絶滅危惧T類 兵庫のマダラナニワトンボ
絶滅寸前の兵庫県のマダラナニワトンボ
写真1.連結打空産卵するマダラナニワトンボ.兵庫県小野市,1990.10.9.
かつてこの小野市の生息地はマダラナニワトンボの大産地であった.1990年代後半に著しく個体数を減らした.
みなさんはマダラナニワトンボという名前を聞いたことがあるでしょうか.ベッコウトンボなどに比べるとあまり知られていないと思いますが,今全国的に減ってきているアカトンボの一種です.兵庫県でも例外でなく,今ではほとんどその姿を見ることができなくなりました.このトンボは,写真のように,アカトンボなのに赤くならず黒くなります.
マダラナニワトンボは日本特産種で全国に産地が点在しており,秋田,山形,福島各県から,新潟,石川,福井,岐阜,愛知,三重,近畿地方全県,鳥取,岡山,広島,そして香川県にまで,全国で30か所の記録がありました(苅部,2002).ただし香川県の記録は確認の必要があると指摘されています(苅部,2000).これらのうち,2002年時点で確認されていた産地数は,秋田県(1),山形県(3),福島県(1),新潟県(5),岐阜県(9),愛知県(2),兵庫県(2)となっていした(苅部,2002).それが2015年の確認数では,山形県(1),福島県(1),新潟県(6),石川県(4),岐阜県(3),愛知県(1),兵庫県(1)となっており,2011年から2015年の5年間で,全国約20か所に減少しています(二橋,2016).
兵庫県では1959年に東氏によって加古川市平荘町で発見された(東,1960)のが最初の記録です.その後同氏らによって産地が追加され,1960〜70年代に,加古川市志方町,平荘町,繁昌町,賀茂町,網引町,両月町,加東郡(現加東市)滝野町,小野市河合西町,日吉町,来住町,加西市九会町,北条町,西脇市平野町,姫路市余部区,飾東町,林田町,神戸市西区櫨谷町,押部谷町,伊川谷町,神戸市北区有野町など,主に東播磨一帯で記録するに至りました(青木・東,1998).
しかし1980年代に入ると,これらの産地でその姿が次々に見られなくなり,1990年代になったときには,知られている産地が小野市一カ所だけになってしまいました.その後2000年代になって加東市内で複数の産地が発見されましたが,2016年には,確実に生息している産地が一か所となってしまいました.そしてこの生息地でも2017年以降全くマダラナニワトンボの姿が見られなくなった状態が続いています.神戸市では1960年代には櫨谷町を中心にたくさんの記録がありました※.しかし1990年に1♀が採集されたのを最後に,その姿を消しています(青木,1998).
写真2.かつて多産した小野市の産地の風景.写真1はこの地で撮影されたもの.ため池ではあるが,湿原的な環境である.また周辺に松の疎林が広がり,禾本科植物が岸辺に生えている.マダラナニワトンボは,現在はその姿を消している.
絶滅危惧T類 兵庫のマダラナニワトンボ
兵庫県のマダラナニワトンボが生活する場所とその一生
マダラナニワトンボは,兵庫県など関西ではため池が主な生息場所になっています.一方東北地方では「浮島が見られるようなミズゴケ湿原(苅部,2000)」といわれています.確かに関西ではため池で生活しているとはいうものの,浅く湿地状の池を好んでいる点は,本種の本来の生息場所が湿原であるということと一致します(写真2).また一見するとふつうのため池とあまり変わらない環境でも見つかっていますが,産卵はやはり岸辺の湿地状のところでなされる点は変わりません.
また周辺に樹林があることが必要条件のようで,未熟な期間や,産卵しないメスが過ごしたり,オスやメスのねぐらとして利用されます.かつての小野市の産地ではまわりに松の疎林が広がり,その林の中で点々と止まっている本種が観察されており,松林との結びつきが強いことが指摘されています.
兵庫県で本種が生息していた池および周辺の環境をまとめると次のようです.
- ため池の一方がせき止められ,他方に浅くなだらかな岸辺があり,そこに禾本科の植物が生えている.
- 秋に水が落とされて,なだらかな岸辺が露出し,そこには背の低い植物が生えていることが多い.
- 周囲には松の疎林があることが多く,土質は粘土,赤土,真砂土でやせている.
産卵は,このような水の落とされた,禾本科植物の上や湿土上で行われることが多いです.
写真3.兵庫県のかつてのある産地の風景.2000年初めころまでマダラナニワトンボが生息していた.ため池の奥の方が浅く広がっていて,産卵はこういった岸辺の部分で行われていた.現在は堰堤が改修されほとんど水落がされなくなった.
マダラナニワトンボは,他のアカトンボと同じく,一年一化のトンボです.秋,9月下旬から10月にかけて,午前中の,気温が上昇傾向にある11時くらいから,産卵に訪れます.卵は空中から湿土上にばらまかれ(写真6,写真11),おそらくそのまま冬を越すものと思われます.飼育による卵の期間は,平均で33〜122日(新村・近藤,1989)とばらつきがありますが,水がない湿土上では,冬の到来もあり,結果的に次の春に増水して卵が水につかるまで孵化は起こらないと考えられます.
幼虫は春から初夏にかけて成長します.羽化は,近畿地方の成虫の初見日(関西トンボ談話会,1984)から類推すると,7月に入ってからのようです.
羽化した成虫は近くの樹林で夏を越し,秋まで生活します.産地ではだいたい近くの樹林でたくさんの個体を見ますので,通常の生活史の範囲では,あまり大きな移動は行わないものと考えられます.そして9月の下旬頃水辺に姿を現し,繁殖活動を行います.
マダラナニワトンボ幼虫
写真4.マダラナニワトンボのオスとメス.左:オス,右:メス.
絶滅危惧T類 兵庫のマダラナニワトンボ
マダラナニワトンボの繁殖活動と産卵
10月の上旬の晴天の日,10時ごろに兵庫県の最後の生息地と思われる池を訪れてみました.まだマダラナニワトンボは姿を見せず,ネキトンボやアオイトトンボが集まっているだけの状態です.
11時少し前,やや日差しが暑く感じ始めたころ,池に隣接する林を見上げると,オスが少し高いところに止まっています.マダラナニワトンボのオスが池の様子を見に来たのです(写真5左).しばらくするとオスは飛び立ち,池に降りてきて,ホバリングを交えたパトロールを始めます(写真5右).ときどき枝に止まったりすることもあります(写真4左).そして,時には数メートル上空をホバリングするように飛翔したりします.
そのうちに,池は,産卵に来るタンデムのカップルでにぎわい始めます.あちらこちらで,タンデムのカップルが,浮き上がったり沈んだり,ふわふわと上下動を繰り返して産卵をするのです(写真6).タンデムのカップルは普通静止することはありませんが,珍しく止まったのを見ました(写真7).カップルの中には,産卵途中でメスを放して,警護産卵に移行するのもがあります(写真8右).その後,メスは,単独で産卵を続けます(写真9).
タンデムのまま産卵を終えてオスから離れた時や,単独のメスが産卵を終えると,メスは一気に上空へ舞い上がって,樹林の方に姿を消します(写真10左).これも珍しいのですが,離れた後,バラの茎に止まって,遊離性静止産卵(枝,1976)を行ったメスがいました(写真10右).
写真5.左:朝池にやってきたオスは高いところから池を見渡す.右:しばらくすると湿地の上をホバリングしながらパトロールするようになる.
写真6.11時を過ぎるとどこからともなくタンデム個体がやってきて,連結打空産卵を始める.落ちている卵が見える(左).
写真7.産卵中にペアで止まることはほとんどないが,珍しく止まった.止まっても卵は放出している(左).
写真8.左:卵を放出する瞬間メスは大きく腹部を曲げ,勢いをつける.右:途中からメスを放し警護産卵に移行することがある.
写真9.左:放されたメスは単独で産卵を続けることが多い.右:草の間に潜り込むようにして産卵する単独メス.
写真10.左:産卵を終えるとメスは一気に上空へ舞い上がり池を後にする.右:珍しく産卵後静止して,遊離性静止産卵に移行した.
産卵個体は,普通どこかでカップルになり,交尾を済ませて池にやってくるようです.水辺で交尾に至るペアはあまり見かけませんが,時々,交尾態で飛び去るペアを見ることがあります.
連結打空産卵.水のない土の上に産卵するリスアカネ,ナニワトンボなどの多くのアカトンボと同様,マダラナニワトンボもこれを行います.次から次へ現れては,せわしなく,あちこちで産卵を行います.開けた場所だけでなく,ガマの根際や植生の陰などに入り込んでも産卵します(写真12).
写真11.左:水溜りの中にできた小さな泥地に産卵する.右:池岸に禾本科植物の少ない泥地で産卵する.
写真12.左:ガマの間に潜り込んで産卵する.右:背の高い植物の間で産卵する.
絶滅危惧T類 兵庫のマダラナニワトンボ
減少の原因として考えられること
さて,先にも述べましたように,兵庫県ではたくさんあった産地が,2016年現在わずか一カ所に減っています.青木・東(1998)や苅部(2000),さらに苅部ら(2019)は,減少の原因として次のような事例または可能性をあげています.
- 池の埋め立てによる生息地消失
- 護岸工事による生息環境改変
- 個体群の孤立と旱魃による消失
- 樹林の質的変化 (松の疎林から密な広葉樹林へ)
- 松枯れ防止の農薬散布
- 排水流入やハクチョウ誘致による水質悪化
- 秋に水を落とさなくなるようなため池の管理状態の変化
- 湿原の乾燥化やそれにともなうヨシの繁茂
- ネオニコチノイド系農薬使用による死滅
いずれも,特にマダラナニワトンボにだけ圧力となるものは見出されていません.このようにしか言うことができないのですが,マダラナニワトンボの生活史のあるステージで必要とされる環境で,特にダメージを受けやすい(受けやすかった)何かがある(あった)のではないかと思われます.
兵庫県ではマダラナニワトンボは松林に隣接する池に多いという特質があるので上記の5番はかなり有力だと感じていますが,散布地域についての情報を分析していないので,まだ何ともいえません.一般に5〜6月くらいに散布する(日本弁護士連合会,1997)らしく,この時期にはちょうど幼虫として水中生活をしています.また梅雨時でもあり,散布された薬品は雨によって池に流入しやすくなります.
私は2000年代に各地のため池を回って感じていましたが,水田の水が流入するなど,薬品の影響を受ける可能性のあるため池では,いくら見かけの環境が良くても,幼虫が全く採れないことを複数の池で経験しています.殺虫剤がため池に流入することはトンボに非常に大きなダメージ(その池の個体群の全滅)を与えることは間違いないと確信しています.写真13の池は加西市にある池ですが,周りの環境や水質は非常に良好であるように感じる池です.こういった池での消滅の原因は,目に見えないものを考えるしかないと思います.
写真13.加西市両月町の池(1998年).かつてマダラナニワトンボがいたがかなり昔に姿を消した.マダラナニワトンボが生息していた時期とほとんど目に見える環境変化はない.水も清浄で,周辺には松の疎林が広がり,池岸は浅くなだらかで,禾本科の植生がある.
次に2番と7番ですが,周辺になだらかな湿地状の部分を広く持つようなため池が少なくなっていることは確かです.コンクリート貼りにして,浚渫して貯水量を増やし,秋には水を落とさないといった池が増えているように感じます(写真14,写真3の池も現在は同じ状況).
こういったことにより,生息地が非常に少なくなって分断化され,生息場所が特定のため池に局在化し,いわゆるメタ個体群※が消滅しますと,3番の旱魃などが原因で,一気にその地域の個体群が絶滅するといったことが起きてしまいます.
以上のようにいろいろな推理は可能ですが,はっきりとした減少の主要因は突き止められていないのが現状です.ただ最近,上記原因の最後に書いた,ネオニコチノイド系の農薬がマダラナニワトンボの減少に関与している可能性が有力視されてきています(例えば,苅部ら,2019;苅部ら,2023).これは状況証拠もどんどん蓄積されてきており,かなり有力な説です.これに関しては状況を見据えながら,いずれここに取り上げるべき内容だと考えています.その場合はこの項目はほとんど書き換えられることになるでしょう.
※メタ個体群
いくつかの生息地個体群が,移動による個体の交流によってネットワーク的に結ばれているとき,それら全体をメタ個体群と呼ぶ.
写真14.同じ池の変わり果てた姿.左はマダラナニワトンボが生息していた時代.右は改修された姿.
絶滅危惧T類 兵庫のマダラナニワトンボ
最後に
私も含めて,トンボを研究している人は「視覚的な環境変化」を問題にすることが多いのですが,今まで言い古されてきた古典的な原因,例えば農薬の問題,などをきちんと検証する必要があると感じています.ベッコウトンボにしろ,マダラナニワトンボにしろ,またその他の多くのトンボが,1970〜80年代にかけて激減しています.この時期に何があったか,これら絶滅危惧種をまもる取り組みの中で明らかにしていく必要がありそうです.
21世紀になってからも,兵庫県下の産地は4か所ほどありました.しかし,一つ目の池(写真3)は,池が改修され,水落しをしなくなって,2000年代の早い時期に姿を見なくなりました.ここはビデオでの記録が残っています(右欄外).大産地であった小野市の池(写真1,2)では,しばらく姿が見られませんでしたが,2009年に1,2個体,2010年10月10日に1頭が再発見された後,調査が行えなくなり,状況が分からなくなりました.発見されてから10年以上も毎年産卵が見られていた加東市の池でも,2011年を最後に姿が消えました(写真11).私は2012年にここを調査しましたが,昨年までのにぎわいが嘘のように,ただの1頭も見つけることができませんでした.2016年現在で兵庫県の最後の産地と思われる池でも,2015年の調査ではメスが2頭(うち1頭は単独産卵),2016年の調査でオスが1頭見つかっただけでした(写真16).そしてそれ以降は全く姿を見せていません.
兵庫県下の産地の個体数は0に限りなく近くなってきています.こうなるとアリー効果※で,その個体群の絶滅を待つばかりの状態といえそうです.可能性は非常に低いですが,まだ兵庫県のどこかにいるかもしれません.ただしいたとしても分断化された小さな個体群でしかないでしょう.やはり絶滅危惧T類といえるトンボであることに間違いはありません.
※アリー効果
低密度になると個体群増加率が下がること.低密度の個体群では交配相手を見つけることが難しくなることによって起きると考えられている.
写真15.消えゆくマダラナニワトンボ.
左:写真1,2の産地で見つかった個体(2009年).右:写真11,12,14の産地(2010年).この池では2012年以降姿が消えた.
写真16.消えゆくマダラナニワトンボ.おそらく兵庫県最後の産地(写真5-10).左は2015年,右は2016年で,それぞれ2頭,1頭を確認したのみ.
参考文献
青木典司,1998.神戸のトンボ.神戸市スポーツ教育公社.
青木典司・東輝弥,1998.激減したマダラナニワトンボ.−兵庫県からの報告− 昆虫と自然,33(10):18-20.
東 輝弥,1960.マダラナニワトンボ兵庫県に産す.Tombo, 3(1/2):15.
石田昇三,1969.原色日本昆虫生態図鑑 −トンボ編−.保育社.
枝 重夫,1976.トンボの採集と観察.ニューサイエンス社.
苅部治紀,2000.マダラナニワトンボの生息現状.Tombo, 42(1/4):26-30.
苅部治紀,2001.マダラナニワトンボ部会.日本蜻蛉学会自然保護委員会報告.Pterobosca, (7a):11-12.
苅部治紀,2002.マダラナニワトンボ部会.日本蜻蛉学会自然保護委員会報告.Pterobosca, (8a):12-14.
苅部治紀・寺山隼人・坂部 貢,2019.岐阜県東濃地方のマダラナニワトンボの減少原因はネオニコチノイド系農薬か?.Tombo, 61:1-7.
苅部治紀・亀田 豊・加賀玲子・藤田恵美子,2023.国内絶滅危惧トンボ類生息地におけるネオニコチノイド系農薬汚染の実態.Tombo, 66:13-24.
関西トンボ談話会編,1984.近畿のトンボ.
新村捷介・近藤祥子,1989.アカトンボの卵期及び卵の大きさについて.Gracile, (42):1-5.
日本弁護士連合会,1997.松枯れ対策としての農薬空中散布の廃止を求める意見書.
二橋 亮,2016.マダラナニワトンボ部会2015年活動報告.Pterobosca,(21b):41.