No. 876. シフティング・ベースライン症候群.2022.9.17.

以前から頭の中に概念としてあったことですが,最近読んでいる本の中にその概念を表す言葉に出会いました.これがタイトルの「シフティング・ベースライン症候群」という語です.

私はたまに生き物に興味がある子供たちにトンボや昆虫のことを話す機会があり,そのとき子供の頃にした虫採りの話をすることがあります.小学校3年生のとき,家のすぐ近くにまだ戦争の爪痕が残っているような焼けただれた洋館があり,その庭にカナブンがたくさん集まる木がありました.カナブンというのは当時は「駄物」扱いで,アオカナブンでやっと捕まえようかという意欲のわくレベルでした.とにかくカナブンはたくさんいて塊になって樹液を吸っているので,両手ですくうようにして十から二十の採れるだけのカナブンを捕まえ,おにぎりを握るような格好で手の中に収め,そしてパッと空に向かって投げて逃がす,というようなことをやって遊んでいました.

こんな話をしたときによく感じることですが,その感覚が今の子供たちには実感として伝わりません.何を当たり前のことを言っているのだ,今は昆虫が減っているからだろう? と言われそうです.それはその通りなのですが,そのときに私が感じるのは,今の子供たちが自然を見るときには,生まれてから接してきた自然環境を基準(ベースライン)にした感覚を持っているからだろうということです.

ところで私の原体験は,1971年に出かけたアカトンボが無数に飛ぶ六甲山地の裏側に広がる田園地帯でした.山間に広がる普通の田園地帯ですが,最寄りの駅から農道を歩いて短時間網を振っただけで,ナツアカネ,ミヤマアカネ,マユタテアカネ,リスアカネ,コノシメトンボ,ネキトンボ,タイリクアカネが採れました.これらが,ポツポツ止まっているのではなく,多くは電線に鈴なりに止まっており,一方では実る稲穂の上をたくさんのミヤマアカネがひらひら飛び回っているのです.それ以外にも,カトリヤンマ,オニヤンマ,ハグロトンボ,ギンヤンマなどが飛んでいました.下の標本はそのときのものです.

こういうトンボが群れている姿は,私たちの生活空間のすぐそばに普通に存在していました.そして図鑑に書いてある生息環境を見つければ,そこには必ずと言っていいほど目的の種,あるいはそれ以上の種が見つかりました.出かけることさえいとわなければトンボに出会えたのです.つまりこういった感覚が私のトンボという生き物を見るベースラインになっています.

しかし今の子供たち,それもトンボに興味を持っている子供であっても,通常の生活範囲でそのような状況に出会うことはほとんどないのではないでしょうか.そして今ではある種の典型的な生息環境に出かけてもそのトンボに出会うことができないのが普通になっています.ただ目的のトンボを探そうとすれば,それなりの努力をすれば今でもその種を見つけることはできます.ですから「トンボはがんばって探せば見つかる昆虫である」という感覚が,今のトンボ好きの子供たちのベースラインになっているように思われます.

このように世代間でものを見る基準,つまりベースラインが変化していくことを,シフティング・ベースラインと呼んでいます.そしてこの後に「症候群」とつくのは,このベースラインの変化によって何かマイナスの状態が現出しているという意味が込められているのだと思います.

生物多様性というものに価値があると前提すれば,その減少はマイナスの価値になります.生物多様性が減少した状況の中で育っている子供たちにその実感が受け継がれないとき,この社会の中で重要な価値感覚が時代とともに失われていくという「症候」が存在するととらえることができます.

私はトンボのこと以外は何も言うことができません.ですから,トンボという生物群を通して,生物多様性減少についてのシフティング・ベースライン症候群を「治療」する方法を追求する必要があるように,最近特に感じています.

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No. 875. リスアカネの産卵.2022.9.11.

今日は秋を探しに出かけてみました.もう一つは,私がトンボ好きだと知っている学生さんが,学校でベニトンボを見たと言っていたので,その学校周辺の公園の池に,ベニトンボがいないか見に行きました.まあ,結果的にはベニトンボは見られなかったです.

今日は,この公園を含めて,3つの公園を歩いてきました.一つ目の公園ではタイワンウチワヤンマ,ギンヤンマ,コシアキトンボ,ウスバキトンボ,オオシオカラトンボ,シオカラトンボ,ネキトンボなどの姿を確認しました.


▲タイワンウチワヤンマのオス.▲

二つ目の公園には,親子連れがたくさん来ていて,ほとんどの家族の子供やお父さんが網を振っていました.この時期,バッタとトンボが一番目立つので,家族連れの虫かごの中身は,ほとんどバッタとトンボでした.これだけ網を振られると,池には数が多いシオカラトンボと子供では採るのが難しいギンヤンマぐらいしかいません.ちょっとかごをのぞかせてもらうと,マユタテアカネをとっている子供がいました.ここでは私はマユタテアカネを見ませんでしたので,なかなかやるな,という感じでした.


▲たくさんの子供たちが網を振っていたが,シオカラトンボは採り尽くせない?.▲

こんな感じなので,明るい池を避けて,私はほとんど真っ暗な林の中の池を目指すことにしました.樹林の中の細道に入ると,虫採りをしている家族連れは全くいません.さすがにこんな薄暗いところにトンボがいるとは思わないのでしょう.目的の池に着きますと,リスアカネが合計3ペア産卵していました.単独オスも4,5頭飛んでいます.


▲リスアカネの産卵.あまりに暗いので,ピントはほとんど勘に頼った.▲


▲リスアカネの産卵.▲

リスアカネはアカトンボですが,秋のアカトンボとはいえず,7月終わり頃からもう産卵をしているトンボですので,秋の「訪れ」を感じるというのではありませんでした.


▲リスアカネの産卵.▲

産卵はいつも通り,池の水際の陸上で行われています.所々に木漏れ日が差し込んでおり,それがバックにくるとトンボの姿をはっきりと視認できます.


▲池の水面に反射する木漏れ日をバックに産卵するリスアカネ.▲

さて,三つ目の公園には,カトリヤンマを探しに入りました.しかし全くといっていいほどトンボ自体がいませんでした.40分ほど歩いて,見つけたのは,ハグロトンボ(1),オオシオカラトンボ(2),リスアカネ(2),コシアキトンボ(1)だけでした.たったの6頭.本当にトンボがいません,この時期...

今年この時期にトンボを見に来て,夏のトンボの生き残りが少ないのと,オニヤンマをほとんど見ないのが気になります.例年なら,「またオニか」というぐらいこの時期には飛んでいるのですが,姿を見ません.今,サイレント・アースという本を読んでいて,これには,全世界で昆虫が減っていることが書かれています.「沈黙の春」の昆虫版とでも言うべき本です.私もフィールドに出て,本当にそれを感じます.

今日は結局小さな秋は見つかりませんでした.

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No. 874. ミヤマサナエには出会えない.2022.9.4.

今はトンボの端境期.最近は気温上昇の影響か,夏のトンボが姿を消すのがちょっと早まった感じがします.それで,アカトンボが本格的に出てくるまでの間,新しいトンボの姿が見られない時期が,この8月末から9月上旬にかけて続くのです.この時期に陽の当たる場所で姿が普通に見られるのは,いわゆる通季種と私が名付けている,多化性で春早くから秋まで見られる普通種です.

夏のトンボで比較的遅くまで残っているのは,ハグロトンボ,オナガサナエ,ミヤマサナエ,タイワンウチワヤンマなどです.今日は,ミヤマサナエがいないかと,兵庫県北部へ行ってきました.しかし川にはほとんどトンボがいず,いたのは,池に寄ったときに見た通季種ばかりでした.兵庫県のミヤマサナエは,羽化時期を除けば,本当に難しい.


▲兵庫県北部ではタイワンウチワヤンマがいないせいか,まだウチワヤンマがいる.▲


▲ショウジョウトンボは春早くからずっと姿を見せるトンボになった.▲


▲通季種の代表,ギンヤンマが池の中ほどで産卵していた.▲

まだまだ暑い日が続いています.今の時期には,夏の生き残りのトンボや秋のトンボは林の中に見に行かないと出会えないのかもしれません.日向はまだ夏でした.

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No. 873. ウスバキトンボのマーキング調査.2022.9.3.

今,ウスバキトンボの国内での移動を調べるための,マーキング調査が行われているのをご存じでしょうか? NHKの番組「ダーウィンが来た!」で,ウスバキトンボを扱った番組が制作される予定で,その移動状況を,一般市民の力を借りてマーキング調査しようというものです.

ウスバキトンボは,太平洋を飛行して移動することで知られており,長距離移住者の代表的なトンボです.日本には,毎年春以降にやってきて数を増やし,どんどん北の方に広がっていきますが,日本では通常越冬できず,やがて死滅していくという,一見変わった生活を営んでいるトンボです.この日本国内での移動状況を調査しようというものです.

下記アドレスのWebページに,その協力案内が掲載されています.

★トンボ大調査 協力者募集します!★

こういったマーキング調査は,ウスバキトンボの移動範囲があまりにも広大なので,その成功が難しいとは思います.しかし,放送局が大勢の一般市民に募集をかけて実施しようとしているので,その再捕獲率が少しは上がる可能性があります.ご興味がある方は参加してみてください.

今の季節,9月上旬は,兵庫県あたりでは,ウスバキトンボは新しい個体がたくさん羽化して飛んでいる状況です.この時期にマーキングされた老熟個体を見つけるのは難しいかもしれませんが,逆にマーキングするにはチャンスです.あらゆる場所で,たくさんのウスバキトンボが群れて飛んでいます.

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ところで,ウスバキトンボは,絶滅に向かって北へ移住をするという行動が私たち日本人の興味を引くからでしょうか,不思議なトンボとされています.しかし,絶滅して子孫を残すことができないような遺伝的行動形質が進化することはない,と言ってよいでしょう.進化は,その行動をとることによってより多くの子孫が生き残り,それゆえその行動がより多くの子孫に受け継がれ,やがて,その種全体がそのような行動をとることが一般的になる,といった過程を経て起きるものだからです.これが自然選択です.

ウスバキトンボがなぜこのような行動を進化させたかを知るためには,本来の生活場所やその環境を知る必要があります.本来の生活環境下で,この「絶対的移住(生活史に組み込まれた移住)」がより多くの子孫を残すのに有利であることを知る必要があるはずです.しかし,私の知る限りにおいて,この点について一般の方々に向けて解説した文章はほとんど見当たりません.もちろん専門書には,それなりの考え方が記されてはいます.そこで,当サイトで,その考え方を紹介することにしました.すでに公開してから数ヶ月が経っていますが,興味ある方は下記のページを参照してみてください.

神戸のトンボ:ウスバキトンボの話

この番組を通じて,ウスバキトンボの国内での状況が少しでも解明されることを期待しています.

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No. 872. ミルンヤンマ探し.2022.8.28.

まだアカトンボには少々早い感じですので,今日はミルンヤンマとミヤマサナエを探しに行きました.ミヤマサナエはロケハン的な探索で,もちろん?,見つかりませんでした.ミルンヤンマの方は,産卵に来ることはなく,オスが摂食飛翔をしていただけでした.暗い中で素早く飛んでいるので,置きピンでシャッターを切りまくりましたら,50枚ほどの内,1枚だけピントが来ていました.ただ,近すぎてストロボの最短距離内のようで,ちょっと明るい部分が飛んでしまいました.


▲ミルンヤンマオスの摂食飛翔.Uターンした瞬間である.▲

今日は川を探索したわけですが,川のそばの道路や水田に,オナガサナエがたくさんたむろしているのに出会いました.最初の場所では,メスばかりが見つかってオスはいませんでした.川に入ってもオスは全く姿がなく,メスは悠々と産卵したり水浴びをしたりしていました.オスがいない状態では,そこはメスの天国みたいな感じでした.なんか伸び伸びと活動しているんですね.なお,川ではハグロトンボがたくさん活動していました.


▲ハグロトンボはあちこちで活動をしていた.▲

止まっているメスは合計4頭見られました.これらのメスは近づいても一気に山の方に逃げるという行動は示さず,ちょっと飛んで止まり場所を変えるという動きでした.産卵には3回入ってきました.ただ,産卵行動は,いつものように一カ所でホバリングするという感じではなく,あちこち飛び回ることが多かったです.


▲アスファルト上や水田の電柵に止まったりしているオナガサナエのメス.▲


▲悠々と産卵するオナガサナエのメス.▲

もう一つの場所,ここはミルンヤンマを探しに入ったかなり上流域なのですが,やはりメスが複数いました.ここにはオスもいました.ただ,オスも川の石の上に止まってメスを待つといういつものパターンとは違い,ほとんどの個体は草地や水田や道路に止まっているのです.オスとメスがすれ違う場面でもオスはメスを捕らえようとはせず,繁殖活動をしていない感じに見えました.またこれらの個体は,近づいても山の方に逃げることもなく(といってもここは山の中なので,山の斜面の樹上にという意味),はじめの場所と同じく,ぐるっと飛んで止まり場所を少し変えるといった行動を示します.


▲川のそばの護岸やコンクリートに止まるオナガサナエのメス.▲


▲草地や岩場に止まるオナガサナエのオス.流れに近い場所ではある.▲


▲こういう角度で成熟オスの写真が撮れることは少ない.水田のネット支持棒.▲


▲道路上に止まるオナガサナエのオス.▲

ミルンヤンマのいるような上流にまでオナガサナエが入っていることにまず驚きます.ほとんどは写真のように流れから少し離れたところに止まっていましたが,1頭だけ流れに止まっている個体もありました.写真で見て分かるように,かなり上流部の様相でヒメサナエが止まっているような場所です.


▲上流部の流れの石に止まっているオナガサナエのオス.▲

このように,流れから少し離れたところにたくさんの個体が集まっているのを見るのは初めてです.二カ所目の上流部は,オスの止まり方や行動などから見て,ひょっとしたら彼らのねぐらなのかもしれません.でもはじめのメスばかりのところは水田で,この場所がねぐらとはとても思えません.一時休息といった感じに見えました.いずれにしても,オナガサナエの珍しい集合状態を見た気がします.

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