トンボ歳時記総集編 10月−12月
年を越すアカトンボ
写真1.すっかり晩秋色に染まっている開水面の広がるため池.
トンボの成虫シーズンの最後を飾るのが,キトンボです.12月に入って,生き残っていたアカトンボたちが姿を消していく中,キトンボは12月後半まで繁殖活動を続けています.そしてクリスマスを過ぎ,12月末になると,池で飛んでいるトンボはキトンボだけでになります.年によっては,越年して,1月まで生き残って産卵活動を行うことがあります.
キトンボは,1990年代頃は,どちらかといえば珍しいトンボのような印象を持っていました.しかしそれは,私の観察に問題があったようです.そのころは,だいたい11月になると,トンボの観察を終えることが多かったのです.アカトンボなどは,10月中には出そろうという感覚があって,11月に入っても生き残ってはいるものの,もう新しく見られる種はいないという予想が,観察を終える根拠になっていました.そして11,12月のトンボなかまの懇談会に向けて,その年の観察をまとめる作業に入っていたものでした.11月はともかく,12月下旬に冬用のコートを着てトンボ観察に行くなどということは,考えられないことでした.しかし,キトンボは,ここからが本番なのです.10月ごろの出現は序章にしか過ぎません.何事も先入観に左右されてはいけないという教訓をこの10年で得ることができました.
ところで,キトンボの羽化は他のアカトンボに比べて遅いようです.観察例がとても少ないので確かなことは言えませんが,消長図からみても,6,7月の成虫の観察例は4例ほどあるだけです.私の羽化直後の未熟な個体の観察は,なんと,9月23日でした.もう多くのアカトンボが繁殖活動を行っている時期です.ここの個体群が特に遅いということも考えられるのですが,ちょっと驚きの結果です.
No.095:キトンボ
Sympetrum croceolum
キトンボの消長図
写真2.9月23日.左は羽化直後と思われる個体で草の中にぶら下がっている.右は羽化してから少し時間が経ったと思われる個体.いずれもオス.
写真3.9月23日.背景の葉が黄色や赤に色づきはじめているのが分かる.もう秋に突入しているのだ.
写真4.羽化してあまり時間が経っていない未熟なオス(左)とメス(右).これらの写真は,生息地の周辺にある疎林内で見つけたものである.
羽化した後のキトンボがどこで過ごしているかはほとんど情報がありません.おそらく少し移動して,樹冠部か深い林の中で生活しているのではないかと思います.それは,夏の間結構トンボを探しにあちこちで歩いているにもかかわらず,まったく出会うことがないので,あと夏に行かない場所といえば,樹冠部か深い林の中くらいしかないからです.すでに何度か触れているように,オオキトンボ,タイリクアカネ,キトンボの未熟な個体の生活場所という課題は,まだ解決されていないように感じます.
さて,成熟したキトンボが池に姿を現すのは,9月下旬ごろからです.上で9月23日の羽化直後の個体を紹介しましたが,この時期に,特に兵庫県北部では,繁殖活動が始まっています.やはり個体群によって生活史の季節進行がかなり違うのかもしれません.
写真5.左・右上:9月23日,右下:9月27日.左の写真と右下の写真は兵庫県北部での撮影.右上は,兵庫県南部.まだ腹部が赤くなっていない.
10月になると,あちこちの池にキトンボが姿を見せるようになります.兵庫県南部の池でも繁殖活動が見られるようになります.これから約3ヶ月間にわたる,キトンボの繁殖活動期の始まりです.10月頃に現れるキトンボは,オスの腹部背面が赤く色づきはじめたばかりという感じの若い個体です.メスも黄褐色です.
写真6.左上・左上中:10月3日,左下:10月9日,右:10月6日.10月になるとあちこちの池に姿を現し繁殖活動を始める.上中の写真はメス.
写真7.10月9日.お昼過ぎ,池の近くの空き地で休むキトンボのオス.
写真8.10月9日.産卵活動は10月上旬から見られ始める.
写真9.10月6日.この生息地は,毎年のように越年が見られるところであるが,10月の産卵から,特にここの個体群の成熟が遅いとも言えないようだ.
写真9.10月13日.兵庫県北部.池に突き刺さっている杭に向かって卵を貼り付けているキトンボ.
キトンボは,ふつうは水落をしたため池に出現します.それは水際で打水−打泥産卵を行うからです.しかし,キトンボの産卵活動の適応力には素晴らしいものがあって,満水状態の池でも,池の中央で連続打水産卵をすることができます.そんな池では,顔を出している石の表面に卵を貼り付けたりもします.さらにまた,コンクリート護岸壁でも産卵ができるのです.おおよそ池の状況にかかわらず産卵を行っているようです.この状況を見ていると,産卵環境に適した空間的構造を持つ池だけでなく,何か別の要因がキトンボをその池に執着させているように思えてしまいます.
写真11.10月11日.キトンボは満水状態でも池の中ほどで打水産卵を行うことができる.またこんなときには顔を出している石に卵を貼り付けたりする.
写真12.10月20日.満水の池では,コンクリート護岸壁に産卵することもできる.1:打水し,2・3:飛び上がって,4:コンクリート上に放卵.
キトンボは,連続打水産卵以外に,先に述べたような打水−打泥を繰り返す,他のトンボには見られない特異な産卵を行います(欄外アニメーション).ここではそのあたりを詳しく見ていくことにしましょう.
まず打水の瞬間です.写真を見ると色々に写るのですが,かなり水面深く水を掻いているような場合もあれば,大きく開いた腹端で軽く水面に触れる場合があるようです.たくさんの写真を検討すると後者がふつうのようで,深く水を掻くのは打水産卵をしているとき以外はあまり例がないように見えます.水面に軽く触れた場合は,表面張力の加減で,大きく上に反った腹部第9,10節(亜生殖板)と下に反った産卵弁の間に水滴がつきます.すると,その中に生殖口から出てきた卵が浮かぶことになります.
キトンボの産卵アニメ
写真13.11月15日.打水の瞬間の様相.かなり深く水を掻いているように見える(左).水面をチョンとたたく打水.円い水紋と腹端の水滴が見える(右).
写真14.左:10月13日,右:11月15日.腹端で水面に軽く触れると表面張力で水面が盛り上がる(左).右は別の個体における拡大図で腹端に水滴がついた.
写真15.10月13日.打水の後,腹端に水滴がつき,その中に卵が浮かんでいる状態.この後打泥して放卵する.右枠内では水に浮かぶ卵が分かる.
さて,次に打泥して放卵するのですが,キトンボは,この時,水滴を直接地面にこすりつけているのではないように見えます.時に,タカネトンボのように,地面に腹端が接することなく,水滴を地面に向かって飛ばすことがありますし,通常の打泥動作でも,腹端の水滴を,打泥の勢いで地面に飛ばしているように見えます.それは,腹端の水滴を地面に押しつけるというより,腹部の腹面や産卵弁を地面に打ちつけているからです.
写真16.左:10月13日,右:10月30日.腹端が地面に触れることなく水滴を飛び散らしている(左).腹端で打つ場所は水滴部分でなく腹部腹面である(右).
さて,キトンボは,11月も引き続き,そして12月下旬,時には1月になっても産卵活動を行っています.11月の産卵行動は,10月頃の行動とあまり変わりはありません.生息地によっては,11月下旬に産卵のピークを迎えるところもあります.午前11:00ごろにたくさんのキトンボが集まってきて,一斉に産卵活動を行います.
写真17.11月25日.秋の日差しの中産卵に入ってきたペア.キトンボの色彩が,落ち葉の色や秋の日差しの中に溶け込んで保護色になっているようだ.
写真18.11月25日.水辺で打水し打泥するペア.打水は水面を押さえつけるような感じで,打泥は腹部第7節の腹面を地面に打ちつけている.
写真19.11月25日.この生息地では,11月下旬が産卵のピークである.左は同時に3頭,右は同時に2頭が産卵している.
写真20.11月25日.一種のグループ産卵と言えそうで,どういうわけかお互いに近くで産卵を続ける.
写真21.11月25日.同調的に打泥するのが面白い.団子状態になるほど近づいて産卵するのだ.
12月の下旬ぐらいになってきますと,晴れていても,気温は高くても10度ぐらいにしかならず,通常はトンボの飛べる温度ではありません.そんなとき,キトンボは,太陽の光を最大限に利用すべく,石の上などにべたっと止まるようになります.実際日当たりのよい地面に温度計を置きますと,気温が7度の日でも14度近くにまで上昇しました.こうやって体を温めて活動をしているのです.そして活動をし,また体を温めるといった具合です.産卵行動の間にも,ペアは体を温める休息時間をはさむようになります.
写真22.12月29日.朝,池に現れたオスたちは,太陽光に対して体が垂直になるような角度で静止し,できるだけ多くの熱を受けようとする.
写真23.12月29日.タンデムのペアが池に入ってきた.まずはゆっくりと岸辺に静止し体を温める.少し移動してさらに温める.
写真24.12月29日.やがて飛び立ち産卵を始めたが,すぐにオスが水際に休止してしまいメスがバタバタする事態になった.
写真25.12月29日.ふたたび産卵を再開したが,すぐにまたオスが水際に休止してしまった.メスももう動かない.
写真26.12月29日.少し産卵活動をして,また岸辺に静止して体を温めることにしたようだ.そしてまた産卵を再開した.詳細は本文参照.
写真22−26のペアは,11:53'54"に池に入ってきて体を温め,11:57'24"に産卵を始めました.その後タンデムを解いて単独産卵に移行するまで14分2秒間連結産卵を続けました.その間に,3回合計8分40秒間体を温めるために岸辺に静止し,オスが水際に一時的に3回合計14秒ほど休息するように止まりました.つまり,14分2秒のうち実質産卵活動時間は5分8秒です.ほとんどの時間が体を温めるために使われていることが分かります.
さらに,オスが連結を解いた後,メスは単独で産卵を続けました.タンデムを解かれた後,3回産卵活動をし,その間に2回岸辺に止まって体を温めました.この休憩が合計8分46秒間.実際の産卵活動が合計7分42秒でした.産卵終了前に5分34秒頑張って連続産卵したのが大きかったようです.
以上の詳細は右欄外に示しました.タンデムペアが池に飛来してから産卵終了まで34分の時間を費やし,体を温めるための休息が,最初を含めて21分10秒,産卵活動時間が12分50秒でした.寒い季節の産卵がいかに大変かよく分かると思います.
連結ペア発見(11:53'54")
3'33" 岸辺に静止
1'12" 産卵活動
3'24" 岸辺に静止
0'32" 産卵活動
0'04" 水際で休止
1'38" 産卵活動
2'42" 岸辺に静止
0'22" 産卵活動
0'04" 水際で休止
0'08" 産卵活動
0'06" 水際で休止
0'54" 産卵活動
2'34" 岸辺に静止
0'22" 産卵活動
連結解消(12:11'26")
0'46" 産卵活動
5'12" 岸辺に静止
1'22" 産卵活動
3'34" 岸辺に静止
5'34" 産卵活動
産卵終了(12:27'54")
写真27.12月29日.オスがメスを放し,メスが単独産卵に移行した(左).単独のメスもやはり産卵を中断して体を温める時間を持った(右).
11月下旬から12月にかけて,このように寒い中繁殖活動を続けているキトンボを観察していると,色々なアクシデントに出会うことがあります.その中で一番印象に残ったのは,連結しているペアのメスを,他のオスが横取りしたという出来事でした.タンデムで交尾や産卵を行うというのは,もっとも強固な警護方式だと思います.しかしこれとて万全ではないということを目の当たりにしました.
キトンボの産卵前の交尾態は意外と目にすることがありません.多分池の外でメスを見つけて交尾を済ませてからタンデム態で池に入ってくるからでしょう.多くの観察例は,産卵が終わったメスを単独でぶらぶらしているオスが捕まえて,交尾態になる場面です.ですから,池の畔では12:00を過ぎたころによく交尾を見ることになります.12月5日の観察でもそうでした.そしてこの交尾の時にオスの横取りが発生しました.
写真28.12月5日.この日もキトンボの産卵の最盛期で,複数のキトンボが11:30頃に産卵を行っていた.
写真29.12月5日.12:34,産卵を終えたメスがオスに捕まって,岸辺で交尾をしているところへ,別のオス(右後翅が破れている)が襲いかかった.
写真30.12月5日.襲いかかったオスは強引にメスの複眼の間に尾部付属器を押し当て(左),元々のオスの連結を外し(右上),自らが交尾した(右下).
12月になると,陽が当たっているときは体を温めることができ,休み休みしながら活動ができます.しかし,太陽が雲に隠れると急に体温が下がるのでしょう,飛ぶことができなくなります.産卵の途中で体を温めるために休息しているときに日が陰ることがありました.試しに指でトンボを押さえつけてみましたら,飛んで逃げることができないためか,簡単に押さえつけることができました.キトンボたちは,本当にギリギリのところで,初冬の池で活動しているのが分かります.
こういったことが起きるためでしょうか,この時期のキトンボには,ビークマークと呼ばれる鳥のくちばしの跡がついた個体を目にすることがあります.動きが鈍くなったキトンボは恰好の鳥の餌になります.食いつかれたところを暴れまわって逃げたのでしょう.このビークマークはメスによく見られますので,これはタンデムになったところをよくねらわれている証拠かもしれませんね.
写真31.12月15日.産卵中日に当たって休息しているとき,太陽が雲に隠れ体を温めることができなくなった.手で押さえつけられるほど動きが鈍った.
写真.12月12日.派手なビークマークをつけたキトンボのメス.腹部のつけ根がへこんでいて,後翅の後縁がくちばし型に破れている.
クリスマスが過ぎ,やがて年が明けます.キトンボたちは年を越すことがかなりふつうに見られます.これはこの10年ほどの観察でそう感じるのですが,1990年代は1月にトンボを見に行くなどということをしませんでしたので,昔からそうだったかどうかは分かりません.お正月にふつうトンボはいないだろうという先入観はいけませんね.
条件がよければ,1月になっても,繁殖活動をやっています.特に2019年のお正月は,遅くまでキトンボが生き残っていました.産卵活動が1月8日まで,オスは13日まで生き残っていました.
写真33.1月1日.元旦の日,おせち料理もそこそこにトンボ観察.ビークマークのついたメスが単独産卵をしていた.打泥したかと思ったら,止まった.
写真34.1月1日.例によって,この単独メスは太陽の日を浴びて体温を上昇させる休憩に...,そこへ,別のメスを捕まえたオスが交尾になった.
写真35.1月1日.今度は連結産卵.元旦早々から,キトンボたちはしっかりと繁殖活動にいそしんでいる.
写真36.1月8日.茶褐色の渋い色彩になったビークマークを持つメス.水滴の中には卵が浮かんでいるのが見える.きちんと産卵しているのだ.
写真37.1月8日.打水と打泥の瞬間.この間に写真36が入る.打泥したときには,このまま少し静止した.厳冬期の産卵は相当に体に堪えるのだろう.
写真38.左:1月11日,右:1月13日.遅くまで生き残っているオスたち.13日の個体は採集者によって捕獲され,姿を消した.
キトンボは,ビークマークの存在から,おそらく鳥によって動きの鈍くなった個体が捕食されて数が減っていくのだろうと思われます.上の1月11日の個体など,まだまだ元気な感じがします.1月13日の個体が採集されなかったら,もう少し遅くまで生き残っていたことでしょうね.ちなみに兵庫県では1月22日まで生き残った記録があります(山本ら,2009).最後に,キトンボは異種間連結がときどき見られます.それを紹介して,キトンボ,そしてトンボ歳時記総集編も幕を閉じたいと思います.
山本哲央・新村捷介・宮崎俊行・西浦信明,2009.近畿のトンボ図鑑.いかだ社.
写真39.左:10月26日,右:10月20日.タイリクアカネオスとの異種間連結と交尾態(左).ネキトンボオスとの異種間連結(右).