トンボ歳時記総集編 9月
夏から活動しているアカトンボ
写真1.樹林に囲まれた,山中にある公園の池.
ネキトンボはアカネ属のトンボです.アカネ属というのはいわゆるアカトンボと呼ばれるトンボのなかまをさしています.アカトンボといえば秋が出現の季節というイメージですが,ネキトンボだけはちょっと違っています.その季節性を分類するならば,夏季種になるでしょう.多くのアカネ属が卵で越冬し,春から初夏にかけて幼虫が急速に成長し,初夏に羽化するという生活史を持っているのに対し,ネキトンボは幼虫で,それも相当に成長した齢で越冬しています.終齢幼虫で越冬している個体も多く見られます.春先の3月3日にたくさんの終齢幼虫を採集したことがありました.
また多くのアカネ属は,初夏に羽化した後秋がやって来るまで,
「生殖休眠」と呼ばれる性的成熟が遅延される生活史を持っています.しかしネキトンボにはそういった休眠性は見られず,初夏に羽化した後,6月にはすでに産卵をする個体が見られます.まだ成虫越冬種のホソミオツネントンボが産卵している時期です.
No.074:ネキトンボ
Sympetrum speciosum speciosum
ネキトンボの消長図
写真2.6月17日.連結打水産卵をするネキトンボのペア.同じ日この池でたくさんの終齢幼虫が(右下),またホソミオツネントンボの産卵も見られた.
写真3.6月24日.6月は羽化の盛りでもある.左はオス,右はメス.いずれも羽化直後の個体である.
羽化は,初夏に限らず,真夏になっても続いているようです.羽化そのものを観察したわけではありませんが,未熟な成虫が,7,8月に見られることも珍しくありません.また盛夏の時期には,さまざまな成熟段階のネキトンボが,さまざまな標高の場所で見られます.これらが移動しているのか,もともとその場所で繁殖しているのかは分かりません.ただ盛夏には,経験的に,比較的標高の高いところでよく見かけるように感じられます.
写真4.左:8月1日 alt.100m,右:8月3日 alt.420m.夏の暑い時期には,高い木のてっぺんに止まって,腹部挙上姿勢をとっていることが多い.
写真5.8月4日 alt.890m.高い山の池で樹木の枝の先に止まるオス.
写真6.8月27日 alt.210m.山間の水田地帯で未熟な期間を過ごしているネキトンボのメス.
写真7.左:8月24日 alt.400m,右:8月23日 alt.800m.やはり樹木のてっぺんに止まっている(左)と,高山の植物園で姿を見せたオス.
写真8.8月24日 alt.400m.植生の豊かな樹林に囲まれた池で活動するネキトンボのオス.
写真9.左:8月24日 alt.400m,右:8月30日 alt.890m.この時期にはテネラルな個体(左)や,老熟した個体(右)などが混じってみられる.
このように夏にもあちこちで姿を見せるネキトンボですが,やはり繁殖活動がもっとも盛んに観察できるのは,9月です.9月のよく晴れた午前中,生息地の池にはオスが集まって縄張り活動を展開します.オスは止まっていることが多いのですが,午前中は比較的よく水面を飛びます.産卵場所である浮葉植物の間に沈水植物が見える場所を選んで停止飛翔をします.オスどうしは激しく追いかけ合いをします.
写真10.左:10月8日,右:10月9日.池で静止するネキトンボのオスたち.これらはいずれも午後で,午後には止まっていることが多い.
写真11.9月14日.メスが産卵場所として選ぶ,浮葉植物の間に沈水植物が見える場所の上で停止飛翔をしているオス.
写真12.9月14日.停止飛翔するオスたち.ネキトンボのオスは頭部まで真っ赤になる.
気温が上がってくると,どこからともなくタンデムになったペアが池に入ってきます.そして連続打水産卵を始めます.好む池の環境は,沈水植物が繁茂する,水が透明な池です.沈水植物の繁茂する部分によく打水しています.水が透明というのは,水面下に繁茂する沈水植物の状態が見えるからでしょう.連結打水産卵の場合,オスが産卵場所を選んでいるようなので,オスがパトロールする中であらかじめ見つけた場所が,そのまま産卵場所になります.ネキトンボは,産卵の終わり頃になると,オスがメスを放して,メスの単独産卵に移行することが多いです.
写真13.9月14日.連結打水産卵を行っているペア.打水後上昇しつつあるところである.
写真14.9月14日.浮葉植物の間に沈水植物が見える場所に打水している.
写真15.9月18日.産卵の最後の方になると,オスはメスを放すことがある.メスはその後,単独打水産卵を行う.
写真16.9月23日.コナギの生えた池で産卵するネキトンボ.
写真17.9月23日.打水は,やはり,沈水植物の繁茂している部分に行っている.
写真18.9月23日.打水時には,かなり深く,水面を撫でて掘るように引きずっている.マユタテアカネのように突き刺す感じではない.
産卵活動は10月に入っても見られます.しかし,9月の時にような賑やかさはありません.明らかに生き残りのオスやメスが活動しているといった感じです.また10月には,都会の公園に現れることがあります.海を埋め立てて作った人工島に作られたコイの池に産卵にやって来ているペアを見たことがあります.
写真19.10月18日.気温の低い日で,交尾が終わって離れたが,そのまましばらくじっとしていたネキトンボのペア.
写真20.10月21日.秋の日差しを受けて池の畔に静止しているネキトンボのオス.秋になると鮮やか過ぎる赤色になる.
写真21.10月23日.海上人工島にあるコイの池で産卵するネキトンボのペア.この日はタイリクアカネが同じ場所で産卵していた.
夏の間は標高の比較的高いところに見られ,晩秋に海上人工島で見られるネキトンボを見ていると,それなりに移動性のあるトンボなのかな,と思ったりもします.そこで,ネキトンボの発見記録を標高300m以上と300m未満で分けて,消長図を作ってみました.それが図1です.
図1.標高300m以上(赤色;N=46)と300m未満(青色;N=349)で分けて消長図を作ったもの.
それぞれの消長をわかりやすくするために,最頻値を100%として描画.
この消長図を見て分かるように,標高300m以上の場所では,7月から9月にかけての夏の暑いときにだけ出現しています.しかし,300m以上の標本数は300m未満の標本数の約七分の一しかないこと(グラフの高さは実数では七分の一である)や,この時期にも低い場所にたくさんいるので,このグラフだけでは低い場所から高い場所へ移動しているとは言い切れません.
ところが面白いことに,標高300m未満の場所では,9月に入ってから急激に観察個体数が増えていることが分かります.そして9月の写真を見て分かるように,9月に観察できるネキトンボは,繁殖活動が盛んで成熟しています.これはつまり,8月ぐらいに見られるはずの未熟な個体が,かなり見つかりにくいところで生活していることを示しています.写真6に標高210mにおけるその時期の未熟な個体が写っていますが,こういった個体がもっと見つかってもよいはずです.
これ以上のことは手持ちのデータからは何も言うことができません.またこの消長図にも問題点があって,我々トンボ屋は9月になるとアカトンボなどを見るために標高の高いところへはあまり出かけないという傾向があります.そういった傾向がグラフに出ているとも考えられます.そういった問題点はあるにしても,まだまだネキトンボにも解き明かさねばならない興味深い秘密があるように思います.
さて,そんなネキトンボですが,私の記録では,11月15日が終見記録になります.最後に付け加えますが,秋になりますと,キトンボがネキトンボに混じるようになって,ときどき異種間連結が見られることがあります.
写真22.左:9月19日,右:11月15日.キトンボとの異種間連結(左).11月,かなり老熟したネキトンボのオス.