トンボ歳時記総集編 6月−7月

群れて止まるコフキトンボ
写真1.ヨシが繁茂した低地の池.

 コフキトンボは氾濫原のトンボといってよいと思います.山地や丘陵地には,入りこんでいる場合はありますが,ほとんど見かけません.大きな川の河口近くのゆるい流れやワンド,平地の大きなため池などに住みついています.かつては,そういった水域であればたくさん生息していた超普通種だったのです.しかし最近は,兵庫県下のほとんどの生息地で個体数の減少が続いており,姿を消した生息地もあります.池の環境は見たところ変化がないように感じられます.これは近年のどのトンボの減少についてもいえることで,減少原因が分かりにくい状況です.特に平地の池とその周辺に生息し,移動性のないトンボの減少が著しいように感じられます.コフキトンボは,羽化した池で,未熟なときから成熟するまで生活するトンボなのです.

写真2.左:7月6日,右:6月23日.コフキトンボの羽化殻.多産する池では,左の写真のように次から次から幼虫が上がってきて,羽化殻の塊になる.

 コフキトンボは,早ければ,5月の下旬に羽化してきますが,6,7月にも羽化していると思われる個体があります.羽化した個体は池やその周辺の草地で生活しています.コフキトンボの名は「粉を吹いたトンボ」ということだろうと思いますが,羽化直後の個体では粉がまだ吹いていません.しかし,ほんの少し時間が経つと,もううっすら青灰色の粉が吹き始めます.
 兵庫県南部の沖積平野は,その多くで宅地開発がなされていて,コフキトンボのいる池の多くが宅地と田畑がモザイク状に広がる中に取り残された池です.羽化した未熟なコフキトンボはせいぜい池の堤の草地に広がるだけで,遠くへ移動していくことはもちろん,まわりの宅地に入っていくこともありません.

写真3.5月30日.コフキトンボ(オスは左,メスは右)も羽化直後はこのように青灰色の粉は吹いていない.池周りの堤の草むらで過ごしている.
写真4.左:5月21日,右:5月26日.5月の下旬(メスは左,オスは右),羽化してから少し日が経っているのかもう青灰色の粉を吹いている.
写真5.左:6月9日,中:5月29日,右:5月26日.各生息地で見られた5月下旬から6月上旬にかけての若い個体.
写真6.7月6日.羽化直後のテネラルなメス(左)とオス(右).7月に入っても羽化が続いている証拠.街中に取り残されたような小さな池である.
写真7.7月23日.住宅と田畑に囲まれた池に止まっているコフキトンボの成熟したメス.成熟すると,4本脚で止まることがふつうである.

 コフキトンボは,トンボ科には珍しく,オスとメスが同所的に生活しています.この群れている姿こそが,コフキトンボの大きな特徴です.多くのトンボ科では,未熟なうちは少し池を離れて過ごしており,成熟して池に帰ってくるとオスが縄張りを形成して,オスたちは間隔を開けて離れて止まっていることが多いのです.一方メスは成熟すると,産卵時以外は水域にほとんど姿を現しません.

写真8.7月6日(2008年).住宅街のすぐ隣の池で群れて止まっているコフキトンボ.
写真9.7月27日(2008年).オスとメスがかたまって一本の草に止まっている.
写真10.7月27日(2008年).岸に生えているヨシの茎に一列に並んで止まるコフキトンボたち.
写真11.6月17日(2012年).浅い池の畔にある草に群れているコフキトンボ.オスメスそれぞれ3頭ずつ.
写真12.左:7月3日(2007年),右:8月7日(2010年).左写真はすべてメス,右写真は左からオス,メス,メス.

 写真に撮影の年代をつけました.実は,この7,8年,こういったコフキトンボの群れをさっぱり見る機会がなくなってしまったことを示すためです.たくさんいたコフキトンボは本当に減ってしまいました.繰り返しになりますが,これは氾濫原の池やその周囲で生涯を過ごすトンボに共通する現象です.最近夏の気温が高いですが,夏に日陰ができないこういった池の水温が高くなるせいなのか,もっとほかのことが原因なのか,よく分かりません.コフキトンボは,特に池にオオクチバスが入ると減るようにも見えます.

 ところで,2020年に久しぶりに群れ状態を観察することができました.そのときの観察によると,群れの中にいるオスは未熟な個体がほとんどでした.群れの中にはメスもたくさんいますが,メスは成熟しているかどうかがわかりにくいので,群れの中のメスの成熟程度については分かりません.
 オスは成熟して複眼が黒く色づいてきて,腹部に黒いシミのようなものが出てきます.こういったオスは群れから離れて単独で縄張りを形成するようです.かつてのようにあまりに個体数が多いと,この単独オスも群れに飲み込まれてしまうことになり,縄張りを形成していることが見えにくくなると考えられ,こういったことにはあまり気づかなかったのだと思います.この年はちょうど良いくらいの個体密度で,池の植生の濃い場所に群れが集まり,それ以外の場所に成熟オスが散らばるという状況でした.

写真13.6月29日(2020年).久しぶりにコフキトンボの群れを観察できた.よく見ると未熟なオスとメスの群れである.
写真14.6月29日(2020年).上の写真の一部を拡大したもの.2枚ともすべてオス個体であるが,複眼がまだ黒く色づいていない.
写真15.6月29日(2020年).成熟オスの縄張り.矢印は付着卵.群れず単独で一定の空間を防衛している.成熟したオスの複眼は黒くなり腹部にシミがある.
写真16.6月24, 25日(2021年).なわばりを持つ成熟オスは,他のオスが侵入すると,コシアキトンボのように接近し追い払う行動を見せる.

 交尾は通常飛びながら行われます.コフキトンボは水面に浮かぶ植物の茎や葉の表面に卵を貼り付けますので,そういった産卵基質のある上空で交尾することが多いようです.交尾が終わると,メスはその近くの植物上に産卵を開始します.とても微妙な話ですが,コフキトンボは水面よりわずかに沈んでいる茎や葉に卵を貼り付け,水面より上に出ている部分には卵を貼り付けません.交尾・産卵行動については,ビデオの記録が詳しいです.

写真17.左:5月21日,右:7月7日.産卵基質の上で飛翔し交尾を続ける.卵は水面下に貼り付けられる.水面に出ると捕食されてしまう.
写真18.6月23日.コフキトンボの産卵.産卵基質である水面に倒れた植物の茎の上で上下動を繰り返して卵を茎の表面に貼り付ける.
写真19.左:7月1日,右:6月12日.飛翔交尾と産卵.オスは自分のなわばり内の産卵基質の上で飛翔交尾をし,終えるとメスは産卵するのが普通である.

 夏の日差しが照り付けているとき,多くのトンボで見られる腹部挙上姿勢は,コフキトンボではあまり見られません,というか,私は観察したことがありません.その反対に,腹部を下げて,体に太陽の光の当たるり面積を少なくしているようです.特にこの姿勢に名称はありませんが腹部下垂姿勢とでも名付けておきましょうか.

写真20.左:6月28日,右:7月17日.太陽の光を受ける面積を最小限にする姿勢.腹部を下げて受光面積を小さくしている.

 コフキトンボは,兵庫県では,個体群の一部が二化していると考えられます.上の消長図を見て分かるように,5月から7月にかけてのピークのほかに,8月末から9月にかけて小さなピークがあることが分かります.また9月から10月にかけて見つかる個体は小型のものが多いのです.夏に神戸市内のある池で7個の羽化殻を採集したことがありますが,春に採れる羽化殻より明らかに小さいものでした.二化するトンボの二化目の個体が小さいことはよく知られています.アオモンイトトンボ,アジアイトトンボ,オオイトトンボなども二化目の個体はすべて小さいです.これは終齢になるまでの脱皮回数が少なくなるせいだと考えられています.

写真21.左上:9月14日,左下:10月13日,右:9月11日.二化目と思われるコフキトンボの小型個体.いずれも9月以降の遅い時期に出現している.

 コフキトンボは,私が最も好きなトンボの一つです.かつて沖縄県那覇市の龍潭池にものすごい数のコフキトンボがいて,その生態が研究されたことがありました(長嶺,1964).沖縄県では4月から9月にかけて羽化が続くトンボです.その片鱗が,兵庫県で二化し10月まで姿が見られる生活史に引き継がれているように思います.