激減! 最普通種のアキアカネ
1990年代に,神戸そして兵庫県下でも激減! 最普通種のアキアカネ
写真1.アキアカネのオス.2006.9.27.,神戸市.
事の起こりは,1999年8月,神戸市立森林植物園主催のトンボ観察会(同8月22日予定)の講師を依頼されたときのことでした.トンボ観察ルートとその下見のため,森林植物園から裏の二十渉(トゥエンティクロス)に至る道を歩きながらトンボの姿を探していました.ここは標高400m程度の場所でした.かつては,この時期であれば木々の枝をちょっと探せばどこにでも止まっていたアキアカネが,全く見つからない,つまり発見数ゼロだったのです.このことに衝撃を受けその日の帰りに,かつてたくさんいた別の場所,それぞれ標高580m,650mの地点,も2箇所まわってみましたが,発見数は合計たったの1頭! だったのです.
思い返せば,その前の年,1998年,タイリクアカネという,晩秋に海岸近くにやってくるトンボを見に神戸市中央区のポートアイランド南公園に出かけたときにもこの異変は起きていました.1990年はじめ頃にポートアイランドに出かけると,アキアカネは木々の枝や地面などにたくさん止まっていました.そしてその中から目的のタイリクアカネを一生懸命さがしたものでした.でも1998年に訪れたとき,アキアカネの発見数はやはり0頭! だったのです.そのときは今年は来ていないのかな?くらいの思いでしたが,どうやらそうではなかったようです.
写真2.都市公園のアベリア植栽で交尾するアキアカネ(左),市街地の人工池で命つきたペア(右).1992年.神戸市中央区ポートアイランド.
さらにこの異変は神戸市の周辺でも起きています.2001年,2006年,2007年と,私は神戸市,明石市,加古川市,稲美町,小野市,加西市,加東市などのため池のトンボを調査しましたが,その結果を見てもアキアカネの減少ははっきり見て取れます.水田に囲まれたため池であれば,どんなに条件が悪くても,アキアカネは必ず周辺の木々などに止まっている姿を見たものです.しかし,結果は惨憺たるもので,100箇所調べたの池のうち,アキアカネが見られたのはわずか28の池で,しかもその中でいちばん数が多かった池で発見個体数が26頭,その次が9頭で,あとは1頭またはせいぜい2,3頭でした.
もちろんアキアカネは探せば見つかりますし,発見それ自体はそれほど困難なわけではありません.例えば先に述べたため池調査で26頭見つかったところは,池の改修工事がなされていて,水が落とされ,泥状の水際が発達して,アキアカネ産卵の好適環境になっていたような場所です.こういった場所であればかなりの数が集結します.この池では翌年たくさんの幼虫が発生し,羽化個体も多数見られました.
写真3.今でも好適環境では繁殖している.秋に26頭が集まっていた池.
左は該当するため池(写真は2016年のもの),右はそこでの羽化個体.2007.6.23.,兵庫県加古郡.
でも,アキアカネが普通種といわれる所以は,そんなレベルの話ではないのです.街の真ん中の緑地,空き地,家の庭,...,およそ緑があるところにはどこにでもいたといってもおおげさではありませんでした.それが「好適な環境の場所でなければ見つからなくなった」ということなのです.
さて,激減の現状はこれくらいにして,次にアキアカネの生活史についてお話ししましょう.
激減! 最普通種のアキアカネ
アキアカネの生活史と水田
アキアカネは日本のトンボの中でおそらく五本の指に入るほど普通に見られるトンボだと思います.これは,日本の水田に適応したことが原因であろうと,多くのトンボ研究者・研究家が考えています.それは次のような理由からです.
トンボが次の世代に命をつないでいく最も重要なイベントが産卵です.そしてどこに卵を置くかを決めているのがそのトンボのメスです.卵や幼虫(ヤゴ)は,メスが卵を置いた水域から移動できないわけですから,幼虫世代を過ごす水域はメスの成虫に決定権があるということになります.もっともアキアカネの場合はオスメスが連結して産卵を行いますので,どっちが主体的に場所決めをしているのか議論の余地はありますが,まれにメスが単独で産卵する場合でも,連結産卵するのと同じ場所で産卵していますから,メスが産卵場所を選択していると考えて差し支えないでしょう.
さてアキアカネの場合,メスが産卵に選ぶ典型的な場所は,泥があって水が浅くたまっているようなじゅくじゅくした場所です.この場所はその後水がなくなってある程度乾燥してもかまいませんが,産卵の時は必ず水分をたっぷり含む泥,あるいは水そのものを要求します.このような場所は稲刈りをし終わった後の水田に普通に出現します.例えば,機械で刈り取った後の轍(わだち)に周期的に降る秋の雨水がたまり,いつもじゅくじゅくしているような場所です.
写真4.秋に水がたまる水田(左),そういったところにやってきて打水産卵するペア(右).2010.10.17.,京都府.
写真5.ひこばえの稲穂に止まって交尾するアキアカネ(左),水田に産卵に入ってきたペア(右).2010.10.17.,京都府.
米(水稲)は日本人の主食ですから水田は日本中にあるわけで,アキアカネのメスは,水田にさえやってくれば,産卵場所を探すのに苦労はありません.
しかし,これだけでは,アキアカネが日本中に見られる普通種になれるとは限りません.産み落とされた卵,あるいはそれからかえった幼虫が,あと水田で最後まで成長できなければならないからです.これらはそこから逃げ出すことができないのですから.ところが,アキアカネは,人間の水田耕作の営みに見事に一致した生活史を送り,そのサイクルを見事に利用できる昆虫だったのです.次の図を見てください.この図の水田の管理のあり方は,地域によって,時期や方法に多少バリエーションがあるとは思いますが,だいたいはこういった順序でなされるものと思います.
図1.典型的な水田の管理とアキアカネの生活史の一致.
アキアカネは,ある程度乾燥に耐えられる卵で休眠して水田に水のない冬を越し,冬の終わりには休眠から目覚めて水が入るのを待ち,水が入ると一気に孵化し,その後水を絶やさない「浅水管理」の時期に幼虫期を終え,「中干し」される前に羽化して山間部へ移動してしまう.産卵は,稲刈り後のじゅくじゅくした水田で行う.(水田の管理については,山口(2001)を参照した.)
さて,アキアカネは卵で休眠して冬を越します.この時期裏作をしない水田は放置され表面が乾燥することもありますが,休眠している卵はある程度の乾燥には耐えますので,冬を生き延びることができます.そしてこの休眠は,飼育経験から見て,おそらく冬の真っ最中から終わりにかけての間に消去され,条件が整えばいつでも発育を再開できる状態になって,春を待っていると思われます.
春になり気温が上昇し,農家の方が粗起しした田に水を入れますと,待っていましたとばかりに卵が発生を再開します.一般に多くのアキアカネの卵は前年の秋に相当に発生が進んでいて,孵化するちょっと手前で休眠に入っています(Ando,1962:Fig.34.;上田,1993)ので,発生を再開した卵は非常に短期間で孵化をします.
写真6.アキアカネの幼虫と羽化.左:アキアカネの幼虫,兵庫県加西市産.2016.6.12. 右:羽化.兵庫県加東市産.2015.6.19..
続く幼虫の時期には水が欠かせませんが,農家の人が水田の水を絶やさないようにして稲を世話をしていますので,アキアカネにとっては干上がる心配もなく極楽のようなものです.水田は日差しが強く当たり,また浅いので,水温が高くなりがちです.アキアカネの幼虫はその高温を利用してどんどん成長し,「中干し」という水田の一時的水抜きまでには羽化してしまいます.
この時期自然界では梅雨の時期にあたります.水田耕作が始まる前には,梅雨の時期に水が存在するような低湿地に生活していた種なのかもしれません.雨季に幼虫期を同調させるという生活史戦略が,水田生活者としての前適応と考えられなくもありませんね.
写真7.水田でのアキアカネの羽化個体.左:メス,右:オス.兵庫県豊岡市.2016.6.26.
写真8.羽化したアキアカネはしばらくの間付近の草地で生活する.左:オス,兵庫県豊岡市.2015.6.29. 右:メス.兵庫県豊岡市.2016.6.26.
羽化した成虫はほんの少しの間羽化地にとどまっていますが,十分飛べるようになると山間部へ移動していきます.私が神戸市とその周辺で調べた結果によりますと,六甲山ではだいたい300m以上のところに分散しているようです.
写真9.夏を高原で過ごすアキアカネ.兵庫県香美町.2015.9.5.
下の図は,私自身のアキアカネの成虫の採集記録を,時期(日付)とその採集地点の標高でプロットしたグラフです.これを見ると,アキアカネの動きが手に取るように見えてきます.アキアカネが平地で見つかるのはだいたい7月の20日ころまでで,それ以後は平地で採れなくなっています.一方でそれ以後は300m以上の地点(すべて六甲山地)では採集数が多くなります.その後9月の下旬頃から平地でまた採れるようになってきますので,平地へ降りてきたことがうかがえます.またアキアカネは低地に降りずに高地でそのまま産卵を終える個体があると報告されていますが,一部それらしい個体もグラフ上に出ています(写真11も参照).
図2.アキアカネの移動を間接的に示すグラフ(神戸市とその周辺,六甲山地,データは青木所蔵)
アキアカネの採集記録を,日付と標高でプロットしたもの.夏の間は300m以下の地点でまったく採れていないことに注目.一方その時期は300m以上の地点で多数採れている.
さて,夏が終わりに近づき,涼しくなってくると,アキアカネは平地へ降りてきます.関東地方では大群で移動するのが観察されています(例えば新井,1982)が,私自身はその光景を見たことがありません.
平地で見かけるようになるのは,神戸市周辺では9月中旬を過ぎてからです.このころ水田はまだ稲が刈られていなくて,写真4のような場所はまだ出現していません.ですから産卵は,一部のため池などでは見られるものの,水田ではほとんど観察できません.本格的な産卵は10月に入ってからです.
写真10.アキアカネの産卵.2010.9.26.,兵庫県小野市.
午前10時を過ぎ,少し日差しが強く感じられるようになった頃,あちこちで連結して飛行したり交尾したりする姿を見かけるようになります.そうかと思うと,どこからともなく,連結したペアが水田の水たまりにやってきて,水面をたたくように産卵する連結打水産卵,あるいは泥の部分をたたくように産卵する連結打泥産卵を行います.ペアをよく観察しているとそれぞれに個性があるようで,あるペアは打水産卵ばかりを,別のペアは打泥産卵ばかりを行い,またあるペアは水際の泥とも水ともいえないような所ばかりを狙って腹部をたたきつけたりしています.私は,これは偶然ではなく,産卵行動の多型現象ではないかと考えていますが,証明はありません.
いずれにしても,こうやって,アキアカネは次の世代へ命をつないでいくことになります.
写真11.標高約800mの高原に残ってそのまま繁殖活動を行うアキアカネ個体群.左:産卵の湿地.右:産卵ペア.2012.10.20.,兵庫県養父市.
激減! 最普通種のアキアカネ
減少の原因は何?
ある種のトンボの減少を説明するのは容易なことではありません.自然の生態系は複雑で,様々な要因が人間の想像を超えた部分で関連しあっていることがほとんどだからです.ただアキアカネの場合,水田に入りこんで生活できたことが,最普通種といわれるほどに個体数をふやした一番の原因であると仮定するならば,その減少原因が何らかの水田耕作状況の変化によると考えるのは,間違った考え方にはならないでしょう.
かつては原因としていろいろなことが推察・議論されました.たとえば,イネの品種の変化や裏作との関係で耕作季節がシフトしたこと−田植が6月中旬まで行われないなど−とか,圃場整備が進んで秋の水田が乾燥化して産卵に適さない環境に変化したとか,いったことです.農薬というのはずっと以前から使われていて,その時代にアキアカネはたくさんいたわけですから,減少の原因としてはむしろ考えにくいといった事情もありました.
しかし21世紀になってから,その農薬に注目したいくつかの論文が発表されました(例えば,神宮字ら,2009;Jinguji & Ueda, 2015).イネは,その苗が育苗箱という小さな箱の中で育てられます.田植えは機械化されているので,それから取り出されたイネの苗束が機械にセットされて,植えつけられます.その育苗箱にセットするフィプロニルやイミダクロプニドといった農薬が,アキアカネの幼虫に対し高い殺傷力を持っているというのです(Jinguji & Ueda, 2015).『これらの農薬は浸透移行性を有し,箱苗処理が可能なため,薬剤処理の簡便化に加え,使用者の曝露リスクが低減されるなど多くの利点がある(早坂ら,2013)』ということで利用が広がったのだそうです.
こういった論文が提出されるようになってから,国立環境研究所は環境省の請負業務として,「平成26年度 農薬の環境影響調査業務 報告書」(国立環境研究所,2015)を公表しました.これは『現行の農薬登録保留基準(水産動植物)におけるリスク評価方法の検証を行うことで、現行の登録保留基準が抱える課題と今後すべき検討の方向性について整理をおこなうことを目的として業務を行った』ものですが,そのきっかけは上記をはじめとした各論文に示された内容がもとになっていることは本文を読めば明らかです.巻頭の報告書概要には『......以上の結果より,ネオニコチノイド系農薬等の残留とトンボ類減少の間に相関関係がある可能性が疑われた.今後,トンボの生息密度および多様性に関する定量的評価を進める必要がある』と,これらの薬剤が減少の原因であると断定はしていないものの,継続調査の必要性はあると書かれています.
ここではこれらの論文に掲載されている実験結果や,考察を紹介することはやめておきたいと思います.気になる方は,参考文献をお読みいただくのが一番でしょう.私自身がその農薬の影響を主張できる材料を持ち合わせていないのですから.しかし,私は,この指摘は間違っていないと感じています.それは,現在でも秋になるとアキアカネが乱舞し,電線に鈴なりになって止まり,その季節その時刻が来たら集団で産卵している場所があるからです.それは兵庫県コウノトリの郷公園周辺の水田です.
写真12.減農薬を地域ぐるみで行っているコウノトリの郷公園付近では,昔をほうふつとさせるアキアカネの鈴なり静止が見られる.2012.10.21.
コウノトリの郷公園付近では,生態系の頂点といってもよい位置にいるコウノトリを育成するために,生態系の復活がなされていると聞きます.そのために減農薬・無農薬の農法を営むことによって,図らずも(いや図っていたかもしれないが),アキアカネの増加がみられているのです.減農薬の中身はわかりませんが,生態系の復活のためには,水系生態系食物連鎖の出発点である微小な生物の復活が水田でなされねばならないはずで,これと相まってトンボへの直接的影響も緩和され,豊かなアキアカネ個体群を支えているのではないかと考えています.
写真13.最近兵庫県南部のアキアカネは出現が遅くなったように感じる.左:兵庫県芦屋浜.2012.10.27. 右:兵庫県小野市.2011.12.17.
最近は秋遅くまで,時にはお正月までも,トンボ成虫の観察に出かけるようになりました.それで気付いたのですが,神戸や播磨地方の平地では,11月を過ぎてから,アキアカネ成虫の姿を結構見かけるようになりました.今でも場所によっては9月下旬に産卵していますが,ポツンと止まっている「昔ながらの」アキアカネの姿恰好を,11月過ぎてから目にする頻度が高くなっているように感じるのです.
これが何によるものなのかはまだ推測の域を出ません.温暖化によって出現時期が遅くなったとかいう説明も可能かもしれませんし,単に分散に時間がかかっているだけということかもしれません.でもこれはこれから明らかにしていく課題でしょう.いずれにしても,最普通種故に謎が多いアキアカネ.興味が尽きない対象です.
参考文献
Ando, H., 1962. The comparative embryology of Odonata with special reference to a relic dragonfly Epiophlebia superstes Selys. The Japan Society for the Promotion of Science, Tokyo.
新井 裕,1982.埼玉県トンボ観察記.自刊.
上田哲行,1993.山へ上がるアキアカネ,上がらないアキアカネ.アキアカネの生活史における諸問題1.インセクタリウム,30:292-299.
上田哲行,1993.山へ上がるアキアカネ,上がらないアキアカネ.アキアカネの生活史における諸問題2.インセクタリウム,30:346-355.
上田哲行・石澤直也,1993.アキアカネのいる風景.アキアカネの生活史における諸問題3.インセクタリウム,30:390-397.
神宮字寛,上田哲行,五箇公一,日鷹一雅,松良俊明,2009.フィプロニルとイミダクロプリドを成分とする育苗箱施用殺虫剤がアキアカネの幼虫と羽化に及ぼす影響.農業農村工学会論文集, 259:35-41.
Jinguji H. & Ueda T., 2015. Can the use of more selective insecticides promote the conservation of Sympetrum frequens in Japanese rice paddy fields (Odonata: Libellulidae)?. Odonatologuca, 44(2):63-80.
杉村光俊・石田昇三・小島圭三・石田勝義・青木典司,1999.日本産トンボ幼虫・成虫大図鑑.北海道大学図書刊行会.札幌.
独立行政法人 国立環境研究所,2015.平成26年度環境省請負業務 平成26年度 農薬の環境影響調査業務 報告書.
早坂大亮,鈴木一隆,是永知子,諸岡(斎藤)歩希,野村拓志,深澤圭太,Francisco Sanchez Bayo,五箇公一,2013.イミダクロプリドおよびフィプロニルを有効成分とする育苗箱施用殺虫剤の連続施用がトンボ類幼虫の群集に及ぼす生態影響日本農薬学会誌 38(2):101-107.
山口裕文,2001.水田の四季と生き物.滋賀の田園の生き物,1-12..滋賀県農政水産部.