トンボ歳時記総集編 10月−11月

激減後出現が遅くなったアキアカネ
写真1.稲刈りが終わり,ひこばえが生えている海岸近くの水田に,水がたまっている..

 アキアカネは,アカトンボの代名詞とも言ってもよいくらい,日本の代表的なアカトンボです.およそ日本の津々浦々,どこにでもいると言っても過言ではありません.もっとも,南九州ではほとんど見られず沖縄にはいません.20世紀の末頃までは,夏の山を歩けば避暑をしているアキアカネが,秋の田園に行けば,電線や棒の先にずらーっと止まっている,あまりに当たり前のトンボでした.これは水田を主な繁殖場所とすることに成功して個体数が激増したことによるのでしょう.しかし21世紀に入ってから,各地で激減が報告され,兵庫県でも,体感的に千分の一ぐらいに減ったような気がします.今や,ふつうの水田へ出かけても,アキアカネどころか,まったくトンボが飛ばないところがほとんどです.
 しかし,この10年ほどに感じるのは,少しアキアカネも増加傾向が見られ,特に11月に入ったころに活動しているアキアカネが目立つようになったことです.アキアカネの生活史の枠組みが少し遅い方にシフトしたみたいに感じます.理由はよく分かりませんが,温暖化が関係しているのでしょうか?

 さて,そんなアキアカネについて見ていくことにしましょう.アキアカネは消長図でも分かるように6月頃に羽化をします.羽化した未熟な成虫は,少しの間,羽化した場所の近くの草原などで過ごしています.オオキトンボのように羽化後すぐに一気に飛び去って姿を消すことはありません.

写真2.6月19日.自宅羽化.完全な倒垂型の羽化をしている.
写真3.6月26日.水田で羽化しているアキアカネ.
写真4.左:6月26日,右:6月25日.水田で羽化したアキアカネ(左)は,近くの草地の中にもぐりこんでしばらく過ごす(右).
写真5.左:6月24日,右:6月25日.草むらにもぐり込んでしばらく過ごしている未熟なアキアカネたち.
写真6.左:7月13日,右:7月16日.いずれも平地で見られた未熟個体で,まだ羽化が続いているのだろうと思われる.

 これらの未熟なアキアカネたちは,いつ頃移動するのかは定かではありません.そこで,今までの兵庫県の成虫観察データを,時期と標高でプロットしてみました(図1).これを見ると,標高400m以上の場所ではだいたい,7月から10月中旬頃まで見つかっていることが分かります.また標高200m以下のところでは,9月あたりから徐々に見られる数が増えていき,10月になると数が非常に多くなることが分かります.9月以降の標高400m以上で見られる個体については,その後平地に降りてくるのか,そのまま標高の高いところで繁殖活動を行う「高地個体群」なのかは判然としません.おそらく両方が混じっていると思われます.そして10月中旬になると,標高の高いところの個体はほぼ姿を消すようです.一方,真夏でも,結構標高の低いところに残っている個体もいることが分かります.しかし羽化期の6,7月や繁殖期の9月下旬以降に比べると,明らかにその密度が違います.
 以上から,一般論として,多くのアキアカネは,羽化後,6月から7月にかけて山地に移動し,9月頃から徐々に平地に降りてきて,10月以降平地での繁殖活動が最盛期を迎えるといえるでしょう.

図1.アキアカネ成虫が観察される季節と標高.


写真7.左下:8月5日 alt.880m,左上・中:8月30日 alt.890m,右:8月19日 alt.500m.8月を標高の高いところで過ごすアキアカネたち.
写真8.9月5日.alt.880m.高原で過ごすアキアカネ.だいぶん腹部が赤みを帯びてきているがまだ成熟しているとは言えそうにない.
写真9.左:9月25日 alt.820m,右:10月20日 alt.760m.左はここで繁殖活動をしたかどうか不明.右はここで繁殖活動をしていた高地個体群だ.

 さて,このようにして夏が過ぎていきますと,いよいよアキアカネの繁殖活動が始まる季節になります.水田で産卵するアキアカネは,水田がねぐらにはなっていません.少し,あるいはかなり離れた場所にある草地がねぐらのようです.よく晴れた10月の朝,連結状態になったアキアカネが上空20mぐらいの所を,次々に一定の方向を目指して飛んでいきます.これは見ていて本当に圧巻です.

写真10.10月18日.みな北を目指して飛んでいる.写真は朝日をバックに西を向いて撮影している.ほとんどが見えなくなるような遠くへと飛んで行く.

 皆同じ方向に飛んでいくのがとても興味深いです.ここの観察地点にも水田があって,一部水がたまっています.そこへ舞い降りてくるペアも少しはありました.しかしほとんどの個体は目的地があるかのように,遠くへ飛んでいって姿が見えなくなります.おそらく産卵場に記憶があるのでしょう.
 アキアカネが目指しそうな水田にはあらかじめ目をつけておきましたので,そこへ急いでみました.そこでは飛行高度が少し下がっていました.先の場所と違って,2,3mの高さを飛ぶようになりました.また,写真10の場所ではほとんどの個体が同じ向きを向いて飛んでいたのに対し,この産卵場と思われる場所の近くではあちこちの向きに飛び回るようになりました.
 もちろん,先の一群がここに来ているという証拠はありませんので,これはここでの一つの状況でしかないかもしれません.それが証拠に,この場所では,オスが単独で上空を,タンデムペアに交じって飛翔していたり,オスがメスを見つけたのでしょう,交尾態のペアも結構見られました.ここは,オス・メスの出会いの場でもあるようです.後で紹介するように,ここは産卵場でもありますので,産卵場近くでは飛ぶ高度が低いということはいえそうです.

写真11.10月18日.写真10の場所から3kmほど離れた谷筋にある水田で,写真10に比べて低い高度を,あちこちの向きに連結飛翔するアキアカネのペアたち.
写真12.10月18日.ここでは,5頭の単独オスがタンデムペアに交じって高いところを飛び回っている姿が観察できた.おそらくメスを探しているのだろう.
写真13.10月18日.同じ時間帯に,あちこちで交尾をしているペアも見られた.出会いの場所にもなっているようだ.

 産卵場では,ここと思う水田を見つけたら降りて,地面近くの低いところを飛びます.ただすぐに産卵を始めるわけではなくて,しばらく産卵しようと思う場所の上をグルグルと行き交うように飛び回ります.その場所が気に入ればやがて産卵行動に入りますが,時々すぐに飛び去ってしまうペアもあります.その場所が気に入らないのかもしれません.多くのペアにとって産卵を好む場所は大体決まっているようで,その結果として同じ場所で複数のペアが産卵することが多くなります.
 アキアカネは連続打泥産卵を行います.オスはほとんど高さを変えることなく,オスの胸の位置を中心に,振り子を振るようにメスの腹端を打ち付けさせます.

写真14.10月18日.気に入った水田の産卵適所には,複数のペアがやってきて産卵することも珍しくない.ここには3ペアが産卵している.
写真15.10月18日.上と同じで,2ペアのアキアカネが産卵をしている.
写真16.10月18日.打泥場所を探しながら,地面近くを飛ぶペアたち(左)と,打泥の瞬間(右).メスは褐色のタイプである.
写真17.10月18日.打泥場所は水のあるところや(左),水のない湿土上など,さまざまである.

 産卵活動は午前10時頃からお昼前まで行われます.産卵が終わるとオスはその場でメスを放します.そしてオスもメスも少し離れたところに止まることが多いようです.お昼頃に,こういった産卵を終えた個体が群れになって,林の縁などで摂食飛翔を行うことがあります.翅に太陽の光が反射し,キラキラ輝いて幻想的です.ただ,写真に撮っても白い点にしか写りません.動画にするとよく分かります.そして昼下がりになるとあちこち,特に電線のようなところに,鈴なりになって止まります.

写真18.10月18日.産卵が終わって,水田の鉄柵に止まったアキアカネのメス(左).お昼頃,林縁の空間を摂食飛翔するアキアカネ(白い点に見える)たち.
写真19.10月21日.14:00を過ぎたあたり.水田の周りに張られている鹿よけの電線に鈴なりに止まるアキアカネたち.
写真20.10月21日.水田横の電線に止まるアキアカネたち.右下左から2頭目はナツアカネ.

 以上は,水田生活者としてのアキアカネの標準的な日周活動です.アキアカネは,水田以外でも繁殖活動を行っています.というより,最近は多くの水田でアキアカネの活動が見られなくなり,むしろ,ため池で産卵する姿をよく見るようになりました.水落をしたため池は,秋になると底の露出した部分が湿地状になって,アキアカネの適切な産卵場になります.また,いわゆる湿地にもアキアカネは入り込み,産卵活動を行います.水田は人工的環境です.元来のアキアカネの産卵環境は,これら湿地や,水が減った池だったのかもしれません.

写真21.9月26日.浅い池岸に広がる湿地状の部分で産卵活動を行うアキアカネのペア.
写真22.11月10日.一時的な水たまりにオオフサモが生え,そこへ産卵にやってきたアキアカネのペア.
写真23.11月30日.ため池で繁殖活動を行うアキアカネのペア.池畔の草地で交尾を行い(左),池の岸から離れて打水産卵を行っている.日付も相当遅い.
写真24.11月23日.ため池で繁殖活動を行うアキアカネのペア.水落をされ底が露出した岸辺で産卵をしている.
写真25.11月23日.泥というより,砂礫の中に腹端を打ち付けて産卵活動をするペア.

 平地ではこのように11月下旬まで産卵活動が見られます.オオキトンボのところでも述べたように,最近は水落をするため池が増えてきたので,アキアカネにとっても好適な産卵環境が生まれているように見えます.水田の多くはまだ薬剤の影響で死の世界ですが,このようなため池の環境の変化によって,オオキトンボと同じように,アキアカネも少し個体数が回復しているのかもしれません.
 ところで,平地以外に,高標高地で繁殖活動をする個体群があります.つまり秋になっても平地に降りてこなくて,高い山の上の湿原などで繁殖活動を行う個体群です.図1から分かるように,10月下旬から11月にかけて標高800m弱のところにプロットが落ちていますが,これらがその高地個体群です.図1の矢印のついているプロットの個体群を紹介しましょう.

写真26.10月20日.とある標高の高いところ(alt.760m)にある湿地.
写真27.10月20日.湿原に生える草の間で打水しながら産卵するアキアカネのペア.
写真28.10月20日.アキアカネはそれなりの数がいた.これは,腹部が褐色のメスを引き連れている.

 さて,このように10月から11月にかけて繁殖活動を行ったアキアカネですが,12月に入ると,繁殖活動はさすがに低調になり,後生殖期を過ごす個体が,地面にぺったりと止まっているのを見る程度になります.今のところ年を越した個体の観察はなく,私の終見記録は12月25日です.

写真29.11月23日.晩秋のひこばえが茂る水田で産卵をするアキアカネのペア.繁殖活動は,だいたい11月下旬に終息する.
写真30.左上:12月17日,左下:12月21日,中:12月4日,右上:12月15日,右下:12月25日.12月のアキアカネたち.後生殖期を過ごしているのだろう.