トンボ歳時記総集編 7月−8月
夏の青いトンボたち
写真1.ため池の上手に流れ込む小川が土を運んでできた湿地状の部分.
オオシオカラトンボは,湿地の住人です.ただし,湿地といっても,要はじゅくじゅくしたところを好むということで,素掘りの用水路,浅い流れ,休耕田や放棄水田,時には都会の溝や水がたまっている道路など,色々なところに進出しています.
オスは体全体に青白い粉を吹いていて,複眼が黒く,サングラスをかけているような風情です.羽化したときは,オス・メスとも,黒い地に腹部の前半部や胸側に黄色い部分があって,似たような色彩をしています.しかしオスはすぐに粉を吹いて体色が変化します.成虫が見られ始めるのは,ふつう6月に入ってからですが,この時期に粉を吹いていないオスに出会うことはあまりありません.というのは私のことであって,この時期は川のトンボが賑やかで,注意がそちらに向いてしまっているからでしょう.
6月の中旬には,早くも繁殖活動を始める個体が出てきます.このころのメスはまだ新鮮な感じで,体色の黒や黄色,翅もくすむことなく鮮やかな感じです.
No.053:オオシオカラトンボ
Orthetrum melania melania
オオシオカラトンボの消長図
写真2.6月10日.オオシオカラトンボの若いオス.まだ腰の部分にうっすらと黄色味が残っている.
写真3.左:6月12日,右:6月14日.6月の中ごろには繁殖活動が開始されている.交尾(左),および浅い用水路で産卵するペア(右).
写真4.7月1日.とある公園の駐車場の脇から滲み出てきた水たまりに産卵をするメス.側溝のふたが見える.
オオシオカラトンボの面白さは,何といってもその産卵にあります.オスは典型的な非接触警護を行い,メスはこれまた典型的な飛水産卵を行うのです.
多く見られる産卵行動は以下の通りです.オスが湿地でメスを待っているところへ,メスが単独で産卵に入ってきます.めざとく見つけたオスは,たいがい失敗することなくメスを捕まえ,飛びながら交尾の体勢に入ります.交尾時間は,ヨツボシトンボのように十数秒で終わることはなく少し長い目ですので,近くに止まることが多いようです.オスが多いときは,常に追いかけられながら交尾している状態になり,飛び続けたまま交尾を終わることもあります.ただ,ときどき,メスはオスを嫌って,すぐに逃げ出してしまうことがあります(写真6).
写真5.左:8月11日,右:8月9日.オオシオカラトンボはふつう静止してメスを待っている.左は湿地で,右は溝川で待っているオス.
写真6.8月9日.獣避けの電線に止まるオス(左上)とメス(左下).メスはすぐ横の農道の水たまりに産卵を始めた(右)が,オスが近づくとさっと逃げた.
写真7.左:8月11日,右:8月9日.写真6のオスはメスを捕まえ損ねたが,写真5左のオスはメスを捕まえ交尾に至った(左).右は別の場所のオスとメス.
静止状態での交尾は5分弱続き,オスがメスを放すことによって終わります.放されたメスは飛び立ちますが,少し移動してそのまま止まっていることがよくあります.交尾オスはそのメスのすぐそばをしきりに飛び回り,産卵を催促しているような動きを見せます.写真7の交尾メスは,ともにこのような行動を見せました.特に右側のメスはかなりの時間産卵を続けていたので,もう逃げたかったのかもしれません.オスはそれをさせないような動きをしています.そして,メスがふたたび飛び立つと,産卵場所へ追い立てるようにして誘導します.
写真8.8月9日.交尾態で静止していた電線のポール(写真7右)から,交尾後,すぐ横の電線にメスが止まり,そのまわりを執拗に飛び回る交尾オス.
写真9.8月11日.写真7左のペアが交尾を解いた後,交尾オスは,メスが飛ぶのを追いかけ,静止したメスのまわりを執拗に飛び,産卵場所へと追い立てていく.
オスはメスを産卵場所に誘導した後,上方からメスを押さえつけるように接近し,時には体当たりして,メスに産卵を促します.やがてメスが産卵を始めても,オスは執拗にメスに近づき,メスが産卵を止めて逃げないように囲い込むような飛び方をします.しかし他のオスがやって来ると,激しくそのオスを追い払い,すぐに戻ってきます.こういった行動を見ていると,オスは他のオスにメスを取られないように警護するだけでなく,交尾メスに「少しでも多く自分の子孫を産め」と強要しているようにも見えます.そしてしばらく時間がたち,メスが安定して産卵を続けるようになると,オスは少し離れて産卵を見まもるようになります.
写真10.8月11日.産卵を始めたメスに寄り添うように飛んで,産卵をうながすオス.
写真11.8月11日.オスはメスから離れず,手厚くメスの産卵を警護する.
一方のメスは,オスのそんな必死の警護活動をよそに,黙々と産卵を続けます.メスの腹部第8節の両側に広がった部分があって,さらに第7節から先のほうを内側に曲げてスプーンのような形をつくって,この部分で水をすくうように水面をかいて,卵とともに飛ばします.水をかいた瞬間は,水が飴のようにつながっていますが,やがて水はばらばらの水滴となって,前方の草や土の上に飛んでいきます.このとき,水滴の並び方はS字状になります.これは打水した瞬間の水は水面から斜め前方に放たれるため放物線を描き,その後トンボが水面から遠ざかるときに放れていった水はやや遅れて落ちるように飛んでいくからだと思われます.
写真12.8月11日.腹部第8節の広がりと,水面をかいたときの水の飛び始めの写真.
写真13.左:7月20日,中・右:7月13日.水をすくい上げる瞬間.水滴がややオレンジ色がかっているのは泥ではなく卵を含むためである.
写真14.8月11日.最初水はひとつながりになっているが,やがて水滴に分かれ前方へ飛ぶ.
写真15.8月11日.水滴はSの字を描くような並びで前方へ飛んでいくのが分かる.
写真16.8月11日.水滴は,前方にある植物や土の方に向かって飛んでいる.
次に,産卵についてのいくつかのバリエーションを紹介しましょう.7月20日の観察では,オオシオカラトンボではなく,シオカラトンボがオオシオカラトンボのメスを自種のメスだと勘違いして,交尾ペアの間に割り込んできました.そしてしばらくの間,シオカラトンボのオスがオオシオカラトンボのメスを警護するような行動をとりました.
このように,シオカラトンボがオオシオカラトンボのメスを自種のメスと見まちがうことはときどきあります.このとき,まちがえられるオオシオカラトンボのメスは,腹部の黄色い斑紋にシオカラトンボのような黒いスジがはっきり出ている個体が多いようです(写真18矢印).これは,シオカラトンボのオスが,視覚情報によってメスを認識していることを示唆しています.
その後このメスは,別のオオシオカラトンボのオスに捕まり,交尾の後,産卵を再開しましが,時にはシオカラトンボとオオシオカラトンボの異種間連結になることがあります.なおこの例の交尾では,いずれも静止することがなく,飛び続けたままの比較的短時間で終了しました.
写真17.7月20日.シオカラトンボが飛ぶ湿地(1)にオオシオカラトンボが交尾態で入ってきた(2).交尾を解いたとき(3)シオカラトンボが割り込んだ(4)(5).
シオカラトンボがこのメスを追いかけると,メスは交尾拒否姿勢であろうか,腹部を大きく内側に丸め込んで逃げた(6).
写真18.右下:8月17日,他:7月20日.シオカラトンボによる警護(7)と他のオスの連れ去り(8).右下はシオカラトンボとオオシオカラトンボの異種間連結.
次の例は,1頭のオスが2頭のメスを同時に警護するような産卵です(写真19,20).このオスは,まずはいつも通り入ってきたメスを捕まえて交尾しました(1).ここでも止まらずに飛びながらの交尾です.そして自分の縄張り内で産卵を始めさせました(2).しばらくするとそこへ別のメスが入ってきたので,このオスはまたそのメスを捕らえ,交尾しました(3).そして先のメスと同じ場所で産卵を始めさせました(4)(5).
写真19.8月2日.最初はいつもの1対1の産卵,そしてさらに入ってきたメスと交尾して産卵.ということでダブル産卵となった.
写真20.8月2日.上空で警護するオスのところへまたシオカラトンボがやって来た(左).右はダブルで行っている産卵.
さて,7月から8月にかけて,このように活発に活動を続けているオオシオカラトンボですが,9月に入ると,だんだんとその数が減ってきて,ふつう11月になるまでにはだいたい姿を消してしまいます.ただ,オオシオカラトンボの一部は二化しているように思われ,8月下旬に未熟な個体がときどき見られます.おそらくこれらの個体が9月末まで生きのびているのでしょう.
写真21.左:8月18日,右:9月23日.8月後半にこのように未熟なオスが見られたりすることがある(左).右は9月後半まで生き残っているオス.
ところで,一度だけ,11月後半に羽化してきたオオシオカラトンボを見たことがあります.コンクリートの溝にたまった水の中で育った幼虫で,暖かい秋の日差しを受けて水温が高いままだったのでしょう,11月の晴れた日にウスバキトンボとともに羽化していました.ただ,気温が低く,その後飛び立つことなく息絶えたようです.このような時期に羽化してくることは,秋の羽化の抑制が,日長ではなく温度で左右されていることを示唆しそうですが,実はこの溝に沿って街灯が設置されていて,日没後しばらくの間自動的に点灯されています.したがって,この幼虫は長日条件にあったと考えることもでき,真相は分からない状況です.
写真22.11月21日.都会の中のU字溝で羽化するウスバキトンボとオオシオカラトンボ.これは明らかに異常な羽化であろう.
では続いてシオカラトンボを紹介していくことにしましょう.
すでに紹介しましたように,シオカラトンボは,早いもので4月の中旬から羽化をしてきます.本サイトでの通季種の定義は,春季種と同じくらいに早く羽化をし,10月までその姿が見られる種としています.シオカラトンボは,そういう意味で,典型的な通季種です.
シオカラトンボは,非常に広い環境に生息している種です.典型的な生息環境は,浅い水がたまった泥状の湿地です.植生が豊かな美しい湿原には意外と少ない感じで,泥と水が広く露出していることが,好まれる条件のようです.水が落とされ泥の水際が広く露出したようなため池に多く集まっていたりします.しかし,特に泥部分が露出していない池や川,水たまり,水田,用水路,溝,公園の池など,さまざまな水環境にも見いだされ,あらゆるところにいるという感じです.
写真23.左上:4月18日,左下:5月8日,中:5月4日,右上:4月21日,右下:5月21日.4月から5月にかけて,羽化直後,色の変化,繁殖活動開始など.
写真24.左:8月17日,右:8月11日.左は自宅の家庭菜園のインゲンに止まる若いオス.右は河川で繁殖活動をしているオスがウチワヤンマに止まった.
写真25.左:10月2日,右:7月21日.左は都市公園の池の縁に止まるオス,右は中干しをしている水田で産卵するペア.
シオカラトンボの繁殖活動は5月から始まっています.春から初夏にかけての個体はまだ若いものが多くて,オスでは地色の麦わら色が透けて見える程度の粉しか吹いていないものが多いです.メスは明るい黄褐色で,まさにムギワラトンボと俗称されるような色合いです.複眼の色もそれほど深くはありません.しかし夏になってくると,オスは厚化粧をしたように粉を吹き,メスは緑味を帯びた色彩になったり無彩色的になったりする個体が出てきます.このときのメスの複眼の色は,エメラルド色をしていてとても美しいです.
写真26.6月7日.初夏のシオカラトンボたち.このころは若い個体が目立つ.オスは麦わら色の地が透けて見えている.
写真27.6月7日.シオカラトンボもオオシオカラトンボと同じく,飛水産卵をする.水滴が小さくはっきりしないが,前方に水滴が飛んでいるのが見える.
写真28.6月7日.シオカラトンボの産卵.水面を腹端でかいたところで,飛ぶ小さな水滴が認められる.
夏になっても,シオカラトンボたちは,日向で暑い日差しを受けながら,繁殖活動を続けます.シオカラトンボの白い粉は紫外線を反射する働きがあるということを,ある研究者が学会で言っていました.そしてこの成分を分析して化粧品をつくるとかいう話もしていました.そういうことですから,シオカラトンボたちは暑い夏の日向で元気に活動ができるのでしょう.
写真29.7月20日.夏の日差しを受け,浅い水たまりにオスたちが集まって活動をしている.
写真30.左:7月20日,右:7月29日.飛んだり止まったりしながらメスを待つオスたち(左).メスがやって来たら捕まえて交尾をする(右).
夏には,あちこちでシオカラトンボが集まって,次々産卵する姿を見ることができます.このとき,メスは割合に若い感じに見えるものから,老熟した感じに見えるものまでさまざまです.きっと羽化が続いているのでしょう.産卵中に,メスが度々静止することがあります.これはオスがたくさんいるときに,できるだけオスに刺激を与えないようにするためのメスの行動ではないかと思っています.写真35のメスは,数回止まりました.
写真31.8月18日.メスのすぐ上でホバリングしながら警護するオス(右)と,打水産卵するメス(左).打水したところから水滴が飛び始めているのが見える.
写真32.8月18日.池の岸近く,枯れた植物体が沈積してできた浅い泥状の岸辺で,警護産卵をするシオカラトンボ.
写真33.8月18日.無彩色的なメスとの交尾.交尾中も度々場所を移動した.
写真34.8月18日.無彩色的な色彩のメスの産卵.右の写真では,水滴が手前に方に飛んでいるのが見える.飛水産卵である.
写真35.8月18日.無彩色的な色彩のメスの産卵.産卵を始めてからも,このメスはよく止まった.
写真36.左:8月7日,右:9月2日.夏に出てくるメスの中には,体色が緑がかって見えるものがある.
産卵活動は9月になっても続きます.このころにはため池の水が落とされて水位が下がっていることが多くて,その水際が湿地状になるので,たくさんのシオカラトンボが集まって繁殖活動をすることがあります.右のビデオの場所が,まさにそんな所です.またわき水や用水路の水が流れ込んでいるため池では,露出した池の底に小さな流れができ,そういったところにシオカラトンボが集まってくることもあります.
写真37.9月11日.ため池の水が落とされ,露出した底に小さな流れができて,そこで産卵するシオカラトンボ.
写真38.9月11日.水滴が飛んでいるのが見える.
写真39.9月11日.このメスは若い個体である.この時期の若い個体は,おそらくこのシーズン二化目の個体である.
さすがのシオカラトンボも,10月に入ると,数がうんと減ってきます.この時期に出会うシオカラトンボはメスが多いように感じられます.人間と同じで,女性の方が平均寿命が長いのでしょうか.若々しく感じられる個体もいて,羽化が相当遅くまで行われているように見受けられます.そして11月になると,もうほとんどその姿を見ることができなくなり,わずかな生き残りに出会うだけという状態になります.4月中旬あたりに始まり,11月まで見られ続けるシオカラトンボ,まさに,すごいヤツです.
写真40.左:10月10日,右:10月17日.左は産卵中のメス.まだ産卵活動が行われている.右はまだ若く感じられる摂食中のメス.
写真41.左:10月23日,右上:10月9日,右下:11月7日.遅い時期のシオカラトンボ.さすがのシオカラトンボも11月中には姿を消してしまう.
写真42.11月17日.遅い時期のシオカラトンボ.22度を超えた秋の週,若い感じのするシオカラトンボのオスがいた.まだ青白くなく最近羽化したようだ.