トンボ歳時記総集編 6月−7月

湿地の元気者トンボ
写真1.夏を迎えようとしている乾燥化した湿地.

 私がハラビロトンボを初めて見たのは,大学生の時でした.新一年生になった春,通学路を自転車で通っていたときに,とある池の横のじゅくじゅくした水たまりで,ハラビロトンボがオスに警護されながら産卵をしていたのです.まだトンボに興味を持ち始めたころでしたので,面白い形をしたトンボもいるものだと思ったものでした.その記憶が今も残っていて,ハラビロトンボは春のトンボだという印象が強いのです.でもトンボに親しんでからは,結構長い間出現しているふつうのトンボであることも分かってきました.羽化は4月中には始まっています.兵庫県北部でコサナエの羽化が最盛期を迎えていた4月21日,草陰に止まっているテネラルなハラビロトンボを見ました.これは近畿地方全体から見てもかなり早い記録です.

写真2.左:4月21日,右:5月5日.ハラビロトンボのテネラルなメス(左)とテネラルなオス(右).春早くから出現している.縁紋の後縁部が白い.

 しかし,ハラビロトンボの数が増え始めるのは5月の中旬あたりからで,繁殖活動が盛んに行われるのをよく観察するのは6月です.羽化は結構だらだらと続いていて,6月に入っても羽化が続きます.ハラビロトンボは湿地の生活者で,干上がりにもかなり強く,写真1の湿地は水がなくなることが多いのですが,毎年のようにハラビロトンボが発生しています.ハラビロトンボはそういう不安定な環境に適応していて,水の状態によって羽化を遅らせたり早めたりして,乾燥化が進んだ湿地で生き抜いているように見えます.

写真3.左:6月21日,右:6月15日.羽化は6月に入っても続く.右下は羽化と同じ日・場所で採れた終齢幼虫.これは年内に羽化するのであろうか?

 5月下旬から6月上旬にかけて,生息地を訪れてみると,色々な成熟段階の個体を目にすることができます.特にオスは,黄色っぽい未熟色から,黒っぽい色になり,やがて,粉を吹いてシオカラトンボのような青白い色になります.メスは腹部背側の斑紋の黒みが増す程度です.

写真4.左・中:6月12日,右:5月26日.オスの体色変化.5月下旬から6月上旬にかけて,さまざまの成熟段階にあるオスが見られる.
写真5.左:6月12日,右:5月26日.メスの体色変化.メスはほとんど体色の変化はなく,黄色の部分が黄褐色に,黒の部分が濃くなる程度である.

 繁殖活動は5月中には始まっているようです.盛んに行われるのは6月に入ってからです.オスは湿地の草に止まり,ときどきホバリングを交えて飛びます.近くにオスがいると,激しく追飛します.一定の固定した範囲を防衛しているというより,自由気ままに飛び回っているように見えますが,同じオスはだいたい同じところに止まり続ける傾向が強いので,縄張りを形成しているのかもしれません.

写真6.7月2日.2頭のオスが闘争をしている.コシアキトンボのようにゆっくりとホバリングしながら上昇する.
写真7.7月2日.オス同士の追飛行動.
写真8.6月13日.湿地の上でホバリングするオス,そして近くに来たオスを追い払う行動.

 こういう活動を続けているときにメスが産卵に入ってきますと,オスはそれを追いかけ,捕まえて交尾態となって周辺を飛び回ります.飛び回るのは他のオスに追われるからという感じで,飛ぶのを好んでいるという感じではないようです.他のオスに追われなくなると静止して交尾を続けます.交尾時間は短く5分もかかりません.

写真9.左:6月13日,中・右:6月21日.ハラビロトンボの交尾.腹部がまだ青くなっていないオスも交尾している.

 交尾が終わるとメスは少しの間静止してから,産卵を始めるか再開します.産卵は極めてふつうの連続打水産卵で,水を前方に飛ばす飛水産卵をしています.湿地に生えている草の間にもぐりこんで,産卵を続けます.産卵途中にときどき静止することもあります.オスは飛んで警護をします.このあたりの行動はビデオに詳しく記録しています.

写真10.6月13日.ハラビロトンボの産卵.単独打水産卵である.
写真11.6月21日.左は,交尾後しばらく静止しているメス.右は産卵を開始したメス.
写真12.6月21日.湿地の草の間にもぐりこむようにして産卵する.
写真13.6月21日.打水産卵をするので,草の中でも水面がある程度の広さあるところで産卵を行う.

 7月も半ば頃になると,ハラビロトンボの個体数は少なくなってきます.8月に入るまでその姿が見られます.寿命を全うできず,捕食者に捕らわれて命を落とす個体も少なくありません.

写真14.左:6月21日,右:8月3日.ムシヒキアブに捕食される若いハラビロトンボのメス.8月まで生きのびたハラビロトンボのメス.