トンボ歳時記総集編 4月−5月上旬

トンボの中のトンボたち!?
写真1.春,昨秋刈り取られた跡から,ヨシが一斉に芽吹き,伸長している.

 「トンボの中のトンボ」というのは,このページで紹介するベッコウトンボとヨツボシトンボのことです.これらのトンボが属する上位分類名が,和名では,トンボ目/トンボ科/ヨツボシトンボ属,学名では,Order Odonata / Family Libellulidae / Genus Libellula となっています.Odonata,Libellula は,いずれもトンボという意味で,学名を直訳すると,トンボ目/トンボ科/「トンボ」属となります.つまりベッコウトンボとヨツボシトンボはその上位分類名がすべて「トンボ」であって,トンボの中のトンボということになるわけです.
 この2種のうち,残念ながらベッコウトンボの方は,2006年を最後に,兵庫県下で見つかっていません.この記事を書いている時点でもう14年近くになるので,おそらく県内絶滅は間違いないと思われます.神戸市でも,1995年を最後に姿を消しています.ベッコウトンボは,写真1のような,ヨシやヒメガマなどの抽水植物が茂った池に生息していました.
 ベッコウトンボは,だいたい4月20日ころから羽化が始まります.ヨシの茎につかまって,早朝に羽化します.羽化した個体は周辺の草地に広がって生活します.このころ草地はまだ新芽が芽吹いたばかりで,ほとんどは冬枯れの淡褐色の状態です.ベッコウトンボの未熟な個体は,オス・メスとも枯れ草色をしていて,枯れ草状態の草原の色に溶け込んでいます.

写真2.左:4月12日.右:4月21日.ベッコウトンボの羽化.左は自宅羽化で少し時期的に早い.右は生息地での羽化.
写真3.4月22日.ベッコウトンボの未熟なオス.枯れ草色をしていて,まわりの色に同化している.
写真4.4月--日.ベッコウトンボの未熟なメス(左上,左下)とオス(それ以外).ベッコウトンボの名にふさわしく鼈甲色をしている
写真5.4月22日.ベッコウトンボの未熟なメス.
写真6.左:4月22日,右:4月--日.写真2から写真5までは神戸市内で撮影したもの.これらは,加西市(左),小野市(右)の生息地で撮影した.

 4月の末,ゴールデンウィークに入るころ,ベッコウトンボは池に現れます.オスは未熟なころとは異なり,体が黒くなっています.腹部の先端から黒くなっていくので,胸部や腹部の根元がまだ濃褐色の個体もいます.池に現れると,オスたちは活発に動きまわって活動します.ヨシやガマの間をビュンビュン飛び回ったり,棒の先などに止まったりして縄張りを形成しようとします.しかし小さな生息場所に多くの個体が入りこんでいるので,絶えず闘争が起きます.2頭のオスが横に並んで,ホバリング気味にゆっくりと前に進み,その後一気に上昇していきます.その際,下の方に位置した個体が縄張りの占有者のようで,下から上へ追いやるようにして上昇していきます.この闘争の姿はコシアキトンボそっくりです.この辺はビデオに記録があります.
 メスが入ってきますと,オスがあっという間にそれを捕捉し,飛翔したまま十数秒という非常に短い時間交尾をして,メスを放します.放されたメスは,すぐに打水産卵を始めます.打水後の上昇距離は結構大きいのが特徴です.オスに追われながらの産卵の場合,非常に広い範囲を飛び回りながら産卵します.このあたりの写真記録はないのですが,ビデオには記録があります.

写真7.5月1日.ヨシのすき間で闘争をしているオスたち.だいたい下側の個体が上側の個体を追い払う.
写真8.左上左下:5月1日,その他:5月4日.オスは成熟すると真っ黒になる.腹部の先のほうから黒くなるので,胸部がやや褐色の個体もいる.
写真9.左:5月1日.右:4月22日.透き通った水の池の上で縄張り活動をするオス(左).メスは未熟個体.成熟個体はなかなか姿が見られなかった.

 ベッコウトンボにほんの少し遅れて登場するのが,ヨツボシトンボです.またベッコウトンボは羽化の同調性が非常に高いのですが,ヨツボシトンボはベッコウトンボに比べると羽化時期に少しだけはばがあるようです.5月に入ってからの羽化や5月中旬に未熟個体が見られたりします.ヨツボシトンボとベッコウトンボは混生していることが多いです.多くの個体は4月の下旬から羽化がはじまり,5月のゴールデンウィークのあたりに池で活発な繁殖活動が行われます.

写真10.左:5月2日.右:5月15日.メスの羽化(左).未熟なオス(右).いずれの個体も,他の個体に比べると遅い.他のオスはすでに活動していた.
写真11.5月4日.成熟し,植物の先端に止まって周囲を監視しているオス.
写真12.5月15日.伸び始めたヨシの葉に止まって周囲を見渡しているオスと,飛翔してパトロールするオス.

 メスが産卵に入ってくると,オスはそれをめざとく見つけて捕捉し,交尾を行います.交尾は飛翔しながら行われ,ベッコウトンボ同様,通常十数秒で終わってしまいます.交尾が終わると,メスはすぐに産卵を始めます.抽水植物の間に入りこんで,チョンチョンと打水して産卵します.打水といっても,よく見ると,水滴が前方に飛んでいるのが分かります.いわゆる飛水産卵をやっているのです.シオカラトンボ,オオシオカラトンボ,シオヤトンボなども飛水産卵をしますが,これらの場合は,水滴が飛ぶ先に植物体や地面があって,そこに水滴を飛ばすような行動をとっています.しかし,ヨツボシトンボの場合は,水滴を前方に飛ばしても,そこには植物体も地面もありません.水滴は全部水の上に落ちるのです.こうなると卵は結局水中に落下するので,何のために前方に飛ばすのかという疑問が残ります.一つ考えられる解釈は,水面下にいる魚の目を欺くためであるということです.おそらく水面下の卵捕食者は,打水した音やたたかれた時の水に動きに気を引かれるでしょう.しかし卵はそこから少し前方に落ちるので,一瞬目をごまかすことができるというわけです.

写真13.5月1日.池で活発に活動をするオスたち.オスたちはよく飛び回る.そしてメスが産卵に入ってきたら,一斉に追飛する.
写真14.5月1日.ヨツボシトンボの交尾.交尾は飛びながら十数秒で終わる.飛んでいる間も動きまわるので,写真に撮れるのは奇跡的.
写真15.5月1日.飛水産卵.すべての打水がそうなっているわけではないが,多くの場合,水滴を前方に飛ばす産卵様式である.
写真16.5月1日.産卵するメス.カンガレイの間を飛び回って,産卵を行っているメス.ときどきオスの邪魔が入る.
写真17.5月4日.オスがメスを捕まえタンデムになり,交尾の後,メスが静止,お酢がそのまわりを飛び,やがてメスは産卵に...

 兵庫県北部でもヨツボシトンボは南部とほぼ同じ時期に活動しています.オスが池の縁に止まってメスを待ち,メスは,水を前方に飛ばしながら,打水産卵します.水滴は細かく分かれて小さな粒となり,前方に飛び散っていきます.写真では,打水の水紋の前方にたくさんの水紋ができているのが見えます.
 ヨツボシトンボの最盛期は5月中旬くらいまでで,下旬になると老熟が目立つようになります.個体によっては6月下旬まで生きのびているのを見ることがあります.

写真18.5月10日.池の端に静止するヨツボシトンボのオス(左)と,産卵に入ってきたメス(右).
写真19.5月10日.上のメスとは異なる個体.打水するポイントを探りながら飛び回るメス.
写真20.5月10日.打水した後飛び上がったメス.打水した後の水滴が前方に飛んで(右),水滴が落ちて連続した水紋が前方にできる(左).
写真21.左:6月24日,右:6月13日.6月中下旬まで生きのびていたオス(左)とメス(右).