トンボ歳時記総集編 春:4月−5月上旬
巨大な卵塊形成を行うトラフトンボ
写真1.冬枯れがまだ残っている4月の雑木林.ヨシの群落も枯れたままの状態である.その根際で池底を這うトラフトンボの幼虫(4月20日).
成虫越冬種以外のトンボがまだ池に現れていないころ,池から突き出ている枯れ茎につかまった幼虫から,成虫が出てきます.トラフトンボの羽化です.倒垂型の羽化ですが,けっこう速く羽化は進みます.時には,水ぎわからかなり離れたところでも羽化をしていることがあります.これは,水際に,羽化に適した支持物がないときに見られるようです.羽化した未熟な成虫は,付近の林の縁や空間で,2,3mの高さを往復周回して飛翔し,摂食活動を行います.羽化したときには,複眼はつや消しの灰色に背側が赤茶色をしていますが,成熟してくると,透き通った灰色に背側がエメラルド色の独特の色になります.
No.005:トラフトンボ
Epitheca marginata
トラフトンボの消長図
写真2.4月24日.トラフトンボのメスの羽化.典型的な倒垂型の羽化である.
写真3.左:4月21日.池からかなり離れたところにある,木の切り株で羽化するトラフトンボのオス.
写真4.左:5月4日.未熟なオスが摂食の合間に休止している.右:4月30日.若いメスが草地に降りてきて止まっている.
成熟すると,オスは池の縁に沿って往ったり来たりと,メスを待つためにパトロール飛翔をするようになります.オスが飛ぶ場所は,水面下に伸びつつある水生植物の芽生えや,枯れた植物の沈積物が水面から確認できるような場所が多いようです.それ故,比較的透き通った水の池で多く飛んでいます.メスは水中の構造物に卵を絡ませますので,オスは,そういった場所をあらかじめ選んで縄張りにしているのでしょう.隣の縄張りを飛んでいるオスと出会うと,激しい追尾行動が見られます.オスは,朝から夕方まで飛び続け,飛びながらときどき摂食してエネルギー補給をしています.静止することはあまりなく,典型的なフライヤーです.
写真5.5月5日.岸近くをパトロール飛翔するトラフトンボのオス.水面下には卵がからみつくような植生や沈積物が見える.
写真6.左:5月5日.飛翔するトラフトンボのオス.複眼の上半分がエメラルド色に輝いている.
オスがメスを捕捉する瞬間は,案外目にすることがありません.メスを捕捉しタンデムになったオスは,いったん池から出ていきます.その後の姿を目にしたことはほとんどないのですが,一例,池の堰堤に生えている草の中で,交尾をしているペアを見たことがあります.その写真を見ると,オスの腹部は胸部から直線的に伸び,腹部を動かしています.これは交尾態で水面を飛翔しているときとは異なる姿勢で,精子置換と精子の挿入を行う実質的な交尾行動であることを示していると思われます.その後飛び立って,交尾態のまま池の周囲を飛び回り,放卵場所を探します.自身が縄張りにしていた領域は,交尾で不在の間に他のオスが入りこんでいることが多く,交尾態のペアは,自分の縄張りであったにもかかわらず,そのオスに追い払われることも多く観察されます.
放卵場所をさがす交尾飛翔の際の姿勢は,どのペアでもよく似ていて,定型的です.オスは腹部を第5節前後で上方に曲げ先端部を下に屈曲させてメスをつかみ,メスは腹部をまっすぐ進行方向に向けた状態を維持して,高速に水面付近を飛びます.交尾時独特の,腹部が波うつような動きは見られず,実質的な交尾行動は終わっているものと思われます.これは,交尾態でメスを警護する姿勢だと,私は考えています.オオクチバスのいる池では,この状態で飛んでいるときに,ジャンプ一発捕食されてしまうことがあります.バスにとっては,栄養たっぷりのおいしい獲物なのでしょう.
写真7.左:4月.トラフトンボの交尾.右:5月2日.放卵場所をさがすために交尾態で水面を飛び回るトラフトンボのペア.両者で交尾姿勢が違う.
写真8.5月5日.兵庫県北部.沈水植物の上を交尾態で飛び,メスを放し,メスが打水し(水紋),つかまる植物がなかったので私の腕で卵塊をつくる.
交尾態で放卵する場所を決めたら,オスはメスを放します.直後にメスは軽く1回打水して,岸の植物や木の枝などに止まり,ただちに卵塊形成を始めます.時には,止まろうとするメスを追いかけ回すオスがいて,メスがなかなか静止できないときがあります.そんなときは,逃げ回って,かなり高い木の上に止まることもあります.ビデオの記録によれば,卵塊形成には3−4分ほどかかるようです.卵塊形成が終わると,メスは飛び立ち,植物沈積物が水面下に見える場所で,水面を引きずるようにして打水し,放卵します.卵は,水を含んで伸び,沈積物にからみつきます.トラフトンボが多い池では,この時期,水面下の沈積物にからみついている卵がよく見られます.
写真9.左:5月1日.卵形形成.卵が次第に大きな塊になっていく.それを支えるために腹部が曲がり,最後は飛び立つために羽ばたく.
写真10.左:4月30日.右:5月2日.卵塊が十分大きくなった状態.間もなく飛び立つ直前である.
写真11.左:4月30日.卵塊形成中のメス.右:5月6日.トラフトンボの卵.水に入るとふくらんで,沈積物などにからみつく.
写真11.5月1日.沈積物の上で交尾を解き,メスは1回打水する.その後卵塊をつくり,水面を引きずるように放卵する.卵塊は沈積物にからみつく.