トンボ歳時記総集編 6月−8月

暑くても頑張るイトトンボたち
写真1.抽水植物,沈水植物,浮葉植物の繁茂した,まわりに樹林のない平地の皿池.

 アオモンイトトンボ属の2種,アジアイトトンボとアオモンイトトンボは春から秋にかけてほぼ途切れることなく出現するトンボです.しかしその出現状況には少し違いがあって,アジアイトトンボの方は,春にはシオヤトンボに負けないくらい早くに出現し,さらに7月上旬頃に一時的に個体数が少なくなるような印象を受けます.一方アオモンイトトンボの方は,春にはアジアイトトンボよりほんの少し遅れて,フタスジサナエと同じくらいの時期に出現し,その後秋まで連続的に成虫が出現し続けるように見えます.これらの消長は,近畿地方全体で見てもそのようになっています*1
 どちらのイトトンボも,兵庫県では一年二化している可能性が高いと考えられます.アジアイトトンボについては,10月に入ってからの羽化さえ見られるので,三化しているのではないかと思えるほどです.もちろん確証はありません.また幼虫を調べてみますと,いずれも冬に終齢になった幼虫がたくさん採れます.これらが羽化して,春のピークをつくっているのでしょう.

 それでは,まずアジアイトトンボから見ていくことにします.アジアイトトンボは4月から活動しています.この時期に,羽化そのものはまだ見たことがありませんが,4月の20日にはすでに成熟した個体が出ており,下旬には産卵もしていますので,4月の上中旬には羽化を終えている個体があることは間違いありません.

写真2.左:4月19日,右上:4月29日,右下中:4月18日,右下:4月24日.4月に活動しているアジアイトトンボたち.赤から緑になり始めたメス(右上).
写真3.4月28日.赤い未熟なメスも見られたが,成熟し,産卵行動を行っているメスもいた.

 アジアイトトンボは,体が小さいせいか,スズメノヒエのような,背丈が低く柔らかい組織を持つ水生植物が密生しているところでよく見つかります.そういった植生に産卵し,幼虫は根際で生活し,茎につかまって羽化します.羽化した未熟成虫は,いったんは池周辺の草地に移動しますが,そのまま周辺の草地やスズメノヒエなどの群落内で生活しています.特に樹林を必要としない生活を送っています.

写真4.6月18日.キシュウスズメノヒエ(右下)の群落内で羽化し,未熟な生活を送る.

 繁殖活動は,まず午前中の交尾活動から始まります.今まで観察した交尾時刻は,ほとんどが9:00から11:00の間でした.しばらく待っても交尾を解く瞬間を見かけませんので,かなり長い間交尾をしているようです.対して産卵活動は,ほとんどが12:00以降のもので,午前中から産卵活動を行っているのを観察したことがありません.これらの観察から,午前中に長時間の交尾を行い午後に産卵を行うというのが,通常の繁殖活動の姿だと思われます.図鑑などでは夕方に交尾しているという例や,交尾時間が5,6時間に及ぶといった記述もあります(杉村ら,1999*1).

写真5.左上:7月17日 10:40,左下:9月22日 10:29,中:7月4日 9:53,右上:9月18日 10:37,右下(ヒヌマイトトンボとの交尾):8月5日 7:06.

 産卵は単独で行います.よく見かけるのは,軟らかい生きた植物の茎や葉に産卵するところです.ちょうど水面上の位置に横たわった茎や葉を産卵基質に選ぶことが多いようです.常にではありませんが,産卵時に翅を大きく開くことがあります.腹部を大きく曲げるので,翅が邪魔になるのでしょうか.ヒヌマイトトンボの生息地にも入りこんでいることがあり,上の写真のように異種間交尾をしていた例も観察していますが,そういった場所では,ヨシの枯れ茎や朽木にも産卵する姿が観察されました.

写真6.7月15日 12:47.水面に横たわる柔らかい植物に産卵するアジアイトトンボ.これはおそらくイグサである.
写真7.7月17日 12:25.水面にたおれた葉の表面や,枯れたイグサに産卵をするメス.
写真8.7月17日 12:25.腹部を大きく曲げて産卵管を葉の表面に突き立てているメス.
写真9.7月15日 14:43.ヒヌマイトトンボの生息場所であるヨシ群落で産卵するメス.ヨシの枯れ茎(左上)や固そうな朽木にも産卵しようとしている(左下).

 上の産卵活動を行っているメスたちは,おそらく二化目のトンボたちだと思われます.その後,繁殖活動を続けながら,10月上旬までは割合ふつうに見られます.10月17日に羽化した直後の個体を見たこともあります.通季種というのにふさわしく長期間成虫が出現し続けるトンボです.今のところ一番遅い私の成虫目撃記録は11月4日です.

写真10.左上:8月22日,左下:9月18日,右:10月9日.
写真11.左:10月17日,右:11月4日.非常に遅く羽化したアジアイトトンボ(左),三化目だろうか?.私の一番遅い記録のアジアイトトンボ.

 では,次はアオモンイトトンボですが,アオモンイトトンボの写真を探してみると,5月頃の写真がほとんどないことに気づきました.調べてみると,理由は意外なところにありました.この時期は,コサナエ属,トラフトンボ,源流域のサナエトンボやムカシトンボ,カワトンボなどの観察を中心に行っています.河川にはアオモンイトトンボはいませんし,コサナエ属やトラフトンボの生息する池は,どちらかといえば樹林に隣接した山裾や丘陵地にある池です.これらの場所には,アオモンイトトンボはほとんど姿を現しません.つまり,何かのついでにアオモンイトトンボの姿を写真に収める機会がなかったのです.これは,こういった池にはアオモンイトトンボがいないことを示していると考えられます.そこで2020年,5月のアオモンイトトンボのようすを,平地の開けた池に観察に行きました.もうすでにさまざまの成熟段階の個体がいて,交尾,産卵を行っていました.
 また1990年代の神戸市内の観察では,明石川流域の西区からその隣の垂水区,須磨区にかけてはふつうに見つかるのですが,北区の田園地帯や山間部ではまったく発見例がありません.
 以上のことから,アオモンイトトンボの生息する池は,平地にある樹林の隣接していない開けた池であるといえるでしょう.つまり写真1のような池が典型的だといえます.そんなアオモンイトトンボは,4月の終わり頃に羽化を始め,5月に入ったころから池で成熟したトンボの姿が目立ち始めます.

写真12.左:5月5日,中:5月17日 10:30,右:5月18日.4月の終わり頃に出現し,5月には池に現れる.未熟個体は胸部が橙色をしている.
写真13.左下:5月20日,他:5月21日.5月に活動するアオモンイトトンボたち.さまざまの成熟段階の個体が多数,池で活動をしている.

 アオモンイトトンボは,アジアイトトンボとよく似て,午前中に交尾をし,産卵は午後に単独で行われます.特に午前中の交尾時間帯に生息地の池周辺の草むらを歩くと,交尾ペアが次々と飛び出し,単独のメスやオスを見つける方がむしろ難しいくらいです.もうとにかく交尾交尾交尾状態なのです.その状態を以下の写真記録の多さで表現してみましょう.交尾時間は相当に長いようで,これもまた,交尾個体だらけを生み出す原因です.なお,午後にも稀に交尾を見かけることがあります.

写真14.左:7月28日 9:32,右:8月7日 8:23.一番暑い季節に日向で交尾を続ける.胸部が水色になった同色メス(左),紫褐色になりつつあるメス(右).
写真15.7月30日 8:28.若いメスとの交尾.横向きに止まることは少ない
写真16.7月30日 左 8:21,右 9:09.メスは黒化型と言ってよいくらい翅胸全面の黒色部分が広がっている.右は接近して交尾している2ペア.
写真17.8月22日 9:25前後.右のメスは相当に老熟が進んでいる.体が濃い紫褐色になっている.後は,オス同色型とふつうの色彩のメス.
写真18.8月27日 10:00-30.まだ未熟な感じの橙色メス(左上)から,順次橙褐色,褐色,紫褐色へと成熟していく各メスとの交尾.中央はオスと同色型.
写真19.7月15日 13:48.珍しく午後に交尾しているカップル.すでに産卵時間帯に入っており,すぐ隣ではメスが単独産卵をしている.

 トンボ観察はトンボが活動する午前中によく行いますので,結果,交尾はよく見かけるのですが,午後を中心に行われる産卵は,その時間帯の観察では見ることができないということになります.アオモンイトトンボの産卵を見るには,暑い夏の午後,カンカン照りの時刻に池に行くという,強行軍をする必要があります.珍しい種類ならいざ知らず,極めて普通種のアオモンイトトンボを見に行くのには結構精神力がいります.それでも気合いを入れて,よく晴れた夏の午後に生息地の池を訪れますと,たくさんのメスが産卵をしている...と言いたいところですが,これまた産卵を見ることが意外と少ないのが実際のところです.空振りも結構あるのですね.これがつらい...

写真20.8月22日 13:00過ぎ.産卵しそうな場所を訪れると,さまざまな成熟段階のメスやオスたちが止まっている.この日は産卵行動は見られなかった.
写真21.7月30日 14:20.アオモンイトトンボのメスが浮き草の裏面に産卵するのをよく見かける.小さな浮き草に止まって葉裏に器用に産卵する.
写真22.7月30日 14:23.キシュウスズメノヒエの茎に産卵している.水面より高い位置に止まっての産卵はあまり見かけない.
写真23.7月30日 14:34.ハスの葉の表面に産卵するメス.生きた浮葉に産卵するメス(左)と,枯れて水面に浮かぶ葉に産卵するメス(右).

 アオモンイトトンボといえば,イトトンボの中では獰猛な種です.特にメスは大食漢で,産卵中にも餌を見つけたらもぐもぐ食べます.アオモンイトトンボはクモを食べます.といっても小さなクモです.飛んでいるときにときどき植物の茎をつつくような動作をするときがあります.これがクモをついばむ動作です.茎に表面にいる小さなクモを捕って食べます.ダニも食べているかもしれません.さらに他のトンボを食べることもあります.ヒヌマイトトンボの生息地に入っているアオモンイトトンボは,自分より小さなヒヌマイトトンボを捕らえて食べてしまいます.

写真24.左:7月30日,右:7月日付不詳.産卵中に捕らえたクモを食べているメス.ヒヌマイトトンボのオスを捕らえて食べているオス.

 極めつけはカニバリズム,いわゆる共食いです.アオモンイトトンボの二化目と思われる個体はややサイズが小さくなります.夏のある日,大きなサイズのアオモンイトトンボが,産卵している小さなサイズのアオモンイトトンボを捕食するのを観察しました.観察は13:10から13:28までの間です.

写真25.8月25日.小型のアオモンイトトンボのメスが産卵に入ってきて,あちこち移動し産卵を行っていた.
写真26.8月25日.突然別の大型のアオモンイトトンボのメスが産卵中の小型メスに後ろから飛びかかって,羽交い締めにした.
写真27.8月25日.小型メスを捕まえた大型メスは,翅のつけ根に食いついて飛べないようにした後,獲物を持って草の上に飛び上がった.
写真28.8月25日.翅のつけ根あたりをむしゃむしゃやっている大型メス.
写真29.8月25日.大顎で噛みついているのが分かる.しばらく経つと,頭は食われ,胸部も半分なくなっていた.

 アオモンイトトンボは夏の暑い一日をこんなふうにして生きています.そんなアオモンイトトンボも,ハリガネムシに寄生されることがあります.肛門からハリガネムシが出てきているちょっと不気味な観察をしましたので,紹介しておきましょう.

写真30.7月30日.アオモンイトトンボのオスの肛門からにょろにょろと出てきている寄生虫のハリガネムシ.

 さて,春から夏へと活動を続けてきたアオモンイトトンボですが,秋,10月に入ると数が減ってきます.しかし,アジアイトトンボと同様,この時期にもまだ羽化している個体がいるのには驚きです.そして11月に入るまでその姿が見られ,やがて消えていきます.私の兵庫県の観察記録では11月5日というのが終見日になっています.アオモンイトトンボも通季種というのにふさわしいトンボです.
 アオモンイトトンボは,極めてふつうの種類です.でも,平地の池のトンボが減っている現在,こんなにふつうに見られるアオモンイトトンボが,突然激減するということが起きるかもしれません.これからの時代,ふつうのトンボもきちんと観察して記録を撮っていくことが重要です.アオモンイトトンボには現代の厳しい環境を生き抜いて頑張ってほしいです.

写真31.左:9月22日,右上:9月26日,右下:10月2日.9月に未熟色のメス(左下),10月に羽化直後のオス(右下),これらはいつ頃まで生きのびるのだろう.
写真32.10月15日.秋の日差しが暖かい午前,まだ若いアオモンイトトンボたちが草むらに集まって,午前の交尾を行っていた.
写真33.左:11月4日,右:11月5日.11月を越えても生き残っていた.いずれも体色が薄緑色から水色に変わっている.左は日本海側で撮影.