トンボ歳時記総集編 8月−9月上旬

真っ黒なカワトンボ
写真1.植生豊かな小川..

 夏のカワトンボの代表種はハグロトンボでしょう.オハグロトンボとも言われ,昔から人々に親しまれてきたようです.ちょうど,夏の川遊びをするころに飛んでいるからでしょうか.河川の中流域に主に生息していて,川遊びをやるようなところでよく見かけます.環境選択性も広いようで,コンクリートで護岸された川でも,ちょっと植物が生えていたり,川の中に藻が繁茂していたりすると,飛んでいます.カワトンボが豊富な河川では,ニホンカワトンボ,アオハダトンボの次に出てくるカワトンボです.
 早いところでは6月上旬に羽化した個体を見ることがあります.しかし本格的に数が増えてくるのは6月下旬から7月上旬です.羽化した個体は,川の周辺にあるうす暗い林床に入って未熟な時期を過ごします.川からかなり離れた場所へ移動していることもあります.

写真2.左:6月19日,右:6月6日.自宅羽化したハグロトンボ(左).アオハダトンボが盛りで,ニホンカワトンボの生き残りがいる時期のメス(右).
写真3.左:7月7日,右:7月3日.林床のうす暗いところで過ごすハグロトンボのオス(左).同様に川岸に沿った樹林の林縁で過ごす未熟なメス(右).

 7月中下旬には成熟したオスメスが,川に出てきます.このころには梅雨も明けていて,暑い日差しが川面を照らしています.暑い日向にも止まっていますが,やはり日陰が好きなようで,河原に茂ったヨシなどの陰に止まって,繁殖活動を始めるようです.

写真4.7月24日.夏の日差しの下,若いオスとメスが混じって川に出てきている.止まり場所は日陰が好きなようである.

 ハグロトンボは縄張りを形成します.止まっている場所に他のオスが飛んでくると,必ずといってよいほど追飛します.追飛は川の流れに沿って往ったり来たりと動きまわります.そうこうしているうちに争っている2頭が他のオスの縄張りに侵入してしまうと,その縄張りオスがまた追いかけるという,三つ巴の闘争劇もしょっちゅうです.

写真5.8月21日.2頭のオスが争っている場面.翅の破れたオスが縄張りに侵入し,後ろのオスに追いかけられている.
写真6.8月21日.上の2頭がさらに別のオスの縄張りを通ったため,3頭目のオスが闘争に加わった.
写真7.8月21日.3頭が,追いかけ合い,止まり,向かい合い,闘争を続けた.やがて,翅の破れたオスは闘争を止め,残りの2頭がさらに闘争を続ける.

 ハグロトンボの闘争劇で興味深いのは,ときどきオスが腹部の先端を上に曲げる姿勢をとることです.アオハダトンボでは,これはメスを誘引するディスプレイだと私は考えています.ミヤマカワトンボもメスを前にして同じような姿勢を取ります.これらのトンボ,つまりアオハダトンボ属 Genus Calopteryx では,上に曲げた腹部先端の腹面がともに真っ白ですが,ハグロトンボ Genus Atrocalopteryx では,写真8左のように黒いのです.ですからこれは,メスの誘引ではなく,縄張りの主張をしている姿勢である可能性があります.

写真8.8月25日.上とは別の日の闘争.2,3頭が闘争劇を繰り広げているが,1頭のオスは腹部の先端を上に反らし,他のオスに誇示している.

 さて,こんな闘争を繰り広げながら,オスたちはメスがやって来るのを待ちます.メスはオスと同所的に川で生活しています.川面から30cmぐらいの高さを,飛んでは止まりを繰り返しています.オスの縄張り内にメスが入ってくると,オスは川面に近い低い位置に止まり,メスを誘おうとします.メスに近づいたとき,交尾意欲のないメスは,さっさとオスの縄張りの外へと飛んで行ってしまいます.特に交尾拒否的な姿勢を取ることはないようです.
 オスがメスに近づくとき,アオハダトンボのような複雑なディスプレイはほとんどありません.たまに,ホバリングしてメスのまわりを飛び回るような行動をすることはあります.これについてはビデオでご覧ください.

写真9.8月25日.オスの縄張りの中にメスが入ってきた.メスの腹部先端は濡れているので産卵していたのだろう.オスは低い位置に止まり様子を見る.
写真10.8月25日.オスは特別なディスプレイをすることもなくメスに近づく.メスが逃げなければ,背後からメスを捕まえタンデムを形成する.
写真11.8月25日.このペアは,タンデム形成後,水面近くに止まり,移精行動を行った後,交尾に至った.
写真12.8月25日.交尾が終わった後,メスは交尾をした場所で産卵を始めた.

 ハグロトンボは,アオハダトンボと同じように,1個体のオスが複数のメスを縄張り内に囲い,グループ産卵をします.グループ産卵の誘引効果か,そういうところには次々とメスが入ってきます.オスはそれらと次々に交尾し,産卵させます.

写真13.9月4日.縄張りオスは産卵にやって来るメスと次々交尾し(左),自分の縄張り内で産卵させる(右).
写真14.8月8日.中央上のオスが縄張りオスで,写真には4頭のメスが縄張り内で,オスの警護下で産卵している.
写真15.8月8日.最も多いときには6頭のメスを囲って産卵させていた.

 夏の暑い中で毎日のように繁殖活動を続けるハグロトンボ,9月に入ってもその活動の勢いは止まりません.アカトンボが飛ぶ9月下旬ころ,− もっとも川ですからアカトンボといってもミヤマアカネですが −,それに混じってまだまだ繁殖活動を繰り広げています.夏の間闘い続けたのでしょう,翅はちぎれボロボロになっている個体もいます.

写真16.9月19日.9月の下旬になろうかという川.ハグロトンボたちは,盛夏の時期と変わらない活動を繰り広げている.
写真17.9月19日.相変わらずオスは三つ巴の闘争を繰り広げていたり,メスは集まって産卵していた(右下).

 私が一番遅くハグロトンボを目撃したのは,10月28日です.もうある種のアカトンボは数を減らし始めるような時期です.この日の写真はありませんが,10月9日に,交尾産卵活動を行っているハグロトンボを観察・記録したことがあります.もう生息地における個体数はわずか数頭というレベルでした.オスの腹部の色も,鮮やかな金緑色ではなくて,くすんだ金緑褐色になっていました.オスの翅の破れは,ここまで生き抜いてきた勲章ですね.

写真18.10月9日.石の上で待つオス(交尾オスとは別個体).メスが入ってきたら捕まえてタンデム形成,移精行動,交尾へと至る.
写真19.10月9日.交尾後行われている産卵.