トンボ歳時記総集編 7月−8月

汽水域に住むイトトンボ
写真1.河口域のヨシ原.水深は浅くヨシの枯れ茎がたくさん浮いていてる.こういった微小環境の,ヨシの間にもぐりこんで生活している.

 ヒヌマイトトンボは河口付近のヨシ原の中という,他のトンボがあまり入りこまないような汽水環境に生息している珍しいトンボです.といっても,まったく入りこまないということはなく,アオモンイトトンボやアジアイトトンボはときどき見かけます.写真1のような,見た目にもあまり美しいとは思われないような微小生息場所にいます.またとても小さなイトトンボで,モートンイトトンボとほとんど同じ大きさです.こんな事情もあって,なかなか発見されなかったようです.兵庫県での発見は1992年でした.
 兵庫県の産地においては,ヒヌマイトトンボは6月頃に羽化してきます.5月下旬に羽化しているという図鑑などの解説はありますが,消長図でも分かるように兵庫県の5月の公表された記録は知りません.

写真2.6月28日.羽化直後のヒヌマイトトンボ.まだ体全体が淡褐色をしている.
写真3.6月28日.ヨシ原の中で過ごすヒヌマイトトンボの未熟なオス.複眼が明るい茶色をしているのが未熟な証拠である.
写真4.6月28日.ヨシ原の縁で過ごすヒヌマイトトンボの未熟なメス.メスはオレンジ色をしている.
写真5.6月26日.ヒヌマイトトンボの未熟なオスやメスの活動.メスは摂食を行っている.

 ヒヌマイトトンボは,メスの色彩が成熟にともなって変化します.オレンジ色だった胸部が最終的にうぐいす色になります.同属のモートンイトトンボも同様の変化をしていきます.また,メスが単独産卵するアオモンイトトンボ,アジアイトトンボも,未熟時にオレンジ色だった胸部の色が緑色っぽい色に変化していきます.なお,ヒヌマイトトンボのメスにはオスと同じような色彩を持つものがあることが他県で報告されています.この点も,アオモンイトトンボとよく似ています.

写真6.7月13日.成熟したオス.複眼は明るい茶色の部分がなくなって黒くなる.
写真7.7月15日.未熟なメス.胸部がオレンジ色をしている.
写真8.7月15日.色が変わり始めたメス.オレンジ色の部分が次第に緑色に変わりつつあるため,一時的に茶色っぽい色彩になる.
写真9.7月17日.体色が完全にうぐいす色になった成熟メス.

 6月下旬には成熟した個体も多く飛んでいます.繁殖活動は同属のモートンイトトンボとよく似ていて,午前中の早い時間帯に一斉に交尾が行われ,産卵は午後に単独で行われます.兵庫県のイトトンボ科で単独産卵を行う種には,他にアオモンイトトンボ属があります.このうちアジアイトトンボはそれほど強く感じませんが,アオモンイトトンボは同じように午前中に一斉に交尾する傾向があります.こういったこれらのトンボの繁殖戦略の共通性には,興味深いものがあります.

写真10.8月5日.7:30頃生息地を訪れたところ,ヨシ原の中でいくつかのペアが交尾をしていた.
写真11.7月20日.12:00少し前頃の交尾.夏の暑い日差しの下での交尾で,ヨシの茎の日陰がわに止まって交尾をしている(左).
写真12.7月20日.やはり,日陰側に止まって交尾をしている.

 産卵は午後に単独で行われます.同属のモートンイトトンボの産卵中のメスは非常に神経質で,生息地をごそごそ歩いたりすると,すぐに産卵を止めます.7月13日の午後,14:00頃に少し気合いを入れて産卵の観察に臨みました.しかし写真13のように成熟したメスが水面近くのヨシの茎に止まっているのを見るばかりでした.モートンイトトンボのようにしばらく待つこともしてみましたが,産卵の開始を見ることはありませんでした.

写真13.7月13日.午後のヒヌマイトトンボのメスたち.水面近くに止まる成熟メスは見かけるが,産卵している,あるいは始める個体はいなかった.

 そういった感じで,なかなか産卵に出会うことができませんでしたが,ある年の7月18日,到着したときに,ヨシの林の中で産卵行動をとるメスに出会いました.でもやはり産卵中のメスは非常に敏感で,近づこうとすると,ヨシの茎をバリバリ言わせることとなり,すぐに産卵を止めてしまいます.幸いこの日は3頭が産卵に来て,3頭目は遠くから動かずに観察することにしました.

写真14.7月18日.梅雨明けの午後2:00,もっとも暑い時間帯にヨシの林の奥で産卵するヒヌマイトトンボのメス.
写真15.7月18日.あちこちに移動しながら産卵するメス.どちらかといえば朽ちた茎や葉に産卵することが多いようだ.

 ヒヌマイトトンボが兵庫県で発見されたころ,兵庫トンボ研究会(現在は休会中)でヒヌマイトトンボの夜間生態調査を行ったことがあります.このとき,ヒヌマイトトンボは集団で寝ていることが明らかになりました.この意義は明らかではありませんが,早朝に交尾が行われることを考えると,オスとメスが出会いやすくなるという点では,意味があるようにも思えます.

写真16.7月.ヨシの間で集団で寝ている夜間のヒヌマイトトンボ.

 ヒヌマイトトンボは,図鑑などの記述によりますと,9月下旬まで成虫が見られるということです.8月下旬までの調査しか行っていませんので,兵庫県では9月の姿はまだ確認できていません.なお,ヒヌマイトトンボには別の記事がありますので,そちらもご覧ください.