絶滅危惧T類 兵庫のヒヌマイトトンボ
日本で発見された最後のトンボの新種!?
オスの静止
写真1.ヨシ原の中で静止している成熟オス.中胸前側板に4つの緑の斑紋があるのが特徴.これで一目で本種と判別できる.2012.7.15.
 日本版レッドデータブックに載っているトンボ目の絶滅危惧種(T類,CR+EN)にはトンボが11種含まれていますが,兵庫県下にはそのうち,コバネアオイトトンボ,ベッコウトンボ,マダラナニワトンボ,オオキトンボ,そしてこのヒヌマイトトンボの5種が生息しています.これら以外のトンボは,小笠原に分布する3種,関東から東北にかけて分布する2種,広島県にのみ分布する1種であって,いずれも兵庫県はそれらの分布域に含まれていません.2016年時点では,兵庫県の絶滅危惧種T類のうち,ベッコウトンボは県内絶滅した可能性が高く,2006年の目撃を最後に記録が途絶えています.またマダラナニワトンボは現在唯一の確認生息地における個体数が激減しています.

 ヒヌマイトトンボは,1971年に茨城県の涸沼(ひぬま)で,廣瀬誠,小菅次男の両氏によって発見されその名前が付けられました.これを記載した朝比奈博士は,そのときに「最後の日本のトンボの新種(the last new dragonfly species from Japan)」という形容詞をつけました.つまりもうこれ以上は日本でトンボの新種は発見されないであろうと言う予測があったのだと思います.(現実には種の細分化が進んで,その後のいくつかの新種が記載されてはいます.)学名の hirosei というのは発見者の一人である廣瀬誠氏にちなんでつけられています.

オスとメス
左:写真2.ヒヌマイトトンボの未熟メス.未熟なメスは明るいオレンジ色をしておりよく目だつが.
右:写真3.ヒヌマイトトンボの成熟メス.ヨシの枯れ茎や枯れ葉などが浮かんでいるような環境に生息する.成熟するとくすんだ色になる.

絶滅危惧T類 兵庫のヒヌマイトトンボ
ヒヌマイトトンボの現状
 ヒヌマイトトンボは汽水域に棲むトンボとしては唯一のものであるとされ,典型的には,河口付近に広がるヨシの間にもぐり込んで生活しています.幼虫が多く生活している水域は一般的に若干塩分濃度が高いことが知られています.

 全国各地でアマチュアのトンボ研究者の間で熱心な調査が行われ,太平洋側を中心に,福島県から大阪府までにかけて,1980年代終わりまでに25カ所ぐらいで発見されました(朝比奈,1989).大阪の淀川河口にも生息が確認され,大阪自然史博物館などによって調査が行われました.発見が太平洋側に偏っていたため,分布にも特徴があるとされてきましたが,1989年に長崎県の対馬で発見され(井上・相浦,1989)それまでの考え方が大きく修正されなければならなくなりました.しかも,この時に,メスにオスと同じ斑紋を持つ個体が発見され,メスに多型があることが確認されました(Inoue, 1989).

 このような中,1992年の6月,兵庫県下でヒヌマイトトンボの生息地が,兵庫トンボ研究会の調査会で発見されました(二宗,1993).これは神戸新聞の1面でも報じられました(1993年3月14日).この兵庫県下の産地は,今までの多くの産地と異なり,本州で日本海側に面しているという点で新しいものでした.そしてその後この発見に刺激され,短期間に,京都府(山本・田端・八木,1992),福井県(藤本,1992)などの日本海側で産地が追加されました.

兵庫県のヒヌマイトトンボの産地.
写真4.兵庫県の産地の風景.左側に見えるヨシ原の中がヒヌマイトトンボの生息場所.
 1992年には,朝比奈博士が香港から送られてきたトンボ標本の中に,このヒヌマイトトンボが含まれていたことを報告し (Asahina, 1992),日本だけでなく海外にも産することが明らかにされました.ただ,この標品は若干日本産のものと異なると述べられています.そして最近の新産地記録としては,九州の大分県というのがあります.

 こう書いていくと全国に多くの産地があるように思われ,本当に絶滅危惧種であるのだろうかということが疑問になってくるかもしれません.しかし,本種の生息環境が,河口近くのヨシ原であるという特異性を考えると,そこは,開発の対象になりやすいこと,水質汚染の影響を受けることなど,いくつかの生存を脅かす要因があります.特に海岸近くの汽水域に広がる干潟状のヨシ原というものは,もっとも開発の対象となりやすい場所の一つです.全国の産地がいつまでも安定した状態で保たれるとは思われません.

 ヒヌマイトトンボの成虫は夏の暑い時期に,海岸近くのヨシ原というヒトが近づき難いところで活動しています.現に我々トンボ屋でも,あまりヒヌマイトトンボの調査は気乗りがしません.遠目に見ると,川にヨシが茂っているという景色の中に,絶滅に瀕している小さなトンボが一生懸命生きているのです.安易に,川岸に公園を作るためとかいうことで,ヨシを刈り取って修景し,ヒトにとって快適な空間を作ったとしたら,それで,彼らは滅んでしまいます.あとで気がついてヨシを植え直してももはや手遅れです.知らぬ間に身の回りの生き物たちが姿を消していく,このことを我々が放任していると,きっとそう遠くない未来には,それが何らかの形で我々に返ってこないとも限りません.

幼虫と食べられるヒヌマイトトンボ
左:写真5.ヒヌマイトトンボとアジアイトトンボの交尾.この産地では,アジアイトトンボが入り込んでいて,産卵などもしている.
右:写真8.ヒヌマイトトンボを捕食するアオモンイトトンボのオス.ヒヌマイトトンボの生息環境にはほとんど他のトンボは入り込まないが,アオモンイトトンボだけはそこそこの数生活している.大きさで優位を誇るアオモンイトトンボが,このようにヒヌマイトトンボを食する光景はよく目にされる.

絶滅危惧T類 兵庫のヒヌマイトトンボ
兵庫県のヒヌマイトトンボの生態
集団で眠るヒヌマイトトンボ
写真6.ヒヌマイトトンボの集団睡眠
♂♀混じって寝ている

 さて,ヒヌマイトトンボはの生態はだいたい次のように考えられています.出現期は5月下旬頃から9月下旬ころまでとされ,兵庫県の産地でもほぼ同様です.6月の下旬頃が最も個体数が多く,この時期には羽化,未熟個体,成熟個体,繁殖活動のすべてが観察できます.

 交尾は午前中に見られることが多く特に早朝に多いように思われます.産卵は雌が単独で,ヨシの枯れ茎が水面に浮かんだようなところに植物組織内産卵をします.午後は適当に休息したり摂食したりしています.

 1996年の兵庫トンボ研究会の夜間調査では,ヒヌマイトトンボの寝ている姿がとらえられました.このトンボは写真6のように,雄雌入り混じった集団で寝ています.このことの意義については不明ですが,早朝に雄が雌を見つけて交尾する習性があることから,雄が朝一番に雌を捕まえるためにこのような戦略をとっているのかもしれません.もちろんこれは単なる推測です.夜間寝ているトンボは,このヒヌマイトトンボも同様に,簡単に手で捕まえることができます.

交尾
写真7.ヒヌマイトトンボの交尾.
    左:ヨシ原の中の暗いところで交尾するカップル.
    右:少しオレンジ色の残る個体と交尾している.オレンジ色の個体は未熟とされるが,成熟している個体もあるようだ.
 兵庫県のこの生息地には,1996年の調査で,一万頭のオーダーの成虫個体数がいることが判明しました.数は非常に多いように感じますが,小さな昆虫の場合,これはそれほどびっくりするほどではありません.逆に言えば,捕食を受けたりして,その多くは自然の栄養サイクルの中に取り込まれ,実際産卵に至るまでの個体はそのうちわずかなものでしょう.またこれくらいの個体数がいないと健全な個体群とはいえません.この地の個体群を生息環境ごと保存していってもらいたいものです.

幼虫
写真8.ヒヌマイトトンボの幼虫.左:スタジオ写真.右:生態写真.翅芽が膨らみ羽化の近い幼虫が,水面から上をのぞき見ている.2012.7.15.
 なお本種に関して興味深いことは,井上(1993)が,本種は非常に原始的な特徴を有しており,これが他のトンボがほとんど棲息できないような環境に生き延びていることを指摘している点でしょう.こういう特殊な環境でないと,このような原始的な種は生き延びることができないのかもしれません.


参考文献
Asahina, S., 1972. Mortonagrion Hirosei, the last new dragonfly species from Japan?. Kontyu 40:(1):11-16.
朝比奈正二郎,1989.絶滅の恐れのある日本産蜻蛉類の撰出について.Tombo,32(1/4):45-46.
Asahina, S., 1992. Mortonagrion hirosei discovered from Hong Kong. Tombo 35(1/4):10.
浜田康・井上清,1985.日本産トンボ大図鑑.講談社.東京.
Inoue, K., 1989. Discovery and descriotion of andromorphic females of Mortonagrion hirosei. Tombo 32(1/4):41-42.
井上清・相浦正信,1989.対馬のトンボ分布記録(第2報),Tombo 32(1/4):43-45.
井上清,1993.ヒヌマイトトンボの分布について.Sympetrum Hyogo 1:8-9
二宗誠治,1993.兵庫県北部地方のヒヌマイトトンボ.Sympetrum Hyogo 1:4-7.
二宗誠治,1997.兵庫トンボ研究会調査会記録 1996年 第2回.Sympetrum Hyogo 4:18-24.
藤本勝行,1992.ヒヌマイトトンボ福井県下で発見.Gracile 48:14.
山本哲央・田端修・八木孝彦,1992.京都府北部の調査で得られたヒヌマイトトンボ.Gracile 48:12-13.