トンボ歳時記総集編 7月−8月

夏の小型サナエトンボたち
写真1.樹林に囲まれた上流域.

 7月になりますと,もう春のトンボはほとんど姿を消し,すっかりトンボの世界は夏模様になります.暑い太陽が照りつける池では,色とりどりのトンボたちが飛び交っています.その季節,樹林に囲まれたうす暗い川の上流域では,オジロサナエやヒメサナエという小さなサナエトンボたちが活動をしています.この時期には大型のトンボに目を奪われがちですが,彼らは目立たないように静かに生活をしていますので,見つけようとしなければ,いることが分からないくらいです.生息地では,いずれも幼虫がたくさん採れますので,生息個体数は多いはずですが,成虫の姿はそれほど多く見ることがありません.
 彼らは,写真1のような樹林に囲まれた流れで,樹上と川面を行き来しながら生活をしています.樹上に止まっていることが多くて,摂食活動や繁殖活動をするときには川面で活動しています.これが見つけにくい一つの原因です.また,体がか細くすばしこく飛びますので,飛んでいるときは,翅が光に反射しなければ見えないくらいです.特に水面を飛ぶヒメサナエはものすごく素早い飛び方をします.そしてピタッと石の上などに止まります.うっかりしていると,突然出現したような印象になります.

写真2.6月26日.流れの石の上に止まるオジロサナエのオス(左)とヒメサナエのオス(右).この両種は似たような所に生活している.

 では,時期的にほんの少し早く繁殖活動を始める,ヒメサナエの方から紹介していきましょう.ヒメサナエは5月下旬に羽化を始め6月中旬まで続きます.ヒメサナエの幼虫は流下することが知られていて,繁殖活動が行われる場所よりはかなり下流で羽化します.羽化した成虫は上流の繁殖活動域へ戻るために移動しなければなりませんが,この時期のヒメサナエの生活に関しては詳しくは知られていません.野外観察においても,6月中旬から下旬にかけての目撃例は一時的に少なくなります.おそらく樹上を移動しながら上流へ戻っていくのだろうと推察されます.繁殖水域では,6月下旬あたりから姿を見せはじめます.

写真3.6月27日.繁殖流域にある草原で摂食しているオス,メス,そして流れの石の上に止まってメスを待つオス.6月下旬に繁殖活動が始まる.

 7月に入りますと,繁殖活動が盛んになります.オスは9:00ぐらいから川面に現れます.何かが水面を飛んだ?と思ったら,近くの石の上にオスがピタッと止まります.そしてそこで辛抱強くメスを待ちます.メスは10:00頃から正午頃にかけて産卵に訪れます.産卵にやって来たメスは高速で水面ギリギリのところを飛び,石の陰にさっと入ってホバリングします.開けた水面で産卵する場合がないわけではありませんが,おそらくオスから隠れたいのでしょう,陰になっているところで産卵することが多いようです.ホバリングして卵塊をつくった後打水して放卵するという,間歇打水産卵を行います.産卵前,あるいは途中で,ときどき静止することもあります.
 こういった通常の産卵様式の他に,畳半畳くらいの範囲を低く飛んで,連続打水産卵するメスをたまに見ることがあります.

写真4.7月6日.繁殖活動が始まった.オスは流れの中に顔を出している石の上に止まってメスを待つ.
写真5.7月6日.産卵に入ってきたメス.まず最初に岩陰に止まった(左).その後水面に出てホバリングをしながら卵塊を形成する.水底は礫質である.
写真6.7月6日.岩陰でホバリングしているメス.大きく位置を変えることなく,このポイントで産卵を続ける.隠れているとしかいいようがない.
写真7.7月6日.腹端に形成されつつある卵塊が見える(左).そして卵塊が適度な大きさになると打水して放卵する(右).

 ヒメサナエが産卵に訪れるポイントは,流れの上に樹木が覆い被さり,陰になっているようなところです.樹上と川面を行き来しやすい場所がいいのでしょう.同じことは,クロサナエやヒメクロサナエのような樹上生活しているトンボにもいえます.これら小型のサナエトンボを観察するポイントは,流れの上に樹木,特に広葉樹の枝が広がっているところです.

写真8.7月24日.ヒメサナエの繁殖活動がよく行われる場所(左)と,その下の日陰に止まっているオス.

 ヒメサナエのオスは,川で待ち,産卵にやって来たメスを捕まえ,樹林の中に連れて行って交尾します.また流れの周辺でメスを見つけ,樹林の中で交尾をすることもあります.流れで産卵メスを捕まえるときには,ホバリングしているメスの上からつかみかかり,水面に落ちてタンデムを形成します.その後近くの葉上へ移動して体勢を整え,樹林の中に入っていきます.

写真9.7月19日.メスが産卵している(左上)と,オスがメスを水面にたたき落とし(中),その後タンデムになって葉上に上がり(左下),樹林で交尾する(右).
写真10.7月23日.林の下草の上に止まっているメス(左上)が,オスに見つかりタンデムになり(左下).そして交尾態となった(右)
写真11.7月23日.上の場所が安定しなかったのか,場所を変えて交尾を継続.
写真12.7月23日.カメラを近づけて驚かせると,さらに高い木の葉の上に止まって交尾を継続した.

 ヒメサナエは,朝は流畔の樹林や草地で摂食活動を行い,その後オスはだいだい川面に出て活動します.メスはそのまま周辺にとどまり,産卵意欲が出てくると川面に現れるといった生活を送っているようです.川面に出て行ったオスは,石などに止まってメスを待ちますが,ときどき周辺を飛び回ってメスを探しているような動きを見せます.

写真13.左:7月18日,右:7月19日.流れに止まってメスを待っているオス(左)と,流れの上を飛んでパトロールをしているオス(右).
写真14.左・右上:7月18日,右上中:7月24日,右下:7月10日.流畔の空き地や草地,そして樹上で生活するメスたち.

 私の観察地では,産卵活動は7月上旬に集中していて,7月も下旬になりますと頻度が少なくなってきます.入れ替わるようにオジロサナエの産卵活動が盛んになります.ヒメサナエはかなり標高の高いところにも生息していて,そういったところでは産卵活動はもう少し遅くまで続いていると思われます.

写真15.7月21日.産卵中ときどき静止するメス(右).卵塊はホバリングしながら形成するのが普通である.静止して何をしているのだろうか.
写真16.左上:7月19日,左下:7月22日,右:7月26日.7月の上旬から下旬にかけて頻繁に産卵が観察できる.

 産卵はだいたい午前中に終わります.午後になってもオスたちは川面を離れません.そのまま流れの石の上などに止まって活動しています.夏の日差しは強く,ヒメサナエのオスたちは腹部挙上姿勢をよくとります.腹部をまっすぐ上に立ち上げた腹部挙上姿勢は,ヒメサナエらしい感じがします.正面から見ると大きな擬瞳孔が見えることがあります.こうやって過ごしながら,8月中に数を減らし,その末には姿を消します.

写真17.左:7月19日,右:7月25日.腹部挙上姿勢で夏の暑い昼下がりを川面で過ごすオスたち.トンボの影が小さくなっているのが分かる.

 では,次はオジロサナエを見ていくことにしましょう.オジロサナエもヒメサナエとほとんど同じ頃に川面に現れます.ただ,産卵活動はほんの少し遅れて始まるようで,7月中旬頃から観察頻度が高くなり,下旬頃にもっとも盛んになります.羽化は5月下旬から始まり,だいたい7月初めまで見られます.したがって6月には,成熟した個体から羽化直後の個体まで,色々な成熟段階の個体を目にします.羽化は日が昇った後の午前中に行われることが多く,アオハダトンボなどの観察に出かけたときなどに,羽化している個体によく出くわします.
 ヒメサナエと同じく,オジロサナエも,繁殖地よりやや下流で羽化する個体が見られ,羽化後それ相応の移動をしているように見受けられます.そういったこともあるのか,羽化直後の個体は別として,未熟な個体はほとんど見かけることがありません.

写真18.5月30日.早いところでは5月の下旬に羽化を始めている.時刻は正午頃である.複数の個体が羽化をしていた.
写真19.5月30日.ここはオジロサナエが繁殖活動を行うような場所ではなく,アオハダトンボが観察できる中流域である.ここで繁殖活動を見ることはない.
写真20.左:6月14日,右上:6月2日,右下:6月29日.6月の約1ヶ月間続く羽化.
写真21.左:6月27日,右:6月26日.6月には色々な成熟段階の個体が見られる.左は羽化直後,右は成熟して川面に現れた個体がクモの巣にかかったところ.

 7月になりますと,生息地では,流れに現れたオスを目にする機会が多くなります.オスはメスの産卵しそうな場所を選んで集まってきます.オジロサナエは,樹林に囲まれている上流で,礫が堆積していてその間を水がチョロチョロ流れているような場所や,山から本流に流れ込む水が段差になって落ちるような場所を好んで産卵します.オスは樹上からその場所を見下ろすように止まっていて,スーッと降りてきて石の上などに止まります.ちょっと驚かせるとすぐに樹上に飛び去りますが,しばらくするとまた降りてきます.垂直方向に移動を繰り返しながら,その場所を監視しているようです.
 こういった場所では,オス同士がぐるぐる回るように飛んで追飛するといった闘争行動が頻繁に見られます.後から降りてきたオスが追飛されることが多く,追われたオスはまた樹上に戻りチャンスを待つか,少し離れたところに止まります.しかし一定の範囲を防衛して占有するという縄張り意識はあまり強くはないようで,ときどきオスどうしが並んで仲良く止まっていたりします.よい産卵場所を探し当てると,こういったオスたちの活動を観察することができます.

写真22.7月14日.細流が段差を流れ落ちていて,浅く水が流れるような場所を好んで集まってくる.
写真23.7月14日.オスの止まる位置は,段差の水しぶきが当たるせいか,石の表面が常に濡れいているようなところが多い.
写真24.7月16日.礫の間を水が浅く流れているような場所に止まるオジロサナエのオス.
写真25.7月22日.並んで止まるオス.左の写真と右の写真の間にいったん飛び立っている.止まっている位置が左右で違っているのが分かるだろうか.
写真26.7月20日.並んで止まるオス.このように,近くに止まっても追い払う行動を引き起こさないことがままあるのだ.

 オジロサナエの交尾はほとんど見かけることがありません.一度だけ,流れの横に生えている草に止まって交尾しているのを見たことがあります.おそらく産卵に降りてきたメスを捕まえて交尾に至ったのだろうと思われます.メスはおそらく樹上にいることが多いのでしょう.単独でいる姿をあまり目にしません.オスがこういったメスを捕まえて交尾しているかどうかは分かりません.一度産卵中のメスを見つけたオスが,メスを捕捉しようと近づいた行動を観察しましたが,結局このメスはタンデムになることを許しませんでした.

写真27.左:7月20日,右:7月18日.オジロサナエの交尾(左)と産卵しないときに単独でいるメス(右).

 止まっているオスや産卵中のメスは,いつも敵にねらわれています.多くはカエルですが,ムシヒキアブもチャンスをねらっています.オジロサナエのいるそばにはいつもカエルの姿があって,トノサマガエルやヤマアカガエルなどが主なものです.一度,目にもとまらぬ速さでムシヒキアブに襲われたオスを見ました.産卵中のメスがクモの巣にかかったのを見たこともあります.卵が腹端から滲み出て,無念の最期だったことがうかがえます.

写真28.左:7月18日,右上:8月1日,右下:7月22日.オスを捕らえたムシヒキアブ(左).産卵中クモにやられたメス(右上),ねらうヤマアカガエル(右下).

 オジロサナエの産卵が,オスが産卵場所に姿を現す前に行われることがあります.
 朝,樹林に覆われた流れは,夏でもまだ日陰でうす暗い感じです.樹木の高い部分には日が当たっています.太陽が位置を変え,やがて産卵ポイントにも日が当たり始めます.まだオジロサナエの姿はありません.

写真29.早朝のオジロサナエの繁殖場所.太陽はかなり高くなっているが,オジロサナエの繁殖場所には日が当たらず,高い木の上にだけ日が射している.

 と,突然メスが1頭産卵に降りてきました.15分後,続いてもう1頭のメスがまた産卵に降りてきました.オスはまだ姿を現していません.2頭のメスはそれぞれ2分半ほどかけて産卵を終え,飛び去っていきました.オスが降りてきたのはそれから20分ほどしてからでした.これは,おそらく朝早く産卵に来ればオスがいないという学習の結果だと思われます.どのトンボでもそうですが,オスはメスの産卵を邪魔しますので,メスはオスを避けて産卵する傾向があるように思えます.

写真30.朝一番に産卵に降りてきたメス.静止して卵塊をつくり,飛んで打水するという産卵方法.
写真31.朝二番目に産卵に来たメス.この時点でもまだオスは降りてきていない.普段オスが止まっているところで悠然と産卵している.

 オジロサナエの産卵は,もちろんオスが降りてきた後も行われます.ただオスがいるときには,オスに見つからないようにするためでしょう,ヒメサナエと同様に石の陰などで動きも小さく産卵をすることが多いようです.また日陰で産卵するのが普通ですが,ときどき日向で産卵するメスを見ることもあります.

写真32.7月16日.日向で産卵するメス.静止して卵塊を形成し(左),飛んで打水する(右).
写真33.打水した後,静止して卵塊を形成し始めたメス.
写真34.打水,または打水直前の飛翔.左の写真では卵塊が見えている.

 産卵は,上の写真のように,落ち葉などが散乱したごみごみしたところで行われます.また,礫の間を水が流れているような浅い場所で,礫の間をねらって卵を置くように打水する産卵もよく見かけます.この場合,写真36にあるように,卵は礫の間に入りこむようにして隠されるのでしょう.

写真35.7月24日.礫質の浅い場所で,その間を水が流れるようなところを好んで産卵をする.
写真36.7月24日.卵会計生後,打水の瞬間.右の写真では打水の衝撃ではじけた卵塊が見える(矢印).
写真37.7月24日.打水の瞬間.背景に見える本流の横の,浅い部分で産卵していることが分かる.
写真38.7月24日.飛んだり止まったりして産卵を繰り返すメス.

 オジロサナエとヒメサナエは,繁殖場所を知ってから,約10年間ずっと同じ場所で観察を続けてきました.しかし,とうとうここも工事によって破壊されてしまいました.こうやって,虫たちのいた景色が,ひとつ一つ思い出と記録写真の世界になっていくのですね.
 オジロサナエは,この後8月いっぱいまでその姿を見ることができます.そして9月の声を聞くころには姿を消します.

写真39.左:8月19日,右:8月18日.8月に見られたオジロサナエの成虫.