トンボ歳時記総集編 5月−6月上旬
春の大型サナエトンボ,ヤマサナエ
写真1.春の小川.唱歌「春の小川」のイメージがある川.春のサナエトンボが羽化してくる.
ヤマサナエは4月の中下旬から羽化してくる大型のサナエトンボです.ヤマサナエより大きなコオニヤンマなどがいるので,「大型」より「中型」といった方がいいかもしれませんが,より小型のオナガサナエ(=中型)がいて,さらに小型のダビドサナエ(=小型)がいるので,順序からいえば「大型」が妥当だと考えました.ということは,コオニヤンマは「超大型」と呼ばねばならないことになります.いずれにしても,春に出てくるコサナエ属やダビドサナエ属に混じって羽化したヤマサナエが飛ぶと,異様に大きなトンボが飛んだような印象になります.
まあ,サイズの話はこれくらいにして,川のサナエトンボとしては,ダビドサナエと同じくらい早く出てくるトンボに違いありません.ヤマサナエは川の中流から上流に多いトンボですが,中流域に流れ込む支流や,湿地の細流のようなところにも入りこんで生活しています.極端な言い方をすれば,下流域と源流域を除くと,どこにでもいるといえましょう.
神戸市内のある河川で調べたヤマサナエの羽化前後の幼虫や成虫の状況を,右欄外に示しました.これを見て分かるように,4月中は幼虫で生活していて,5月上旬に羽化,その後は羽化殻と成虫が見つかっています.しかし早いものでは4月中旬に羽化している個体もいるようです.
羽化に関しては,上記の観察時に,詳しく記録しています.開裂から処女飛行に飛び立つまで1時間15分ほどかかりました.大型のトンボではありますが,やはりサナエトンボの羽化は短時間で完了するのが分かります.
No.021:ヤマサナエ
Asiagomphus melaenops
ヤマサナエの消長図
ヤマサナエの記録(1991年)
4月
04日 終齢幼虫 5
4月
07日 終齢幼虫 1
4月
09日 終齢幼虫 4
4月10日 終齢幼虫 1
4月11日 終齢幼虫 2
4月20日 終齢幼虫 1
5月
06日 羽化殻 2
5月
07日 羽化途中 1
5月10日 羽化途中 1
5月14日 羽化殻 1
5月26日 羽化殻 1
6月11日 成虫 1
6月28日 成虫 1
写真2.4月16日.かなり早い時期に羽化するヤマサナエ.最近の気温上昇のせいか,このように早い時期に出現する春のトンボが増えた気がする.
写真3.5月10日.ヤマサナエの羽化過程.処女飛行に飛び立ったのは10:18であった.開裂からおよそ1時間15分かかった.
写真4.4月29日.ヤマサナエの羽化.草に覆われうす暗い川の水際でひっそりと羽化しているメス..
写真5.左:5月4日,右:4月29日.ゴールデンウィークに羽化するヤマサナエのメス(左)と,処女飛行に飛び立って草地に止まったオス(右).
羽化した未熟な個体は,周辺の草地や樹林で暮らします.生息地付近の農道を歩くと,日当たりのよい地面に止まっていた個体が,樹上へ飛び上がる姿をよく見かけます.羽化もそうですが,生息地によって未熟な個体が見られる期間にも結構幅があります.早いところでは5月の中旬には河川に成熟した成虫が戻ってきて繁殖活動をはじめますが,遅いところでは6月に入っても未熟な個体が見られることもあります.
写真6.左:5月5日,右:5月10日.未熟なヤマサナエのオス(左)とメス(右).メスは摂食している.
写真7.6月5日.遅い時期のヤマサナエのオスたち.成熟しているようにも見えるが,右上の個体などまだ淡色部が黄色い.
成熟して川に入ってきたオスは,流れの近くの石の上や,周辺の植物に止まったりしてメスがやって来るのを待ちます.オスたちを観察しに川に入って歩いて行くと,突然オスが飛び立ち,こちらに背中を向けてホバリングします.空中の一点で静止して,次の行動をどうするか考えているように見えます.このとき,こちらが動きを止めてじっとしていると,やがて,元いた場所の近くに降りて静止することが多いです.さらに歩みを一歩進めると,距離をとって移動し,逃げていきます.
写真8.5月20日.川に出てきて繁殖活動をはじめたヤマサナエのオス.
写真9.5月26日.流れのそばに止まっていたオス(右)が,人が近づくと流れの上でホバリングする(左).
5月中旬から下旬になりますと,淡色部が薄黄緑色をした若いオスたちをよく観察できるようになります.オスたちは6月の中ごろまで活動を続け,やがて姿を消していきます.7月に入っても生き残っている個体もいますし,繁殖活動が6月上旬にもよく観察できるので,初夏のトンボという感じもします.実際,私も6月11日に産卵を見たことがあります.暦の上では初夏です.産卵の様式は,流れの上でホバリングし,産卵弁のところに卵塊をつくって打水・放卵するというものです.
ヤマサナエの産卵は,意外と観察が難しいように思えます.川に行くとどこにでもいるサナエトンボで,どこにでもいるということは,どこに産卵に来るか予想がしにくいことを意味します.一度6月上旬ころ集中的に産地に出かけ,観察に挑んだことがありましたが,不発に終わりました.一方で思いもかけないところで産卵を見ることがあります.写真16は,湿地に生える草の間で産卵をしているヤマサナエです.この場所にはほんの少し水の流れがあり,そこに産卵しているのでしょう.
写真10から12は,最近見つけた産卵観察場所です.公園の中の流れで,わずか50mほどの管理された細流です.ほかに流れがありませんので,こういう場所を見つければ簡単に産卵を観察することができます.写真2の羽化もこの場所です.ここで羽化したのだから産卵に来るに違いないと張っていたら見事に当たり,産卵に入るところから終わるまでをつぶさに観察できました.
写真10.5月23日.産卵にやってきたメスはすぐに産卵を始めず,止まってしばらく周りの様子を確かめる.
写真11.5月23日.おもむろに飛び上がり産卵を始めるが,途中で止まることもある.また驚かせると少し高く飛び上がってホバリングし,様子をうかがう.
写真12.5月23日.ホバリングしながら腹端に卵塊をつくり,やがて打水,放卵する.
写真13.6月11日.自然公園の道を歩いていると,道に止まっているヤマサナエが飛び立ち,周辺の草地に静止,その後産卵を始めた.
写真14.6月11日.産卵は,道の横を流れる溝川のようなところで,ホバリングして卵塊をつくっているところ.
写真15.6月12日−13日.2日間集中して,ヤマサナエの産地で産卵観察を試みたが,メスはたくさんいるものの,産卵はしなかった.
写真16.6月10日.湿地に生える草にもぐりこんで産卵をするヤマサナエのメス.水はわずかに流れている.
ヤマサナエは,7月に入るとほとんどその姿が見られなくなります.わずかな生き残りが,ときどき見つかるだけになります.
写真17.7月7日.7月に入っても生き残っていたヤマサナエのオス(左)とメス(右).