トンボの生態学
モノグラフ:南西諸島のトンボたち 目次

モノグラフ:南西諸島のトンボたち/概論
南西諸島
T.南西諸島の地史概略

 南西諸島は,目崎(1985)によれば,九州より南,与那国島まで続く弧状列島(琉球弧)に,大東諸島と尖閣諸島を加えた範囲とされています.このうち琉球弧は,フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下にもぐり込んでできる琉球海溝の,ユーラシアプレート縁に隆起してできた弧状列島です.ただ地図をよく見ると分かりますが,琉球弧はきれいな一列の弧状列島ではなく,二列の弧状の島々からなっていることが分かります.それは口ノ三島・トカラ列島から久米島へ続く内側の弧状のライン(内弧)と,屋久島から西表島へと続く外側の弧状ライン(外弧)です.

 外弧はプレートの動きで隆起してできた島々ですが,内弧はフィリピン海プレートがいったんユーラシアプレートに深く沈み込んだ後,岩石が融解しマグマとなって外弧の内側に吹き出し火山を形成した結果できた島々です(鹿児島県,2003).ですから内弧の島々は火山性の島として知られています.このうち口ノ三島・口永良部島からトカラ列島を経て硫黄鳥島までの火山島は新しく新生代第四紀※1に形成されたもので,九州から続く霧島火山帯に属しています(吉川,1969).ただし久米島はより古い新生代新第三紀の火山活動で形成された島です(目崎,1985).

図1.琉球弧の成因に関わる要素の概念図.各要素の形や位置は正確ではない.大雑把に理解するための模式図である.
 琉球弧の歴史に関しては,木崎(1980)や目崎(1985)に解説されています.それによると,琉球弧は約1,000万年前にはユーラシア大陸および日本と地続きでした.そしてその後の地殻変動や海面の上下動により大陸・台湾や日本との離合を繰り返し,現在の姿になったとされています.

 図2は,木崎(1980)の挿図をもとに,南西諸島各島の離合のようすを示したものです.陸地は,隆起,沈降,プレートの運動などの地殻変動,および海面変動によって,その位置や海岸線が変化します.したがって,各図間の期間にも島々はつながったり離れたりしていることを忘れないでください.
図2.南西諸島の離合の歴史概念図.木崎(1980)を参考にし,現在の地図に重ねて描画.
 国土地理院の地図に島々のつながりを重ねて表示した.
U.南西諸島における「高島」と「低島」

 南西諸島の島には「高島」と「低島」という分類がなされています(目崎,1985).この分類は基本的には高いか低いかという島の外観に基づくものですが,島の成因と深い関係があります.

 高い場所(山)が形成される原因は,隆起(褶曲)と火山活動が主なものです.いずれもプレートの動きによる地殻変動といえます.できた高い場所は風化・浸食作用,あるいは森林の形成によって,いわゆる山の形に変化していきます.そこに,陸地の沈降や海面上昇によって海水が入ってくると,島が形成されます.また西之島新島でよくご存知のように,海底火山によって海にいきなり火山島が誕生することもあります.こうやってできた島には,当然標高の高いもの低いものが混在することになります.

 このうち標高の低い島では,その後の地殻変動(沈降)によってある時期海面下に没してしまうこともあったでしょう.また海面下に没しなかった場合でも,島の面積が非常に小さくなってしまったかもしれません.南西諸島の亜熱帯に属する地域では,海面下に沈んだ浅い場所にはサンゴ礁が形成されます.サンゴが死ぬとその遺骸は砕け,破片は海水の動きに翻弄されながらやがて海岸近くへと集められ,堆積して,やがて地中深くで石灰岩になっていきます.

 そういった島が隆起を始めると,今度は海岸線が徐々に外に広がっていき,そこに次々とサンゴの破片が堆積し,その面積が広がっていきます.こうやって,島全体,あるいは島の大部分がサンゴ等の堆積物(石灰岩)でできた,標高の低い平坦な島が誕生します.これが多くの低島の成因で,「隆起サンゴ島」(目崎,1985)と呼ばれています.あと低島には,サンゴの代わりに砂が堆積し,同じように標高が低い平坦な島となった「砂州島」,「台地島」といって,段丘形成によってできた広い平坦な台地が海面上に顔を出している種子島のような島があります(目崎,1985).

 一方標高の高い島はその裾野が広がり,島全体の面積が大きくなる傾向があります.土地の沈降や隆起によって海岸線には低島と同じ現象が起きますが,島全体からみた相対的な面積はかなり小さくなります.その結果島の中心部では,広い面積の山や森林がそのまま維持されることになります.こういった島の本体は,海岸線を除いて陸地と同じように岩石でできています.そしてその本体が土地の隆起によってできたものを「陸島」,火山活動によってできたものを「火山島」と呼んでいます(目崎,1985).

 以上をまとめると,高島には陸島と火山島が含まれ,低島には隆起サンゴ島,台地島,砂州島が含まれることになります.ただ南西諸島の低島はほとんどが隆起サンゴ島です.

 目崎(1985)は,高島と低島の水文系の違いにもふれています.高島は山や森林が保持され,それが起源となった河川系が維持されているのに対し,隆起サンゴ島の多い低島では,石灰岩が雨水で浸食されたカルスト地形になり,地下水系が中心であるとしています.河川はこの地下水が地表に現れ出たものになります.トンボにとって水環境の違いは大きく生息種に影響を及ぼしますから,この相違は重要かもしれません.

V.離島における種分化と固有種

 以上はかなり大きな時間的スケールの話です.ではトンボの進化をあつかう際にはどれくらいの時間的スケールで考えるのが適切なのでしょうか.これは正直分からないというのが本当のところです.そこで比較のため人類を例にとってみましょう.最近の説によると,チンパンジーから人類が分岐したのが約1,300万年前だといわれていますから※2,これくらいの時間でサルから私たちが進化できるということです.もっとも古い化石人類は,約700万年前のサヘラントロプス・チャデンシスで,その後十数種以上の人類が進化登場し,我々ホモ・サピエンスが登場したのが約20万年前です.これと比較するならば,新種誕生を含めたトンボの進化を問題にするには,第三紀更新世末から第四紀完新世にかけての20万年前以降を対象にすれば十分といえるでしょう.

 この20万年前以降では,南西諸島の島々はほぼ現在の状況に近くなっています.ただこの間にも,地殻変動や氷河期・間氷期※3による海水面の上下動が繰り返し起きました.このときの海水面は100m以上上下したといわれていますが,水深が1,000m以上あるトカラ海峡(トカラギャップ),宮古凹地(慶良間ギャップ)のような深い海の部分はつながることはなかったでしょう.すなわち,北琉球,中琉球,南琉球地域はこの間ずっと海で隔てられ,それぞれの中では島々の距離が大きくなったり小さくなったり,あるいは陸続きになったりを繰り返していたと思われます.

 この地質学的な時の流れの中で,それぞれの地域に隔離された生物たちは,独自の進化を始めます.一つは「地理的隔離による種分化」というしくみです(図3).この種分化がうまく進行するかどうかは,島々や大陸との間の距離,また動物のそれらの間を移動する力の有無といった,「隔離の程度」に依存することになります.もし隔離が適切で種分化がうまくいけば,その島独自の「固有種」が誕生する場合があります.

 もう一つ「遺存種」という固有種の生じ方があります.これはたまたまその島に定着した種と同じ種が,別の地域からすべて消えてしまい,その島だけで生き残った場合です.例えば,他の地域では天敵の進化によってその種が絶滅させられたが,その島にたまたま天敵がいなかったとき,生き残って「遺存固有種」になるといった具合です.アマミノクロウサギはそのようなしくみで現在奄美大島と徳之島にだけ生き残っています.
図3.地理的隔離による種分化の考え方.種分化(一つの種が二つに分かれる)ためには,同種の集団が隔離され,それぞれの集団で遺伝子が異なっていく過程が必要である.長時間経過し,大きく遺伝子が異なってくると,我々はそれぞれを別種と判断する.しかし隔離が不十分で遺伝子の交流が生じれば,一方の集団で生じた遺伝子の変異がもう一方の集団と交配することによって,その集団内にも広がる可能性が生じる.そういったことが繰り返し起きる中で,両集団の遺伝子は均質化されて,それぞれが異なる遺伝子を持つ集団とはなりにくい.
 地理的隔離という固有種誕生の推進力を考えると,離島というのは固有種が進化しやすい条件を備えているといえます.日本で有名なのは小笠原諸島です.絶海の孤島であるこの島々は本土から遠く離れた海洋島で,一度も陸続きになったことはありません.長期間隔離されている中で固有種が進化し,トンボでいえば,実に5種類もの固有種が存在します.

 この考え方を逆手にとれば,種分化程度の相違から,逆にこれらの島々がどれだけ長い間隔離されていたかということを大雑把に推論することができます.中琉球はトカラギャップと慶良間ギャップにはさまれ,更新世末以降長い間他の島々から分離されていたといえますが,これは中琉球の島々に固有種が結構多いこともその根拠になっているようです.例えば,「沖縄諸島や奄美群島では,リュウキュウヤマガメ,イシカワガエル,アマミノクロウサギ,トゲネズミ類といった遺存固有種が多く見られます.これは,琉球列島の中でもこの地域がとりわけ早く島となり,その後,一貫して隔離されてきたことを示しています.(以上引用)」という記述が,環境省やんばる野生生物保護センターホームページに載っています.


モノグラフ:南西諸島のトンボたち/概論
南西諸島のトンボたち
T.各島の面積とそこに分布するトンボの種数の関係

 さて,こういった地史を持つ南西諸島の島々には,どのような特徴を持ったトンボたちが生息しているのでしょうか.まず最初に,各島々に生息するトンボの種数を比べてみましょう.生態学でよく知られた関係に,「面積種数曲線」というのがあります.島に生息する生物の種数と島の面積には相関関係があるというものです.そこで,南西諸島のトンボについて調べてみました.

 トンボ分布のデータは江平(2023),尾園ら(2007)の分布表(尖閣諸島は除く),尾園ら(2022)に,その後の知見(台湾を除く)を加えたものを用いました.面積種数曲線の場合「その島に生息する種数」を扱いますので,偶産種は除き,また亜種を種としてまとめると,ちょうど100種になりました.各島の面積は目崎(1985)に掲載されている値を用いました.そして描いたのが図4です.相関係数は0.78と,まずまずの結果が出ています.

図4.南西諸島(尖閣諸島を除く)のトンボの面積種数曲線.種数,面積は常用対数変換をしている.相関係数は0.78.一般に,面積の大きい島により多くの種が生息しているといえる.目崎(1985),尾園ら(2007),江平(2023),その他の情報をもとに描画.青下線はトカラ列島の島々.
 これは,面積が大きければ,さまざまな生息環境が島内に存在する可能性が高まり,環境要求性の異なるより多くの生物種を招き入れることが可能になるため,と考えられています.トンボに関してこのことをお話ししておきましょう.

 トンボの生息を可能にするには,気候などの物理的環境が好適であること以外にも,生活史全般を支える場所が必要です.図5はトンボの一生を支えるのに必要な場所を示しています.これら個々の環境に対する要求性は,トンボの種類によって少しずつ異なっています.繁殖場所を例にとると,水域の性質(湿地,河川,池沼など)や水域およびまわりの植生の要求性が種によってかなりシビアに異なっています.したがって,多様な水辺環境が存在すれば,より多くの環境要求性を持つトンボ種がそこで繁殖できることになります.そのためには,やはりそれなりの島の面積が必要になってくるでしょう.

図5.トンボの生活史に必要な場所(環境)の概念図.これらはあくまで概念的に分類したもので,空間的には重複している場合が多い.例えば,多くのトンボでは出会い場所と繁殖場所が同一である.南西諸島のトンボには,おそらくアキアカネのような季節的待避を行うトンボはいないと思われる.
U.島々のトンボ相の特徴

 今までの検討結果から,各島々に生息するトンボに影響を与える主な要因として,気候条件,地史,地理的隔離の程度,島の面積,成因と水文系に関係する高島・低島の区別,相対的な海面の上下動,トンボの移動能力などが挙げられるでしょう.これらはそれぞれ独立なものではなく,互いに関係し合っているものです.私が訪れたいくつかの島々については別項で述べるとして,ここでは,トンボの移動能力と各島々のトンボ相,固有種の分布状況について,全体的に眺めてみたいと思います.

 南西諸島は離島の集合体ですから,トンボの分布と海を渡る能力には密接な関連があるはずです.そこで,渡海可能なトンボが各島々にどれくらいいるかを調べてみることにしました.ただこのとき,あるトンボが海を渡る能力を有するかどうかを,「客観的に」どうやって判定するかが非常に難しい問題になります.こういったときに有効なのが操作的に定義する方法です.

 そこで,一度も陸続きになったことのない海洋島である南北大東島に注目しました.沖縄本島から東に360kmほど離れたこの島のトンボは,すべて海を越えて飛来したと考えるのが合理的です.そこで少なくとも南北大東島で記録されたトンボは海を渡る能力があると定義するのです.このように,合理的な別の観測や事実から定義する方法を操作的定義といいます.ただし一つ注意するべきことは,この定義では,南北大東島に分布しないトンボに移動力がないとはいえないことです.

 さて,まず面積種数曲線を描いた時に使ったデータを用いて,各島に生息するトンボを,南北大東島に分布する種としない種に分けました.ただ南北大東島は渡瀬線の南側に位置するので,今回は渡瀬線の南側にある島だけを対象としました.もしこれを琉球弧全体に広げると,例えば,大隅諸島(種子島や屋久島)に分布する図7のサブグループBのトンボたちは南北大東島には全く見られません.これらを,移動力の定義とした南北大東島のトンボ相と比較するのは適切ではないと考えたからです.

 さて以上のような条件下で描いたグラフが,図6です.

図6.渡瀬線以南の各島々のトンボ相を南北大東島のそれと比較したもの.高島と低島に分け,さらにそれぞれを面積の降順で表示した.( )内の数字はそれぞれ(面積[km2],最高標高[m])である.南北大東島には27種が分布する.ピンク色はその島にしかいない固有種である.尾園ら(2022)によると,南大東島に分布表示があるトンボは28種あるが,そのうちスナアカネを除いて27種としている.
 以下「南北大東島に分布する種」は「移動力のある種」,「南北大東島に分布しない種」は必ずしも移動力がないとはいえないのですが,ここでは理解しやすくするため「移動力がないと考えられる種」と言い換えることにします.

 まずこのグラフにも,面積−種数の関係が色濃く表れていることが分かります.そして面積が小さい島(約3.5km2以下)に分布するトンボは,高島・低島にかかわらず,ほとんどが「移動力のある種」で占められています.また低島に分布するトンボは,面積の大小にかかわらず,「移動力がないと考えられる種」が少なく「移動力のある種」が多い傾向が見られます.例えば,低島でも比較的面積の大きい宮古島や沖永良部島は,高島の並びでは石垣島と加計呂麻島の間に入りますが,「移動力のある種」の数はあまり変わらないのに,「移動力がないと考えられる種」は少なくなっています.

 南西諸島は,過去の地殻変動や海面変動によって,相対的な海面の位置変化にさらされてきたはずです.そんな中で,最高標高の高い高島は面積も広くなる傾向があり,過去に海面上昇した時代にも山地・森林や河川系がそれなりの広さで維持されていたと考えられます.こういった環境のもとで,移動性の乏しい種も減少または絶滅することなく残存することができたのでしょう.さらにこの隔離され安定した環境の中で,固有種さえ進化することができたと考えられます.

 一方,海面上昇時にかなりの部分または全部が海面下に没した低島においては,陸地面積の減少または消失によってさまざまの程度で 種の絶滅が起きたものと思われます.その結果,現在,主に海洋を渡る,移動力のある種によってトンボ相が形成されていると考えられます.また,高島・低島にかかわらず現在面積が小さな島々は水環境を含めた生息環境の多様性が乏しく,移動力のある種が飛来して一時的に定着しても何らかのインパクトで消えていく,といったことを繰り返しながらトンボ相が維持されているものと思われます.

 南西諸島の固有種は,中琉球と南琉球に多く見られます.これはトカラギャップと慶良間ギャップそして南琉球と台湾が,海で隔てられてから相当長い時間が経っていることを示しているものと思われます.他の昆虫群でもおそらくそうだと思いますが,南西諸島は,トンボ進化のダイナミズムを感じることができる魅力的な地域だと思います.

V.動物地理区の境界について

 最後にこれらの島々に生息するトンボの中身を見ていくことにしましょう.南西諸島には大きな動物地理区の境界である「渡瀬線」が,トカラ列島の悪石島と小宝島の間に存在します.日本では,渡瀬線より北は旧北区,南は東洋区になります.その他に,慶良間ギャップのある位置に「蜂須賀線」,大隅海峡に東西に引かれた「三宅線」などの動物分布境界が知られています(図1).前者は主に鳥類の分布をもとに,後者は主にチョウ類の分布をもとにして提唱されたものです.

 トンボについては,こういったことを検証した研究を私は知りません.そこで,ちょっとした作業をしてみました.図2から分かるように,新生代第四紀には台湾と九州を飛び石状につなぐ琉球弧が形成されています.そこで南西諸島を北琉球,中琉球,南琉球の3つのブロックに分け,北方種の進入起点を九州,南方種の進入起点を台湾にして,それぞれの起点から南西諸島に分布を広げるというモデルを考えてみました.

 まずそれぞれのブロックに分布する種数(亜種は種としてまとめる)を,北の方(旧北区)に分布中心がある「北方種」,南の方(東洋区)に分布中心がある「南方種」に,分けました.そのとき途中のブロックを飛ばして分布しているトンボがいますが,それぞれの最前線までは,好適な生息環境さえ存在すれば途中にも生息しているはずだと考えて,起点から分布最前線までの途中のブロックにはすべて分布すると仮定しました.図7がそのようすを示しています.

図7.北方種グループ(A−D),南方種グループ(H−L),南西諸島の固有種(F−G),北方種・南方種の区別が困難な南北広域分布種(E),それぞれの分布最前線を示す.A−Lはサブグループの記号,その後の数字はそれらのサブグループに含まれる種数.亜種は種としてまとめてカウントしている.各島々で偶産種と考えられているものは省いている.サブグループLを除く帯の幅は種数を示す.途中のブロックに分布しない種の数は背景色で虫食いのように示したが,存在するものとして考える.ウスバキトンボとオオギンヤンマは移住することが生活史に組み込まれていると考えて,種数に含めている.北方種,南方種の決め方は右欄外に示した.
 次に図7から,各ブロックにおける北方種,南方種それぞれの種数を求めました.ただし,固有種(F,G)と南北広域分布種(E6)は省きました.例えば,中琉球ブロックでは,北方種はC7,D7の合計14種,南方種はH24,I3,J13の合計50種になります.そして各ブロックにおけるそれぞれの種数を,起点である九州本土72種,および台湾127種に対する百分率で示してグラフ化してみました(図8).

図8.図7の各ブロックにおける,北方種の種数(青色),南方種の種数(黄色)のグラフ.
 これを見ると,北方種は南へ行くほど(青線),南方種は北へ行くほど(黄線),それぞれの種数が少なくなっていきます.これは当然のことでしょう.しかし見方を変えると,これらのグラフは,それぞれのグループにおける勢力図とみることができます.そして,これらの力のバランスが釣り合う場所は,それぞれのグラフが交わる点だと考えられます.図8からそれは中琉球と北琉球の間,すなわち渡瀬線になります.やはりこれは,トカラギャップがかなり古い時代から海で断ち切られていた事実と関連するのかもしれません.以上から,今後このページでは,原則的に渡瀬線をトンボ(動物)地理区の境界として扱っていくことにします.

 ところで,南西諸島に入り込んでいる種は図7のBからKまでの106種ですが,北方からの種(B,C,D)が28種,南方からの種(H,I,J,K)が55種と,圧倒的に南方から進入している種が多くなっています.これは南西諸島の大部分が地理的に亜熱帯に属する地域であることの他に,北方系の種には,一般に冬を乗り切るために生活史に休眠(冬眠)を取り入れていることが多く,その誘導や打破に一定以下の低温を必要とするためであろうといわれています.つまり,休眠が正常に行われないと,その後の繁殖活動にまで影響を与えてしまい(繁殖不可能に至る場合もある)(東 in 木崎,1980),定着が困難になってしまうということです.



参考文献
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Sasamoto, A. & R. Futahashi, 2013. Taxonomic revision of the status of Orthetrum triangulare and melania group (Anisoptera: Libellulidae) based on molecular phylogenetic analyses and morphological comparisons, with a description of three new subspecies of melania. Tombo 55(1/4):57-82.
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