トンボの生態学
1.概論 目次
トンボの生態学 1.概論
トンボは大きく3つに分けられる
トンボ目,いわゆるトンボは世界中に分布している昆虫です.世界におよそ5500種がいるといわれ,これらは3つの亜目に分類されています.すなわち均翅亜目,ムカシトンボ亜目,不均翅亜目です.日本では,2021年9月現在,これら3つの亜目に属する204種(亜種を別々に数えると223種類)のトンボが記録されています.
均翅亜目は一般に「イトトンボ」とか「カワトンボ」とかいわれているなかまで,4枚の翅の形がほぼ同じで(だから均翅といいます)四角室があり,小さくてあまり活動的ではなく,体も翅も華奢で,止まっているときには普通翅を閉じています
(一部開いて止まるものもある).
ムカシトンボ亜目は,日本では,いわゆる生きた化石といわれる「ムカシトンボ」ただ1種の亜目です.これは日本では普通に見られるトンボの一種ですが,世界では非常に有名な昆虫の一つです.日本以外では,インド,ネパール,中国に分布しています.前後翅は均翅亜目のようにほぼ同じ形で四角室を有していますが,体は不均翅亜目のように太くしっかりしています.休止するときには均翅亜目のように羽をたたむことがあります.
不均翅亜目は,いわゆる「トンボ」とか「ヤンマ」といわれるなかまで,次のような特徴を持っています.すなわち,後翅の基部が広がり,前翅より幅広くなっていること(だから不均翅といいます),前後翅には三角室があること,一般に大きく活動的であること,頑丈な体と翅を持っていること,止まっているときには翅を開いていることなどです.なお,トンボの体の体の各部名称については,
こちらをご覧ください.
トンボ目
Order Odonata
均翅亜目
Suborder Zygoptera
ムカシトンボ亜目
Suborder Anisozygoptera
不均翅亜目
Suborder Anisoptera
図1.左:均翅亜目のニホンカワトンボ,中:ムカシトンボ亜目のムカシトンボ,右:不均翅亜目のコヤマトンボ.
トンボの生態学 1.概論
出会い,交尾,そして産卵
どんな昆虫でも,まず最初の出発は卵からです.その産卵活動において,不思議なことに,トンボのメスはどこに卵を産めば自分の子どもである幼虫がうまく生きのびるかを知っています.メスはあの巨大な目で,幼虫生存に適した水域・ポイントを求めて飛び回り,それを見つけて産卵を行います.オスもそのことをよく知っていて,多くの種では,メスがやってくるより先にその場所で待ち伏せ,メスがやってきたら捕まえて交尾し,自分の子孫を残そうとします.ですから水辺を飛び回っているトンボは,ほとんどがオスなのです.
図2.左:産卵場所でじっとメスの到来を待つヒメサナエのオス.右:産卵にやってきたヒメサナエのメスがオスにつかみかかられ水面に落ちた.
メスが水域に飛んでくると,オスは一気にスクランブルをかけ,これを捕まえてタンデム状態になります.通常はすぐに交尾し,その後産卵へと移行します.連結したまま産卵したり,産卵しているメスをすぐそばで飛翔しながら見守ったりと,オスはメスが無事産卵が完了するまで,そのメスに他のオスが近づけないようにします(産卵警護).これは,他のオスに交尾されると,それまでメスに注入した自分の精子が,そのオスによって除去されてしまって,自分の子孫を残せなくなるからです(精子置換).
タンデム
tandem
交尾
copulation
産卵
oviposition
図3.左:オオシオカラトンボの警護産卵.右:アオイトトンボの連結産卵.いずれも産卵警護の一つの形態である.
多くのトンボはこのように水辺でオスメスが出会い,交尾・産卵を行います.しかし一方で,オスメスが出会ったり交尾する場所が特に水辺とは限らず,また交尾した後すぐに産卵するわけではないようなトンボたちもいます.例えばアオモンイトトンボは,午前中に多くのオスメスが一斉に池畔の草むらなどで交尾しています.しかしメスは,午後になってから,単独で産卵を行います.そのとき,ほとんどのオスはメスに興味を示しません.
図4.左:午前中木陰で交尾するアオモンイトトンボのペア.右:昼下がりに単独組織内産卵をするアオモンイトトンボのメス.
トンボの産卵様式はいくつかに分類されています.(水生)植物の組織内に産卵管で卵を産みつける植物組織内産卵とそうでない植物組織外産卵にまず大きく分けられます.前者には,そのバリエーションとして,産卵管を使って土中に産卵するもの,朽ち木に産卵するものなどがあります.後者には,卵を置く物体(産卵基質といいます)の種類に応じて,打水産卵,打泥産卵,打空産卵,植物上産卵などがあります.さらに産卵を単独で行うか連結で行うかによって,連結打空産卵とか,単独植物組織内産卵とか呼ばれます.特殊なものとしては,水面下に潜って行う潜水産卵があります.これらの様式は種によってだいたい決まっていますが,生息密度など,状況によって変化するようです.
植物組織内産卵
endophytic oviposition
植物組織外産卵
exophytic oviposition
植物上産卵
epiphytic oviposition
図5.左:空中から水落された池の草むらに卵を落とすナツアカネ(矢印が卵).右:土中に産卵管を使って産卵するヤブヤンマ.
トンボの生態学 1.概論
卵期間
産卵後,卵はおよそ10日から100日以上かけて孵化します.一般的には,卵期間が約80日未満のものは「直接発生(休眠を経ずに速やかに孵化する)」と呼ばれ,約80日を超えるものは「遅延発生(通常の形態形成に必要な期間を大幅に超える長期間を経て孵化する)」と呼ばれます.
後者は,冬や乾季といった過酷な環境を生き延びるための適応形態です.日本においては,アカネ属 Sympetrum,アオイトトンボ属 Lestes,ルリボシヤンマ属 Aeshna などがこのタイプに該当します.これらは一般的に秋に産卵し,卵の状態で越冬した後,春から初夏にかけて孵化します.一方前者のタイプには,春や夏に繁殖し,一般的に幼虫の状態で越冬するトンボ類が含まれます.
直接発生
direct egg development
遅延発生
delayed egg development
トンボの生態学 1.概論
幼虫時代から羽化へ
幼虫は普通水の中で暮らしています.彼らは9回から14回以上も脱皮して羽化を迎えます.幼虫期間の長さはさまざまで,短いもので30日あまり,もっとも長いもので6〜8年です.幼虫には様々の形態のものがありますが,まず基本は,その系統性です.つまり,均翅亜目には尾鰓と呼ばれる3枚の薄い構造物が腹部の先端についていますが,不均翅亜目にはそれはありません.また,科のレベルでも,一目見て分かるほどにその形態が大きく異なっています.
図6.左:不均翅亜目エゾトンボ科(ハネビロエゾトンボ)の幼虫.右:均翅亜目モノサシトンボ科(モノサシトンボ)の幼虫.
トンボにはさなぎの時期はありません.幼虫は羽化が近づくと胸にある気門が開き,空気呼吸をするようになります.そのために羽化間近な幼虫は,ときどき何かにつかまって上半身を空中に出すようになります.そしてある時羽化を始めます.
図7.左:羽化が近くなると内部に成虫の翅が形成され翅芽が膨らむ.ルリボシヤンマ.右:羽化間近な幼虫は胸部を水面から出す.クロスジギンヤンマ.
羽化の様式は,休止期の姿勢によって,2つのタイプに分けられています.それらは直立型と倒垂型とよばれています.一般に直立型の羽化をするものは短時間で,倒垂型の羽化をするものは長時間かかります.もちろん例外はあります.直立型の羽化は,後半,翅を伸ばすときに羽化殻にぶら下がって翅を伸ばします.一方直立型の羽化は,水平な姿勢で翅を伸ばします.
直立型
upright type
倒垂型
hanging type
図8.左:倒垂型の羽化は静止期に大きく後ろへのけぞる,アキアカネ.右:直立型の羽化は静止期にほぼ直立に立ち上がる,フタスジサナエ.
トンボの生態学 1.概論
成虫の時代
羽化後,成虫は羽化場所から移動します.その移動距離は種によって様々です.通常は数十から数百メートルにある草原や森林ですが.極端な例として,世界中に広く分布するウスバキトンボ Pantala flavescens が挙げられ,この種は南方から海を越えて日本まで渡ってきます.ただ海上を移動している個体は成熟しているものが多いという報告があります.また,長距離移動の別の例として,アキアカネ Sympetrum frequens が挙げられます.この種は,羽化場所から 100km 以上離れた高地へと移動します.成虫は成熟すると,水辺に戻るか,あるいは水辺を求めて移動します.
図9.左:未熟なニホンカワトンボが林床で木漏れ日にあたりながら成熟を待つ.右:未熟期から成熟期にかけて広く分散するウスバキトンボ.
成熟したオスは通常水辺で見られます.彼らはメスを探す際に「止まって待つ(パーチャー)」か「飛び回る(フライヤー)」という行動をとるため,それぞれそのように呼ばれます.一方,成熟したメスは水辺で見かけることはほとんどなく,通常は水から離れた林内の日当たりの良い場所や草地で,休息のために止まっています.メスが水辺にやってくるのは産卵の時だけです.
パーチャー
percher
フライヤー
flyer
図10.水辺でメスを待つオスたち.左:池の上で静止するベニトンボ.右:小川の上を飛翔するコヤマトンボ.
図11.静止しているメスたち.左:樹木の間で静止するナニワトンボ.右:草むらで静止するウチワヤンマ.
成虫は活動的で,優れた飛翔能力を持っています.多くのトンボやイトトンボは,通常「逆位相(カウンター・ストローク)」で飛翔します.これは,前翅と後翅の羽ばたきの周期を半周期ずらすことで,一方の翅のペアが下降する際に他方が上昇するように動く仕組みです(図12を参照).そのためトンボの飛翔は極めて速く直線的です.
図12.逆位相で羽ばたくトンボの翅の動き.左:ホソミイトトンボの逆位相羽ばたき飛行.右:ムカシトンボの逆位相羽ばたき飛行.
トンボ類は、その一生を通じて例外なく肉食性です。幼虫期にはユスリカやイトミミズなどの小動物を捕食し、成虫期には飛翔中の昆虫、時にはセミのような比較的大きな昆虫さえも捕らえて食べます。その大きな複眼は、飛びながら獲物を捕らえるのに適しています。一部のトンボ(不均翅亜目)は、薄暗い時間帯に飛翔しながら捕食活動を行います。ヤンマ類などのトンボは、空中で動くものを追う習性があります。「ブリ」や「トリコ」と呼ばれる日本の伝統的なトンボ捕獲法は、この習性を利用したものです。
図13.捕食.左:トビケラを捕食するヒラサナエ.右:ブリで捕獲されたヤブヤンマ.
図14.トンボどうしの捕食.左:アサヒナカワトンボを捕食するタベサナエ.右:アオハダトンボを捕食するコオニヤンマ.
図15.黄昏飛翔は摂食飛翔である.左 :ネアカヨシヤンマ. 右 :マルタンヤンマ.
成虫のもっとも重要な役割は繁殖活動です.このような成虫の時期を生殖期といいます.オス,メスはさまざまの繁殖のための戦略を持って行動します.この時期の観察がトンボという昆虫についてもっとも興味深い部分でしょう.詳細は各論に譲りますが,いずれにしても,オスはメスを見つけ,交尾し,メスは産卵し,両親の遺伝子を持った子孫を残していきます.こういった活動を毎日のように継続し,やがてさまざまな原因で寿命を迎えます.
生殖期を終えた残りの時期を後生殖期といいます.しかしここまで生きるトンボはごくわずかで,多くは短命です,鳥に食べられたり,ブラックバスのような魚に食べられたり,カエルに食べられたり,捕食性昆虫(時には他のトンボに)にとらえられたりして消えていきます.よく目にふれるのはクモの巣にかかって命を落とした個体です.最近は交通事故死の個体もよく見かけます.そういった不幸に会わずに寿命を全うした個体は,やがて自然死します.めったに目にすることはありませんが,時に出会うことがあります.こうやって成虫の数がだんだんと減り,静かにそのトンボのシーズンが終わっていきます.
生殖期
reproductive period
後生殖期
postreproductive period
図16.左:クモの巣にかかったキトンボ.右:ヒメサナエを捕食するムシヒキアブ.
図17.いずれも交通事故死した個体.左:コシボソヤンマ.右:コヤマトンボ.
左:老熟した後生殖期にあると思われるチョウトンボ(9月23日).右:キトンボの自然死(12月29日)寒い時期でアリによる食害がみられない.