカネ属」ではないトンボたち.
 上段左から:ショウジョウトンボ,ハッチョウトンボ,ハネビロトンボ, 下段左から:ベニトンボ,オオハラビロトンボ,ウミアカトンボ.
 写真1の6種のトンボはからだが赤い色をしていますが,すべてアカネ属ではありません.アカネ属のトンボは日本のトンボ科の中では一番大きな属を形成していて,兵庫県には15種(日本国内では17種1亜種)が生息しています*2.アカネ属の中には大陸から飛来する種もあって,2018年1月現在アカネ属では,タイリクアキアカネ,オナガアカネ,スナアカネの3種が兵庫県で記録されています.

 アカネ属のトンボは一般に体色が赤くなるものが多いのですが,一部オス・メスとも体色が赤くならないものもあります.日本産のものでは,ナニワトンボ,マダラナニワトンボ,ムツアカネがそうです.これらは,青いアカトンボとか黒いアカトンボとか言われることがあります.
赤くならないアカネ属のトンボたち
写真2.赤くならないアカネ属のトンボたち.左から:ナニワトンボ,マダラナニワトンボ,ムツアカネ.いずれもオス.
 では,アカネ属のトンボというのは,どういった特徴を持つトンボの集まりなのでしょうか.アカネ属のトンボをひと言で定義するのは実は非常に難しいのです.これについては,少し専門的になりますが,翅脈を使った研究成果を紹介しましょう.

アカネ属の翅脈の特徴
図1.アカネ属の翅脈の特徴 (Fraser,1957;井上,2010;浜田・井上,1985).
ナツアカネ♂ .
 図1を使って検索する場合は,通常,(1)から(9)の順にみていくとよいでしょう.ただし(8)(9)などは非常に微妙で,ヒメキトンボという南方にいるトンボでは「(8)が中央よりはやや第1結節前横脈寄りで,(9)がアカネ属よりはやや波打っている感じ」というわずかな違いしかありません(井上,1985).これだけ厳密に特徴を並べても(内包的定義),アカネ属を定義するのは難しいというのが実際のところです.そこで次に,兵庫県南部に絞って,アカネ属のトンボをすべて紹介することにしましょう(外延的定義).


トンボの生態学 モノグラフ:アカトンボ
兵庫県で見られるアカネ属のトンボたち

 兵庫県には,すでに述べたように,15種のアカネ属のトンボが生息しています.今のところ絶滅した種はありませんが,絶滅危惧T類のマダラナニワトンボが風前の灯火になっています.全国的に減少している,同じく絶滅危惧T類のオオキトンボ,絶滅危惧U類のナニワトンボの方は,兵庫県南部地方にはまだ数多く生き残っています.では,見分けやすい方から順に紹介していくことにしましょう.下記以外の飛来種については,「兵庫県とその近隣のトンボたち」をご覧ください.

兵庫県南部で見られるアカネ属のトンボたち
写真3.翅にある特徴的なバンドですぐに分かる.幼虫は小川や用水路などの流水で生活している.
兵庫県南部で見られるアカネ属のトンボたち
写真4.翅の基部にオレンジ色が広がるトンボである羽化池近くの高い木のてっぺんに止まっていることが多い.
兵庫県南部で見られるアカネ属のトンボたち
写真5.翅の基部から前縁にかけてオレンジ色が広く広がる.秋遅くに現れ時には年を越しても見られることがある.
兵庫県南部で見られるアカネ属のトンボたち
写真6.絶滅危惧T類.9月下旬から水落をした池に現れる.10月ころが最も多い.老熟してくると赤茶色になる.
兵庫県南部で見られるアカネ属のトンボたち
写真7.翅の先端に褐色部(ノシメ斑)がある3種のうちの一つ.オスは腹部のみが赤くなる.
兵庫県南部で見られるアカネ属のトンボたち
写真8.ノシメ斑があるアカネ属のトンボのうち最大.背中の斑紋は飛び飛びに続き,リスアカネのようにべたっとしていない.
兵庫県南部で見られるアカネ属のトンボたち
写真9.ノシメ斑は濃くはっきりとしている.オスは胸部や顔面まで赤くなる.プールなどにもよく現れる.
兵庫県南部で見られるアカネ属のトンボたち
写真10.オスは赤くならず,青白い粉を吹いたようになる.7月上旬には池の木陰に姿を現している.
兵庫県南部で見られるアカネ属のトンボたち
写真11.絶滅危惧T類.もう兵庫県でもほとんど姿を見ることがなくなった.県内絶滅は近いものと思われる.
兵庫県南部で見られるアカネ属のトンボたち
写真12.オスは胸部から顔面まで赤くなる.9月中旬から,山間にある稲刈り前の水田でふわふわと飛んで打空産卵する.
兵庫県南部で見られるアカネ属のトンボたち
写真13.かつては海岸近くの水たまりや学校のプールに姿を現していたが,最近はかなり内陸部にも出現している.
兵庫県南部で見られるアカネ属のトンボたち
写真14.兵庫県南部では数が減少した.北部ではまだかなりの個体数を見ることができる.
兵庫県南部で見られるアカネ属のトンボたち
写真15.湿地の生活者で,池の流入部の湿地状の部分などにも見られる.顔面が白い.
兵庫県南部で見られるアカネ属のトンボたち
写真16.顔面が青白いのでこの名がある.平地の抽水植物の繁茂する池に住み着いている.メスの顔面に眉状斑が出ることがある.
兵庫県南部で見られるアカネ属のトンボたち
写真17.顔面に眉状斑がある.メスの翅には,ノシメ斑が出るものと出ないものがある.
 さて,これらの15種について,最近のDNAを用いた系統分類を見てみましょう.以前の形態を中心とした分類ではすっきりとしなかった,産卵方法と幼虫の形態が,見事に近縁種の間で一致することになりました.特に打空産卵を行う種と幼虫の側棘の長い一群が単系統になっている点が注目されます*1

アカネ属のDNA解析に基づく系統分類
図2.兵庫県に生息するアカネ属のDNA解析に基づく系統分類 (尾園ら,2012を参照).
 赤の一点鎖線より上の単系統群は打空産卵し,幼虫の側棘が長い形質を持っている.





打空産卵する単系統群
写真18.打空産卵する単系統群のアカネ属トンボ.幼虫の第8腹節の側棘が第9腹節末端を超える.
 左から:ナツアカネ・マダラナニワトンボ・ナニワトンボ・リスアカネ・ノシメトンボ.
打水・打泥産卵する系統群
写真19.上記以外の系統群のアカネ属トンボ(一部).打水・打泥産卵を行い,幼虫の第8腹節の側棘が第9腹節末端を超えない.
 左から:アキアカネ・タイリクアカネ・コノシメトンボ・マユタテアカネ・オオキトンボ.

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アカネ属の生活史 1.卵と幼虫の時代
 日本産のアカネ属の生活史には,兵庫県産のアカネ属の越冬戦略から考えて,大きく2つのタイプがあると考えられます.それは,幼虫越冬するタイプと卵越冬するタイプです.さらに私は,卵越冬するタイプには,2つの異なる越冬戦略をとっているものがあるのではないかと考えています.それではこれらについて述べていくことにしましょう.

 まず幼虫越冬するタイプです.現在,ネキトンボとタイリクアカネについて,幼虫越冬している確実な証拠が得られています.私は,冬の終わりの3月3日(2007年)に,越冬したネキトンボの幼虫を大量に採集したことがあります(未発表).ネキトンボの室内飼育下での卵期間は,他のアカネ属の種と比べて非常に短いのが特徴で(表A,B,C参照),これはアカネ属以外の他の幼虫越冬を普通とするトンボ種とほぼ変わりがありません.

 タイリクアカネの方は,京都市内の学校のプールで幼虫越冬していることが報告されました(Matsura et, al., 1995).タイリクアカネは学校のプールで多く発見される幼虫で,それによると1月に平均頭幅長1mm程度の幼虫が採れています.私も5月10日(1994年)という早い時期に,西宮市の小学校のプールで,大量のタイリクアカネの終齢幼虫を採集しています(未発表;右欄外写真).これは,Matsura et al.(1995)の示した越冬幼虫の成長曲線(p.294, Fig.2)に一致するもので,幼虫越冬していたことを示唆しています.

 タイリクアカネの室内飼育下での卵期間は,表Aから33日以下と短いものがあって,これらの数値は幼虫が秋に孵化して幼虫で越冬する可能性を示すものですが,逆に,100日を越える長い期間のデータもあります.飼育下ではこのような変動は結構あるにしても,少なくとも卵期間が長期間になる何らかの条件は存在すると考えられ,卵越冬する個体の存在可能性を否定することはできないでしょう(cf. 新村・近藤,1989).

 Ando(1967)はトンボ目の胚発生過程の詳細な研究結果から,自身の研究に用いた日本産のトンボ目21種の卵を,休眠性のないもの(卵期間7-40日)と,休眠性のある卵(卵期間81-231日)に分けています.これは単に卵期間から適当に分けたものではなく,内部の胚発生の過程を見ながら出した結論ですので,休眠性に関しては信頼できる数値といえます.この数値を根拠にすると,タイリクアカネの33日以下のデータは非休眠性,137日,150日というのは休眠性の卵となります.これから考えると,タイリクアカネの卵は,条件によって休眠*2したりしなかったりする卵であることが示唆されます.

 Corbet(1962)は,Andoのトンボの胚発生研究(例えばAndo,1957)を基礎にして,卵期間が比較的短い卵を direct development egg (停滞することなく発生する卵という意味),比較的長い卵を delayed development egg (遅延した発生をする卵)と呼んでいます.「休眠*3」という語を微妙に避けている感じがしますが,「休眠性がなく発生する卵」と考えて差しつかえないと思います.

 では次に上記2種以外について考察を加えてみましょう.これら2種以外のアカネ属の飼育された卵期間を見ると,一つ興味深いことに気づきます.兵庫県南部に生息しているアカネ属のうち,リスアカネ,ノシメトンボ,マダラナニワトンボ,ナニワトンボの卵期間データに,比較的短期間のものが多く含まれていることです(表B).これらのアカネ属のトンボはすべて打空産卵をするトンボであって,卵を水のない湿土上に落とす種類ばかりです.他の,打空産卵をしない卵越冬アカネ属では,概ね100日を越えるデータが多くなっています(表C).

 近藤(1994)では冬季に屋外に置いて飼育したノシメトンボ,ナニワトンボの最短卵期間のデータがあって,それぞれ138日,148日と室内飼育と比べて非常に長くなっています(表B).これは,おそらく低温によって発育が停止した期間があるためでしょう.また,これら4種の場合でも,おそらく飼育条件の違いによって,卵期間が通常の卵越冬種並みに100日を越える場合もあることが分かります(表B).さらに,同じ打空産卵を行うナツアカネの場合には,飼育条件が違っても卵期間が極端に短くなることはないという結果が出ています(表B).

 上田(1996)は,打空産卵を行う種について卵期が短い傾向があることを指摘しており,Corbet(1962)の議論を引用しつつ,「水に浸かった状態では卵の休眠が生じないか,あるいは短くなってしまう種は,卵越冬を維持するためには卵を水のないところに置く必要があり,水のない場所に卵を産むことを可能にする打空産卵は,そのような性質の卵を持った種において有利な産卵方式であるに違いない」と一つの考え方を述べています.なお,ナツアカネは,打空産卵を行うにもかかわらず,卵期間が概ね100日を越えており,休眠性の卵である可能性があります.

 自然状態では,打空産卵をしている種の卵が必ずしも水に浸からない保証はありません.特にリスアカネは7月から産卵しているのを観察しています(写真30右)ので,水に浸かれば気温の高い夏に孵化することはあり得ることでしょう.したがって,リスアカネが幼虫で冬を迎える可能性は十分にあるといえます.ナニワトンボ,ノシメトンボ,マダラナニワトンボは,私の観察によれば9月以降に産卵していますが,暖かい秋であればやはり年内に孵化する可能性はないとはいえません.以上のことから,打空産卵を行う種については,幼虫で冬を迎えている可能性があるといえます.ただし,幼虫で冬を越せるかどうかは分かりません.

コノシメトンボとリスアカネの卵期間は大きく違う
写真20.打水産卵をするコノシメトンボ(左)の卵期間は100日,打空産卵をするリスアカネ(右)の卵期間は41日(関西トンボ談話会,1984).
 では,表A,Bに掲げた7種以外のアカネ属について考えていくことにしましょう.これらはすべて,打水産卵または打泥産卵を行う種です.

 Ando(1962)は,「冬眠中の卵には3つのタイプがあって,ヤンマ型,アオイトトンボ型,アカネ型に分けられる.アカネ型は胚発生を完了した段階(full grown stage)で冬眠する」と述べています.Ando(1962)で使われた材料の中でアカネ属はアキアカネでした.また卵内の胚発生について詳細に観察していた渡辺(1996)は,「アキアカネの卵は室内飼育すると,反転直前か胚が発育をほぼ完了した段階で寒冷期を過ごす.室内では一月から三月くらいまで思い出したように孵化が続くが,水がなければ孵化できない」と述べています.また上田(1993)は,アキアカネの休眠のステージは飼育温度によって大きく変化する実験を紹介しています.その中で18℃での飼育の場合,「眼(眼点)が二つできあがって,付属肢もほとんどできあがった状態まで20日間ほどで速やかに達し,......,その段階でストップしてしまい,......,100日目くらいになってようやく孵化が始まります」と記述しています.

 これらのことから考えると,アキアカネは,自然状態では,秋にほぼ胚発生を完了した状態,いいかえると孵化直前の状態まで発生を完了し,その段階で休眠に入ると考えられます.そして,冬の間に休眠発育を終え,休眠が打破され,春の気温上昇と水の存在によって孵化するものと考えられます.

 アキアカネ以外のアカネ属の種が上記と同じといえるかどうかは分かりません.表Cを見る限り,卵期間は,少なくとも50日を越える,比較的長いものが多くなっています(オオキトンボに29日,50日と短いものがありますが,これらは愛媛県産のものです).ですから,表Cの種には何らかの休眠性が備わっていると考えてもいいかもしれません.これらの種の卵は水に触れる場所に置かれ,乾燥が発育停止の原因になりにくいことから,これらの越冬戦略は次のように仮説的にまとめることができるでしょう.
  1. 秋に産卵が行われる
  2. 産下された卵は胚発生を始める.
  3. 胚発生の特定の段階で休眠に入る.
  4. 冬の間に休眠が打破され,低温による発育停止状態(休止)になる.
  5. 水温が上昇し,発育零点の温度を越えたときに発育を再開する.
  6. そして孵化に至る.
 この休眠の第一の意義は,耐寒性のある卵で安全に冬を乗り切ることにあると考えられますが,もう一つ重要な意味があります.それはその後の生活史の同調性を確保することです.9月ころから始まり11月ころまで続くアカネ属の産卵シーズンにはかなり幅があります.しかし,休眠による特定の段階での発育停止は,遅く産下され胚発生の後れた卵が胚発生の進んでいる卵に追いつくことを可能にしています.さらに冬の寒い時期に休眠が打破されると,環境温度が発育零点の閾値を越えた春に,同じ段階で発育停止していた卵が一斉に発育を再開するので,その後の孵化が同調的に起きると考えられるのです.ですから,同一生息場所での羽化が一時期に集中することにもつながっていきます.

 個体群によってアカネ属幼虫の出現時期が異なるのは,この発育零点を越える温度の実現されるタイミングが,例えば,その地の標高,緯度,あるいは日陰が日向かといったような局所的条件などによって違ってくるからだと考えればよいでしょう.また,広い分布域を持つ種では,地域個体群によって,発育零点の温度が異なっているかもしれません.

 以上,卵の時代について考察してきました.確実なことはいえないにしても,結局のところ,ネキトンボだけは別にして,「(兵庫県産の)アカネ属においては,卵が普通の越冬ステージで,条件によって幼虫越冬する個体が存在する種もある」ということは確実にいえると思います.ただし,幼虫越冬に関しては,冬季にその幼虫が死滅する可能性があることは,付け加えておく必要があるでしょう.



 では,続いて次のステージ,幼虫時代について考えてみましょう.アカネ属の幼虫は,一般にかなり速く成長すると考えられています.しかし幼虫の飼育記録を見ると,時に非常に長引いている場合があることに気づきます.例えば,マユタテアカネ218日,リスアカネ230日,アキアカネ195日,ネキトンボ306日(いずれも関西トンボ談話会,1984)など,ほぼ200日を越える日数になっています.トンボ幼虫の成長速度は,温度や餌など,飼育条件に大きく左右されます.この資料には飼育時の状況が書かれていませんので,これら幼虫期間の数値をもって野外の状態を判断することは過誤を招くと思われます.

 そこで,卵から羽化まで飼育を継続した記録を集めて,トータルで羽化がいつ頃に起きるかをまとめたのが表Dです.飼育を行った研究家は私の知人で,飼育には精通しており,このデータは信頼がおけるものだと判断できます.これを見ると,飼育条件いかんに関わらず,羽化は,例外なく採卵翌年の春から初夏にかけて起きていることが分かります.これが意味することは,自然条件で卵越冬,そして幼虫越冬していたとしても,生活史の枠組みとして,一年一化で,かつ羽化が夏頃までに行われるようなしくみがアカネ属の多くの種に備わっているということです.このことは実際の野外観察にも,非常によく合致しています(写真21).

 以上のことをまとめますと,一般的に,卵越冬し早春に孵化した幼虫は,急速に成長し,初夏までに幼虫としての成長を完了して羽化する,そして,幼虫越冬した場合も,発育零点を超えたあと幼虫は急速に成長して羽化する,といってよいと考えられます.ただし,例外的に遅く羽化する場合もあることは付け加えておきましょう.キトンボでは9月23日に羽化直後の個体を観察しています(写真27参照).

 さて,幼虫時代の最後のイベントが,その最終の脱皮,羽化です.アカネ属の羽化は例外なく倒垂型です.だいたい夜中に羽化します(写真22).6月の中下旬の早朝に生息地へ行ってみると,水際の植物から処女飛行に飛び立つアカネ属のトンボを観察することができます.特にタイリクアカネやオオキトンボのような,翅に淡い色がついているトンボは,羽化直後には翅が濃く色づいていて美しいものです(写真23).

リスアカネの幼虫と羽化
写真21.左:リスアカネの終齢幼虫.2011.5.28. 右:リスアカネの羽化.2007.6.10. 
 経験的に終齢幼虫が採れる時期も羽化が見られる時期もだいたい決まっていることは,生活史がうまくコントロールされていることの証である.
アキアカネの静止姿勢とネキトンボの羽化殻
写真22.左:アキアカネの羽化,倒垂型の羽化(静止姿勢),2011.6.19.,右:ネキトンボの羽化殻,野外,2012.6.23.
タイリクアカネとオオキトンボの羽化直後の個体
写真23.左:タイリクアカネオスの羽化後間もない個体.2012.6.10. 右:オオキトンボメスの羽化直後の個体.2018.6.28.

トンボの生態学 モノグラフ:アカトンボ
アカネ属の生活史 2.成虫の時代
 では次のステージ,成虫について考えていくことにしましょう.すべてのトンボ種には,大なり小なり性的に成熟するまでの未熟期間(前生殖期間といいます)が存在します.私自身の観察から,休眠性のないトンボでは,その長さは数日から2週間程度であるといえます.一般的に,ネキトンボを除くアカネ属では,6,7月くらいには羽化し秋に繁殖活動を開始するまでが性的に未熟な期間と考えられますから,その長さは,少なくとも1ヶ月以上,長いものでは3ヶ月程度はあると考えられます.

 こういった発育遅延は一般に夏休眠(summer diapause)と呼ばれています(Masaki, 1980).休眠といっても活動を停止するわけではありません.上田(1993)は,アキアカネについて,この間卵巣の成熟が抑制されているということで「生殖休眠」という語を使っています.この生殖休眠が,何によって誘導され何によって打破されるかといった情報は,ほとんど皆無です.しかし,アキアカネについて,羽化時期と繁殖活動開始時期,そしてそれまでの前生殖期間の長さに,地理的勾配(クライン)があるらしいことを,上田(1993)は指摘しています.つまり,温暖な地域ほど羽化時期が早くなり,繁殖活動開始時期が遅くなる,その結果前生殖期間も長くなるということです.

 前生殖期間が長いことについては,実際に野外で成虫を見続けておればほとんど疑いのない事実として受け入れることができるでしょう.ただ,その理由やしくみがよく分からないということです.こういった文脈でよく引き合いに出されるのが,アキアカネはなぜこの前生殖期間に高い山に上がるのか,といった問いかけです.詳細な観察をもとにアキアカネの移動を明確にしたのは,馬場(1953)だろうと思います.その後その理由についていろいろな考えが表明されました.これらは上田(1993)に総説されていますので,興味のある方はそちらをご覧ください.

アキアカネの羽化と山頂での夏越し
写真24.左:水田の稲の葉に止まって羽化するアキアカネ.2016.6.24.,右:山頂付近の平原で夏越しをしているアキアカネ.2010.8.14.
 ではアキアカネ以外のアカネ属は,前生殖期をどこで過ごしているのでしょうか.マユタテアカネ,ヒメアカネ,マイコアカネ,ミヤマアカネ,マダラナニワトンボなどは,生息水域近くの樹林内,林縁,草原などで生活しています.ナツアカネは山の麓あたりに集団でいるところを観察したことがあり,タイリクアカネは,8月に,山の稜線を走る道路上で,樹上から降りてきた個体を見たことがあります.コノシメトンボは山麓の樹林でときどき見かけます.ノシメトンボは山頂付近の草原で見たことがあります.前生殖期の個体を見つけにくいのが,キトンボ,オオキトンボです.羽化直後の個体を見たことはありますが,その後どこで生活しているのか,私はこれらの未熟個体を見かけたことがありません.杉村他(1999)によると,樹林や草原にいると書かれています.

マイコアカネとヒメアカネ
写真25.左:マイコアカネの前生殖期のオス.2016.8.3.,右:ヒメアカネの前生殖期のオス.2016.8.3.,
 ともに羽化水域近くの林縁で前生殖期を過ごす.
コノシメトンボとミヤマアカネ
写真26.左:林内の薄暗いところで休んでいる前生殖期のコノシメトンボオス.2013.8.18.,
 右:林縁の草地で休む前生殖期のミヤマアカネメス.2010.7.31.
オオキトンボとキトンボ
写真27.左:オオキトンボの羽化当日のメス.2009.6.21.,右:キトンボの羽化後間もない時期のオス.2006.9.23.,
 ともに羽化後の前生殖期の個体を見つけるのが難しい.キトンボはかなり遅い時期に羽化するものがあり,初冬まで活動している.
 このように,多くのアカネ属の種の前生殖期間は長くなっていますが,比較的短いと考えられる種もいます.まずは生殖休眠を行わないと考えられるのが,ネキトンボです.ネキトンボはCorbet(1962)の定義する夏季種(summer species)*1といわれる生活史を有しています.つまり,様々の齢で越冬した幼虫が次々に羽化し,羽化したら短い前生殖期間を過ごしたあと繁殖活動を行います.したがって,繁殖活動を行う成虫の出現期間はかなり長くなります.5月から産卵している(尾園ら,2012)という記述があり,さらに近藤(1994)や山本他(2009)は,ネキトンボが一年二化している可能性を指摘しています.私も6月17日に産卵しているネキトンボや10月18日に交尾しているペア(写真28)を,また8月24日に成熟したオスや羽化して間もない未熟なメスを記録しています(写真29).

ネキトンボの活動は長く続く
写真28.ネキトンボは,兵庫県でも,6月から10月まで繁殖活動を続けている夏季種である.
 左:6月17日(2012年)に産卵を行っているネキトンボ,右:10月18日(2009年)に交尾しているネキトンボ.
ネキトンボ
写真29.左:ネキトンボの成熟したオスが木のてっぺんに止まっている.2009.8.24.,
 右:同じ日にネキトンボの未熟なメスが池の畔に止まっている.2009.8.24.
 次に短いと考えられるのは,リスアカネとナニワトンボです.これらはいずれも打空産卵をしている種で,幼虫越冬の可能性も指摘しました.リスアカネとナニワトンボは,未熟な時期には生息水域近くの樹林内にいますが,7月にはナニワトンボでは青灰色の粉を吹いており,8月6日に池畔の木陰でオス同士が縄張り争いと思われる追飛行動をしているのを見ています.またリスアカネでは7月下旬には腹部が赤くなっていて,産卵しているのを観察しています(写真30).兵庫県南部における,私のリスアカネ産卵の最も早い観察記録は,7月21日(2008年)というものです.

ナニワトンボとリスアカネ
写真30.左:7月24日にもう青灰色の粉を吹いているナニワトンボのオス.2011.7.24.,
 右:7月31日に薄暗い樹林内で産卵をしているリスアカネ.2016.7.31.
 このように,前生殖期間の長さや繁殖活動を始める時期にはかなりばらつきがあるものの,「アカネ属のトンボは秋に繁殖活動を行っている」というのは,間違いない事実といえましょう.では,これらのトンボはいつまで繁殖活動を行っているのでしょうか.今度はその終わりの時期について,観察や記録をもとに考えてみましょう.ただ終わりの時期は気温の異なる日本各地で違ってくると思いますので,ここでは兵庫県を中心とした地域に限定して考えることにします.

 まずもっとも遅いと言ってもよいのは,キトンボでしょう.キトンボは年を越すことことがあるので有名です.山本他(2009)には,1月9日に兵庫県で交尾,産卵を観察,1月22日にオス2頭を目撃したという記載があります.私は12月29日(2011年)に繁殖活動を観察しており,これがもっとも遅い記録です.この日はたくさんのカップルが産卵に来ていました.年越しの繁殖活動は観察できませんでしたが,キトンボは1月9日まで生き残っているのを見ました.

遅い時期のキトンボ
写真31.左:12月29日に産卵をしているキトンボのペア.2011.12.29.,右:1月9日にまだ池畔で活動をしているキトンボのオス.2012.1.9.
 キトンボ以外のアカネ属のトンボについては,私の観察記録を中心に,一部東(2010)の記録を参照したものから,遅い記録を表Eに紹介します.これらのデータは,必ずしもいつ頃まで活動しているかを目的とした調査結果ではないので,これ以降にも繁殖活動が行われていたり,生存していることは十分あり得ます.このような限界はあるものの,表Eから,アカネ属のトンボは,だいたい10月いっぱいまでは各種とも繁殖活動を行っており,一部の種は11月から12月上旬まで繁殖活動を行うことがある,と結論づけてもよいと思われます.このデータを見れば,やはりキトンボの活動の遅さが際立って見えると思います.

 繁殖活動を終えた後の生存期間を,後生殖期 post reproductive period と呼びます.これについては,その個体の置かれた状況や,その年の気象状況などの影響によって決まってきますが,兵庫県では,キトンボ以外は年を越すことはほとんどないといえるでしょう.

遅い時期の産卵
写真32.遅い時期のアカネ属の産卵.
 上左:コノシメトンボ,2013.12.5.,上右:アキアカネ,2011.12.4.,
 下左:リスアカネ,2012.11.25.,下右:マユタテアカネ,2011.12.4.
トンボの生態学 モノグラフ:アカトンボ
アカネ属の生息環境,特に産卵場所と幼虫の生息環境
 アカネ属のトンボは,そのほとんどが止水性のトンボです.唯一の例外といえるのは,ミヤマアカネでしょう.ミヤマアカネの幼虫の微小生活場所については,川に生息する個体群を使って詳しく調べられました(Higasikawa et al., 2016).それによると,3−4月に孵化した頭幅長1mm以下の幼虫は川の中でも水の流れていない部分に多く見られ,成長するにつれて次第に流れの速い場所に移動していく,というものです.したがって,ミヤマアカネが生息するためには,止水部分と流水部分,そしてその移行部分が連続的につながっているような水環境が必要だと述べています.ミヤマアカネが水田に多く見られるのは,用水路と水田が,その流入口,排水口でつながっていて,止水環境と流水環境が連続しているからだと説明しています.このことから考えると,最近水田地帯でミヤマアカネの減少が著しいのは,圃場整備等によってこのような水環境が消失したからと考えられるでしょう.

ミヤマアカネの産卵場所
写真33.必ずしもそうではないものの,ミヤマアカネは,川でも,このように浅く水がたまった,流れのないところを好んで産卵する.
 止水性のアカネ属の中で,やや他と違った環境に生息するのが,ヒメアカネです.ヒメアカネは湿地の生活者です.生涯を通じて,湿地とその周辺の樹林で生活しているようです.純粋な湿地だけでなく,池の周辺に浅い部分があって,そこが恒常的に湿地状態になっておれば,住み着いていることがあります.名もない湿地は開発されてしまうことも多いですが,自然公園や森林公園の中に取り込まれている湿地も多く,そういった所では,今後も安定した個体群が維持されるものと思われます.

ヒメアカネの生息場所
写真34.ヒメアカネは湿地環境にかたく結びついて生活している.ため池でも岸辺が湿地状になっておれば生息していることがある.
 これら以外のアカネ属は,産卵場所の環境こそ異なるものの,どちらかといえば平地にある明るく浅い止水環境に多く集まっています(写真35).打空産卵をする種は,産卵時に水のない場所に産卵します.上で考察したように,これは,卵の休眠性と関係があるのかもしれません.そしてこれらの幼虫は産卵場所に接続している止水に生息しています.もちろん,打水産卵する種はその水域に,打泥産卵する種はその場所に接続する水域に,幼虫は生息しています.これらは,産卵の観察と,その水域での幼虫の採集経験によって裏付けられているといってよいでしょう.浅い止水域を好むのは,春から初夏にかけて水温が上昇しやすく,早く成長する幼虫の発育が助けられるからだとも考えられます.

アカネ属が多く出現する典型的な止水環境
写真35.アカネ属の成虫が多く集まり産卵する,典型的な水環境.
 打空,打水,打泥のすべての産卵様式を満たす空間構造があって,かつねぐらが存在する.
打水産卵をするコノシメトンボと,水際で打水産卵するアキアカネ.
写真36.打水産卵をするコノシメトンボ(左)と,水際で打泥産卵するマイコアカネ(右).写真35と同じ場所.
アカネ属が多く出現する典型的な止水環境
写真37.周辺樹林の縁で休息するノシメトンボのオス(左)と,水域に接続する草地で打空産卵するマダラナニワトンボ(右).写真35と同じ場所.
 写真35の池(正確にはこの場所の池沼群)には,兵庫県南部に生息しているアカネ属のほとんどの種が見られます.しかしこういった明るく開けた池より,樹林に囲まれた池を好むアカネ属の種もいます.ナニワトンボ,リスアカネがそうです.これらは,9月に入ったばかりの暑い時期には特に,水落としされて岸辺が陸地化した部分に樹林が覆い被さっているような場所で打空産卵をします.

 また,キトンボは,写真35のような浅い池では水際で独特の打水−打泥産卵するものの,深い池の中央でも連続打水産卵することがあります.キトンボは生息場所の水位変化に対応できる産卵戦術を持っている点で興味深いトンボです.

ナニワトンボやリスアカネが好む産卵環境
写真38.ナニワトンボやリスアカネが好む産卵環境.水落としされた池の岸に樹林が覆い被さって陰になっている.
薄暗い樹林の下で産卵するリスアカネ(左)とナニワトンボ(右)
写真39.薄暗い樹林の下の陸上部分で打空産卵するリスアカネ(左)とナニワトンボ(右).写真38の池.
アカネ属が多く出現する典型的な止水環境
写真40.キトンボの産卵戦術.(左)水位が低いときは,水際の岸辺に土でできた小さな壁に向かって打泥産卵している.
 (右)水位が高く岸辺に土の部分が現れないときいときは池の中央で打水産卵する.
 アカネ属のトンボは,先に紹介したミヤマアカネに限らず,田園地帯に多いトンボという印象があります.田園地帯には,ため池,用水路,雑木林など,アカネ属の生活史すべてをカバーする環境がすべてそろっているからです.さらに水田そのものを生息場所にしているアカネ属の種もいます.兵庫県では,ナツアカネがもっとも目立ち,アキアカネ,ミヤマアカネなどが水田で多く見られました.過去形で書いたのは,アキアカネは数自体が激減していること,ミヤマアカネは上に述べたように田園地帯からほとんど姿を消していること,そしてナツアカネは,いまだに水田で産卵している姿をそれなりに見かけるものの,幼虫が育っているかどうかは分からないからです.というのも,水田でのトンボ減少に,薬剤の影響が指摘されているからです(例えば,神宮字他,2009).

 赤とんぼが日本人になじみ深かったのは,こういった水田生活者をはじめとしたアカネ属のトンボたちが,伝統的な稲作が行われる環境に適応していて,日本人の生活領域にどっと入り込んだからでしょう.

ナニワトンボやリスアカネが好む産卵環境
写真41.兵庫県ではアキアカネ(左;2010.10.17.)やナツアカネ(右;2009.9.26.)などが主な水田生活者であった.
 左:アキアカネは稲刈りが終わり湿地状になった水田で打泥産卵する,右:ナツアカネは稲刈り前の草原状態の水田で打空産卵する.
 では,ヒトが稲作を始める前,アカネ属のトンボたちはどういった所で生活していたのでしょうか.そしてなぜ,伝統的な稲作が行われる環境,いわゆる「里山」に多く見られるようになったのでしょうか.これらは想像するしかありませんが,アカネ属の生活史の枠組みや現在の生息場所をもとに考えてみたいと思います.

 アカネ属のトンボの生活場所と一言でいっても,すでに見てきたように,それぞれの種で異なる環境を好んでいることは確かです.そこで,アカネ属に限らず,ため池のトンボ群集を決定する環境要因を調べることを目的として,2000年から2001年にかけて,環境の異なる兵庫県南部のため池35を選定し調査しました.調査は,それらのトンボ群集と,ため池及びその周辺の環境要素を定量し,その結果を多変量解析(DCA)にかけて解析しました(国立環境研究所,2006).その結果が下の図3です.

アカネ属の翅脈の特徴
図3.DCA第一軸の環境傾度とアカネ属各種の位置.名前のないものは発見されていない.
図の4つの環境要素が,トンボ群集の変化と相関があると示された.ちなみに,第二軸は水生植物の多様性が環境傾度として選ばれた.これはトンボの産卵様式と関係あると考えられる.
国立環境研究所の生物多様性調査:国立環境研究所(2006)図10a 及び青木他(2002)から.
 この結果を見ると次のようなことが分かります.トンボ群集をもっとも大きく変える環境要因は,池のサイズ,立地が平地か丘陵か,周辺が水田か森林か,日射量が多いか少ないかということです.これら4つの要素はそれぞれ関連している可能性があります.つまり,水田が周りにある平地の大きなため池は日射量が多く(以下平地池),森林で囲まれた丘陵地の小さなため池は日射量が少ない(以下丘陵池),ということです.

 この環境傾度に沿って見られるアカネ属の種をみると,オオキトンボ,アキアカネなどが平地池に多く見られ(平地性の種),マユタテアカネ,ナツアカネ,ナニワトンボ,リスアカネなどが丘陵池に多く見られる(丘陵性の種)ことが分かります.これらは,トンボをよく観察している研究家の感覚とほぼ一致しています.キトンボ,ノシメトンボ,マイコアカネはその中間的な池ということになるかもしれませんが,私の観察からは,ノシメトンボとマイコアカネは平地池に多く現れ,キトンボはどちらにでも出現するという印象を持っています.さらに一つ付け加えておきますと,水田の生活者として紹介したナツアカネは,どちらかといえば山間の水田に多く出現します.ため池で見られたナツアカネはそれらが休息している個体だと思われますので,このような結果が出ているものと考えています.

 この結果でもう一つ注目すべきは,平地性の種であるオオキトンボやアキアカネが,未熟時代の移動性が高く,羽化した池の周囲で前生殖期の成虫がまず見つからないトンボである,という点です.そして,丘陵性の種であるマユタテアカネ,ナニワトンボ,リスアカネが羽化した池からそれほど大きくは移動しないトンボであるという点です.平地池で生活するためには,夏を過ごすための涼しい場所へ移動する力が必要とされます.したがってこれらのトンボの移動性の高さは,平地池での生活に適応しているといえます.一方丘陵性の種には,夏を過ごす森林が近くにあるので,その必要がないといえるでしょう.

 ところで,トンボの卵越冬や急速に成長する幼虫について,Corbet(1962)は次のような見解を述べています.まずトンボは熱帯で進化し高緯度地方へ分布を拡大していったと前提しています.その上で,卵越冬については,熱帯地方において乾季を卵で乗り切るという生活史の枠組みが,温帯地方での卵越冬の前適応*1として存在していたと考えています.また短い雨季の間に生じるような一時的な水たまりに生育するトンボの幼虫は,一般に温度に対する発育速度係数が高く,高い温度のもとで急速に成長する性質を持っているとも述べています.つまり,乾季が冬に,雨季が梅雨に対応して,生活史の枠組みが受け継がれているいるということです.アカネ属もこの枠組みを受け継いでいるのかもしれません.

 では,日本で農耕が始まる前のようすを想像してみましょう.日本は森林バイオームを有する国で,兵庫県は照葉樹林に属します.森林は豊かな水を保水しますから,湧水域,源流域,上流域,中流域,下流域と,河川は常に豊かな水を運んでいたと想像できます.また,川の水がせき止められてできた池や湖,湧水池などの止水域も安定した水域だったでしょう.こういった安定した水域には,おそらく丘陵性の種が生活していたと想像できます.一方で,その生活史の枠組みがもっとも有効に働く,つまり,種間競争の相手に対して有利に働く場所は,河川に付随する湿地帯や,氾濫原に形成される低湿地や一時的な水域のような所ではないかと思われます.こういった所は,夏の間,河川の水位が下がったり,干上がったりして,水がなくなる可能性が高いと考えられます.ですから,幼虫で長期間暮らさねばならないトンボは生活することができません.水量があり気温も高い梅雨時期に急速に成長を終えることのできるアカネ属の天下といえるでしょう.

アカネ属の翅脈の特徴
写真42.川の流域の沖積層に発達した農地は山の麓まで広がっている.
 ヒトが農耕を始めますと,氾濫原の沖積平野や低湿地が水田に変わっていき,やがて田園地帯となっていったことは想像に難くありません.そして人口増加とともに,開墾地はどんどん広がり,山すそにまで至ったことでしょう.そこには,それ以前からあった湧水池やその他の池沼があって,農地に取り込まれていったかもしれません.山すその開墾地には水田がつくられ,灌漑のためのため池(谷池)や用水路が建造されて,本来そこに存在しなかった水環境が人工的につくられていったことでしょう.丘陵性の種はこうやって田園地帯に取り込まれていき,平地性の種は開墾地の広がりとともに田園地帯に分布を広げていったものと思われます.そしてアカネ属のトンボは「里山」と呼ばれるヒトの生活領域に深く入り込んでいったのだと想像できます.

 里山の環境でもう一つ特筆すべきことは,ヒトの活動による攪乱です.言葉を換えれば,ヒトによる植生遷移の停止です.草刈り,間伐,ため池の水落,用水路の泥上げ,そして何より水田で稲を作るための毎年の維持作業,などは,すべて乾性・湿性の植生遷移を止めることになります.それによって,様々の産卵環境,未熟虫や成熟虫の過ごす草原・木漏れ日のある林,水の維持による幼虫の成育などの環境が安定的に提供されます.氾濫原は攪乱が大きな場所と考えられ,こういった遷移途中の環境に適応した生活を送っているアカネ属のトンボにとって,ヒトによる攪乱が逆に「遷移途中という安定した」生息環境を提供しているといえます.

 以上が,アカネ属のトンボが里山に多い理由だと考えられます.


トンボの生態学 モノグラフ:アカトンボ
兵庫県のアカネ属の現状
 以上アカネ属の各種について,その生態を考えてきました.最後に,兵庫県のアカネ属の現状について概観しておきたいと思います.飛来種を除いた兵庫県に生息している15種のうち,絶滅危惧種として日本のレッドリスト(2007)に載っているものが3種います.絶滅危惧T類のマダラナニワトンボとオオキトンボ,絶滅危惧U類のナニワトンボです.これらは兵庫県のレッドリスト(2012)でも,それぞれA,B,Cにランクされていて,さらにミヤマアカネがC,アキアカネとヒメアカネが要注目種に指定されています.

 この中でマダラナニワトンボがもっとも絶滅の可能性が高い種でしょう.2018年現在確実な生息地は1カ所で,そこでも,個体数が激減しています.私は2016年にオスの個体を確認しています.2017年は観察に行くことができませんでした.マダラナニワトンボについて詳しくはこちらのページをご覧ください.

兵庫県のマダラナニワトンボの生息地におけるもっとも最近の記録
写真43.兵庫県のマダラナニワトンボの生息地におけるもっとも最近の記録(2018年6月現在).
 左:兵庫県のかつての大産地における最近の記録,2010.10.10,右:兵庫県の最後と思われる産地の最近の記録,2016.10.10..
 対して,全国的にはかなり減少しているといわれているオオキトンボは,兵庫県では安定して各地で毎年観察することができます.兵庫県に多い理由は,ため池の数が全国一多く,それらが兵庫県南部に集中していること,最近特に秋にため池の水落がよく行われるようになったことなどが考えられます.オオキトンボは水位の下がったため池の水際に広がる泥土の部分に打泥産卵します.秋の水落によってこのような産卵環境が多くのため池に現出しました.また羽化した池から大きく移動分散して生活し,産卵シーズンになると再び移動して新たな産卵環境を有するため池を探す習性があることから,ため池の多さが,その年々で変化する産卵場所を見つけやすくしていると考えられます.そしてこれは推測ですが,水落という攪乱が,氾濫原で進化してきたと思われるオオキトンボに有利に働いているのかもしれません.オオキトンボについては,ある特定の池に住み着くというのではなく,広い生活空間の中にたくさんのため池があって,その中から適切な産卵環境のある池を選んで生活している,という感覚で捉えるとよいでしょう.

 ただし一つだけ心配なことがあります.それはため池への太陽光発電施設の設置です.日当たりのよい浅いため池,まさにこれがオオキトンボの好む池ですが,そこに太陽光発電施設が多くつくられ始めています.これがオオキトンボにどのような影響を与えるかは,今後観察を続けて見守っていく必要があるでしょう.

水が落とされた環境に適応しているオオキトンボ
写真44.水が落とされた環境に適応しているオオキトンボ.多の競争相手に対して有利であるかもしれない.産卵写真は同じ池.
平地の浅い日当たりのよい池に設置されているメガソーラー発電施設
写真45.平地の浅い日当たりのよい池に設置されているメガソーラー発電施設.
 ナニワトンボについても,オオキトンボ同様,ため池の多さと,秋の水落がよく効いていると思われます.ただ,オオキトンボがどちらかといえば開けた平地池(いわゆる皿池)に多く集まるのに対し,ナニワトンボは樹林に囲まれた丘陵池(いわゆる谷池)に多いという違いはあります.こちらについても,詳しくはこちらのページをご覧ください.

 兵庫県のミヤマアカネも減少が著しいトンボです.これについてはすでに考察したように,止水環境と流水環境が連続したような場所で幼虫が育つということから,このような環境の激減,特に田園地帯の圃場整備によるものが,減少原因と考えられます.現在ミヤマアカネが見られる場所は,その多くが川です.川の一部に流れにつながる小規模な止水的環境が現出しているような場所があり,それが長い年月にわたって安定しているようなところに生き残っているように見えます.こういった場所はとても少ないし,小規模でしょうから,個体数はそういった場所でも非常に少ないと考えられます.実際1,2頭がぽつんと止まっているといった観察例が多くなっています.

水が落とされた環境に適応しているオオキトンボ
写真46.左:ぽつんと1頭だけ山頂付近に止まっているミヤマアカネ.2010.8.22.,右:平地の皿池に生息するマイコアカネ.2006.9.17.
 レッドリストに掲載されていない種で,今一番減少傾向が著しいと思われるのが,マイコアカネです(cf. 青木,2014).島根県でも同様の報告がなされています(北山他,2018).私の観察では,過去に記録のあった生息地を訪れても,現在ほとんどその姿が消えています.先のため池調査が行われた2001年ころに各地で見られたマイコアカネは,図3の分析結果からも,どちらかといえば平地池に近い環境に多いという結果が出ています.実際,日当たりのよい平地の皿池に広がるヒメガマの群落の中で,未熟時代から成熟するまで過ごしているのを観察したこともありました(写真46右).ただマイコアカネの減少の原因は,今のところ不明です.それでもあえていうなら,最近平地池に定着性のあるトンボ群集が貧弱になってきつつある印象を,各地の観察を通じて持っており,マイコアカネもその一環で減少しているのではないかと感じています.

 これら以外では,アキアカネの減少が,特に兵庫県南部で認められます.兵庫県や神戸市での状況はこちらのページに報告しましたのでご覧ください.これについては,よく言われているように,薬剤の影響が大きいと思われます.現に,無農薬・減農薬の地域では,昔のように非常の多くのアキアカネが現在も水田を利用し生活しています.

 アキアカネと反比例するように,最近よく姿を見るようになったのはタイリクアカネです.タイリクアカネの繁殖活動期の個体は,以前は「内陸部には発見されない」と報告されていました(尾花,1969).しかし,この定説は,私の観察によっても,修正が必要になっているといえるでしょう.最近は海岸から20km以上も離れた内陸部の池沼で,秋にたくさんの個体が集合して産卵活動を行っています.時期がオオキトンボの産卵と重なり,オオキトンボとの異種間連結も見られるほどです.タイリクアカネは打水産卵を行い,学校のプールでも幼虫がよく見つかりますが,内陸部の観察では,むしろ水際で,打泥産卵に近い産卵を行っているのを見ます.証拠はまったくありませんが,アキアカネの減少が,競合するタイリクアカネの内陸部への進出を可能にしたと考えることはできないでしょうか.

水が落とされた環境に適応しているオオキトンボ
写真47.左:海岸から20km以上内陸部の池にたくさん集まって産卵するタイリクアカネたち.水際で打泥産卵しているのが分かる.
 右:オオキトンボのメスと異種間連結しているタイリクアカネのオス.オオキトンボと同じ池で産卵しているのだ.ともに2014.10.26.
 最近の平地池でのアカネ属の観察では,オオキトンボやタイリクアカネが目立つのですが,いずれも移動性の高い種です.一方で平地池とその周辺で一生を送るようなマイコアカネ,アカネ属ではありませんがコフキトンボなどが減少している事実があります.これは池やその周辺の環境悪化を示唆しています.広く移動することで産卵場所を選択できる種だけが,池環境悪化のリスクを分散させることになっているのかもしれません.

 以上述べた以外のアカネ属は,全体として減少傾向を感じるものの,まだ危機的状況にまでは至っていないといえるでしょう.


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