トンボ歳時記総集編 10月−11月

繁殖域拡大中のアカトンボ
写真1.すっかり晩秋色に染まっている開水面の広がるため池.

 秋のまっただ中,それも晩秋の匂いがし始めるころ,池に現れるのがタイリクアカネです.タイリクアカネは,まだ謎の多いアカトンボだと私は思っています.それは消長図を見ていただくとはっきりします.6月の羽化期に羽化して間もない成虫の観察例はあるのですが,その後,7,8,9月と,ほとんど成虫が見つかっていないのです.この点オオキトンボとよく似ています.タイリクアカネのいわゆる前生殖期の個体がどこで生活しているはほとんど分かりません.
 非常に数少ない目撃例をたどってみますと,7月には標高680m程度の1例,8月には標高680m,530m,200mの3例,これらはいずれも山中です.そして9月のはじめに標高230mの田園地帯でたくさんのアカトンボに混じって電線に止まっていた個体の採集例があります.いずれも1頭だけの目撃で,集団でいるような状況ではありませんでした.このことから考えて,未熟な期間は山中に広く分散して生活しているのだろうと考えられます.

写真2.6月9日.タイリクアカネの羽化直後のオス(左)とメス(右).池の堤に生える草むらで休んでいる.
写真3.6月10日.雨の降りそうな日,池から飛び立ち畔の草むらに止まった羽化直後のタイリクアカネのオス(左)とメス(右).

 ところで,タイリクアカネは,かつては,海岸に近いところで繁殖活動を行うとされていました.実際2000年より前は,ほとんどの繁殖活動観察場所が海岸近くでした.しかし2000年以降,徐々に内陸部での観察例が増えてきました.それを示したのが図1です.

図1.兵庫県におけるタイリクアカネの繁殖活動場所の変遷.10月以降の観察場所を示す.
四角:2000年以降の記録,丸:2000年より前の記録(青木,2019より).

 1990年代にタイリクアカネを見に行くときには,海岸沿いの水場へ探しに行っていました.兵庫県の瀬戸内側の海岸というのはもうほとんど工場や港になっています.しかし,一部は公園化されている所があり,噴水池やビオトープが造られていて,そこが観察場所でした.また,都会の中の学校プールにもよくやって来ていたようです.もちろん今でもそのような場所にたくさん集まっていますので,海岸近くの水域が好きなことは間違いないでしょう.しかし一方,内陸部での繁殖活動も,今や当たり前になっています.
 その理由は定かではありません.一つ符合するのは,アキアカネとの関係です.アキアカネは水田以外にも水落をしたため池でも産卵をします.そのアキアカネは2000年頃に急激に数を減らしました.逆にそのころからタイリクアカネが内陸部で繁殖活動する姿が見られるようになってきたのです.
 タイリクアカネとアキアカネは,ともに,水落をした岸近くで打泥産卵,池の中ほどで打水産卵を行い,ねぐらは周辺の草地です.繁殖活動期のニッチ*1が非常によく似ているのです.当時圧倒的個体数を誇っていたアキアカネがタイリクアカネを競争的排除していた可能性があります.今の観察においても,アキアカネとタイリクアカネが,同じ池で,「繁殖期間全体」を通じて「一緒に」繁殖活動をしているという観察例がありません.さらにタイリクアカネが産卵していた池にアキアカネが入ると,タイリクアカネの姿が見られなくなるといった観察例もあります.
 まあ,こんな少数の観察ではまったく確かなことは言えませんが,今後の観察テーマとして興味深いものであることは間違いないと思います.

写真4.左:10月19日,右上:11月2日,右下:11月1日.いずれも海岸線より20km以上離れた内陸部で活動するタイリクアカネたち.

 さて,タイリクアカネの繁殖活動は10月に入ってから,それも通常中旬以降に見られ始めます.まずは,海岸近くの公園での繁殖活動を紹介しましょう.タイリクアカネは,山から一気に海岸まで飛んでくるというより,少しずつ移動しながらやって来ているように思います.それは,2000年以前でも,9月から10月上旬にかけて,海岸から離れた丘陵地の池に姿を現していたからです.しかしこれは一過性の出現で,そのころは移動の途中の個体だというふうに解釈していました.しかし上で述べたように,アキアカネに追われてそこで繁殖活動を始められなかったので姿を消したと考えることもできます.

写真5.10月27日.朝9:30頃になると,どこからともなく姿を現すタイリクアカネたち.海岸近くの公園の石畳や植栽の添え木に止まっている.
写真6.10月27日.公園の植栽に止まって交尾するタイリクアカネのペア.これは産卵前の交尾だと思われる.10:43.
写真7.10月27日.公園の人工池で産卵を始めたタイリクアカネのペアたち.池の中央付近で連続打水産卵を行う.10:45.
写真8.10月27日.ゴミが浮かび底にアオコがたまった人工池で産卵をするタイリクアカネのペアたち.11:12.
写真9.ひとしきり産卵活動が終わると,オスに放されたメスが別のオスに捕まって交尾を強要されるのがあちこちで見られる.11:34.

 では次に,内陸部のため池での産卵を見てみましょう.内陸部のため池で産卵する場合,タイリクアカネは水落をした池に多く集まる傾向があるように思えます.人工池や学校のプールのように,コンクリートや石垣で囲まれた池では,まず水落などということ自体があり得ないことですから,タイリクアカネたちは池の中ほどで連続打水産卵を行うことになります.しかし,水落をしたため池では,池の中程で打水産卵することもありますが,むしろ岸近くで打泥産卵を行うことの方が多いように見えます.打泥産卵についてはビデオに映像があります.

写真10.10月26日.水落をした内陸部のため池での産卵.4ペアが産卵しているが,一番上はオオキトンボメスとの異種間連結になっている.
写真11.10月26日.岸近くの藻が水面に顔を出しているような場所に集まって産卵を続けるタイリクアカネのペアたち.
写真12.10月26日.打水(打泥)位置をよく見ると,藻に卵を貼り付けるような産卵をしている.打泥とも打水とも言えるような産卵方式である.
写真13.10月26日.タイリクアカネの体色は,レンガ色というか,独特で渋みがある.

 産卵活動が始まる前,オスはよく水面をホバリングを交えながら飛びます.メスを探しているような動きです.オオキトンボにもよく見られる行動です.ひとしきり飛翔すると,岸の地面などに止まります.
 内陸部のため池でも,池の状況によっては,打水産卵をする場合もあります.下の写真14,15のため池は水落がされているのですが,キトンボとアキアカネが岸近くの泥の部分で産卵をしていて,タイリクアカネはその辺に行かず,開水面でキトンボなどを遠巻きにするようにして産卵していました.

写真14.11月2日.水面上をホバリング飛翔するオス.かなり長い間飛ぶこともある.内陸部のため池.
写真15.11月15日.内陸部のため池.ここでは打泥産卵でなく,打水産卵を行っていた.環境によって,産卵方法を変えることができるようだ.
写真16.11月15日.上と同じ池で,打水の瞬間.オオキトンボと同じように水面を深く掻くようにして産卵をしている.
写真17.10月30日.水落をしたため池の水際の泥上の部分で産卵をするタイリクアカネのペア.どちらかといえば打泥産卵に近い産卵様式であった.

 産卵活動は午前10時半過ぎからお昼前まで行われます.また11月の下旬まで続きます.その後12月に入ると産卵活動はほとんど見られなくなり,生き残りの個体が徐々に数を減らしていきます.繁殖活動が盛んに見られるのは約1か月半と,アカトンボにしては短い感じがします.そして私の一番遅い記録は1月1日で,キトンボ以外で年を越した初めてのトンボになりました.

写真18.左:11月18日,右:12月25日.遅い時期のタイリクアカネたち.11月下旬には数が減ってくる印象がある.
写真19.1月1日.初めて越年を観察したタイリクアカネ.