絶滅危惧Ⅰ類,消えた神戸のベッコウトンボ
消えた神戸のベッコウトンボ
写真1.ベッコウトンボの羽化.1993.4.神戸市.
神戸市のベッコウトンボは1991年春に発見されました.私はその連絡を受けて幼虫を探しに入り,1992年2月6日に幼虫で確認しました.その春には多数の成虫が群れ飛び,本当に我が目を疑いました.発見場所の池は,ベッコウトンボ以外にも,フタスジサナエ,オグマサナエ,ヨツボシトンボ,アオヤンマなどが乱れ飛び,季節が進むと,ベニイトトンボ,コバネアオイトトンボなど,今ではほとんど見られなくなったトンボたちが無数に飛んでいました.神戸市にまだこんなところが残っていたのかと本当に驚きでした.
写真2.生息地は,樋が壊れたため,30年以上も放置されていたという池.1992年冬.神戸市.
写真3.成熟オス.神戸の生息地の池は底が見えるくらい水がきれいであった(左).1993年.神戸市.
しかし残念なことに,1994年の初夏から始まった記録的な大干ばつで,農業用水として蓄えられていた生息地の池の水が,サイフォンで吸い出されてしまいました.写真4右にあるように,ヨシの茎の色が変わっているところから見て,約1mは水位が低下したと思われます.この写真を撮った9月3日に泥をすくって幼虫の生息状況を調べてみました.神戸市環境局を通じて(ベッコウトンボ保全に関する研究会),環境省に調査許可を得ての捕獲調査です.ベッコウトンボをはじめ(写真5),トラフトンボ,フタスジサナエ,コシアキトンボ,モノサシトンボ,ショウジョウトンボなどが見いだされましたが,すでにかなり打撃を受けているように感じられました.もちろん確認後は放虫しました.この程度の干ばつにはある程度耐えるようです.その後,若干の水位の上下はありましたが,結局ほとんど水のない状態で冬を越しました.越冬中に幼虫の調査を行いました.
写真4.干ばつで水が吸い出された生息地.左は全景,右はヨシの生えていたあたりの拡大写真.1994.9.3.
写真5.干ばつでも幼虫は生き延びていた.左:幼虫が潜っていた環境.右:採集された幼虫.(環境省から許可を得て調査.撮影後放虫).1994.9.3.
ところが,この水位の低下している間に,池のトンボ群集は大きく変化してしまいました.私は,兵庫県南部地震をはさんで,1994年12月,1995年3月と泥と格闘して幼虫を調べましたが,なんと,池はシオカラトンボとフタスジサナエだけといってよい状態になっていました.もちろんベッコウトンボは見つかりませんでした.1994年夏の水位の低下で水際線が勾配の緩い泥状になり,シオカラトンボが好む環境となったせいかもしれません.
1995年の5月に大雨が降り,池が満水になりました.その後,ベッコウトンボのオス成虫が数頭目撃されています.あの水位低下を生きのびた個体がいたのです.ところが1995年1月17日の兵庫県南部地震でこの池の余水吐けにひび割れができていたため,1995年秋に復旧工事が始まりました.それまでこの池に入るには,細い道を,笹をかき分け入ってこなければなりませんでしたが,車が通れる道が池のすぐ横に整備されました.池は水が抜かれ,わずかに残っていた水面も乾燥して,その冬を越しました.翌年の梅雨の終わりに水位は元通りに回復し,私は幼虫調査を行いましたが,ウスバキトンボばかりが採れ,まったく新しくできた池の様相を呈していました.そしてその後,神戸では,現在までベッコウトンボの目撃情報は絶えたままになっています.
写真6.2006年時点でのベッコウトンボの生息地の状況.復活計画もあって予算もついたが,もはや池としては再生できない状況.
絶滅危惧Ⅰ類,消えた神戸のベッコウトンボ
全国的な生息状況...
ベッコウトンボは宮城県から鹿児島県までの記録があります.が,本州では,山口県を除いてほぼ絶滅に近い状態にあります.静岡県の桶ヶ谷沼では,増殖事業によって何とか個体群が持ちこたえている状況ですし,愛知県は2004年に再発見があったものの,その後の発見はありません.2015年時点では,九州に複数の産地(福岡県,大分県,鹿児島県)が残されています.九州には個体数が多い産地もありますが(写真7左),これらの産地でも減少傾向が続いていて,予断は許しません.
写真7.左:九州の生息地の一つ.右:かつてはベッコウトンボが見られた自衛隊青野ヶ原演習場の池.
兵庫県では,1960から70年代には播磨地方の各地,小野市,加西市,加東市,高砂市,加古川市などに記録がありました(関西トンボ談話会,1977).また1974年兵庫県自然課発行の「兵庫県の自然の現状Ⅱ」には,県下に十数カ所の生息地が報告されています(相坂,1988).これらのベッコウトンボは,1970~80年代にかけて著しく減少していったようです.小野市と加西市の境に青野原の自衛隊演習場があって,ここにもかつては生息していましたが,このような人の手の入らない所でも1970年代に完全に姿を消したといわれています(写真7右).
1990年代に入ったときには,小野市,神戸市,加西市などに生き残った個体群がありました.このうち,神戸市の個体群は1995年を最後に,小野市の個体群は1996年を最後に(二宗,2005)絶滅,その後も生き残った加西市には2か所ほど生息地があって,21世紀を迎えました.2001年に兵庫トンボ研究会で調査を行い,この2つの池で多数の目撃がなされています(二宗,2005;写真11).同じ年にはこの池から10kmほど離れた,加古川市と小野市(写真8左)の2か所で,筆者によってそれぞれ各1頭のオスが発見されています(青木,2005).しかし,2003年に加西市の一つの池で,ベッコウトンボとヨツボシトンボの交雑個体が発見され(森岡ら,2008),このころから急激に個体数が減少しました.その後も兵庫トンボ研究会を中心に精力的に調査が繰り返されましたが,2006年5月21日の加東市における1頭の目撃(筆者未公表記録)を最後に,以後目撃情報は途絶えました.2001年以後観察された,加西市から離れたこれら単独個体の記録は,ベッコウトンボが新しい生息地を探して分散していった可能性を示唆します.
写真8.左:加西市の最後の生息地から10kmほど離れた場所で見つけたベッコウトンボ♂.2001.5.5. 右:京都府の深泥池.2009.5.9.
京都府の代表的なトンボの生息地,深泥池(写真8右)でも1960年代までは毎年ベッコウトンボが多数観察されていました.しかし1971年に例年になく多数発生したのを最後にまったく姿を消し,その後全然発見されていません.ベッコウトンボのこの池での主な生息場所は池北西側のヨシ帯であって,この地域の汚染・富栄養化が最も著しく(深泥池団体研究グループ,1976)絶滅してしまったと考えられています(上田・岩崎・山本,1981).
高知県では1934年に発見され,以後何箇所かで記録が発表されました.しかしこれも1985年を境に姿を消したとされています(浜田,1991).種の保存法による指定の前までは,中村市にあるトンボ王国で移植実験を行っていましたが,残念ながら成功しませんでした.
このように,1970年代以降多くの生息地が失われてきており,今日に至っては衰亡の最も目立つ種類である(朝比奈,1989)といわれています.
絶滅危惧Ⅰ類,消えた神戸のベッコウトンボ
一般的生息環境...
図鑑などによると,一般的には平地・丘陵地の挺水植物の多い池沼に生息し,現在では古い池沼であることが多い,と記されています.幼虫は,水深の浅い,挺水植物が疎らに生えているところで生活しています.成虫は,生息水域から数十~数百メートル程度のところにある草地や樹林で未熟期を過ごすので,必ず付近にそのような草地や林があります.またここは成熟してからのねぐらにもなります.
写真9.神戸の生息地の環境.1993年.神戸市.
多くの生息地で絶滅してきていますが,その原因についての決定的な要因は見いだされていません.水質汚染や化学薬品にはかなり敏感であると考えられています.高知県中村市のトンボ王国の例をみても,移植・定着もかなり困難な種であるようです.しかし,桶ヶ谷沼では,人工飼育容器に産卵に来るといい,条件を整えれば,そういった保護増殖も可能なようです.また時々,できて1,2年という池で大発生したという報告が出たりもしています.
植生の変化に敏感で,水生植物が生えすぎても姿を消すといわれています.池の浅い部分に適当な開水面があり,植物が水面を埋め尽くさないような条件が必要なようです.植物としては,抽水植物のヨシ,ガマ,マコモなどのやや背が高い植物が生えている所に見られます.ヒトの活動により人為的に植生が刈り取られているような所に定着している例が多いようです.
絶滅危惧Ⅰ類,消えた神戸のベッコウトンボ
生活史...
写真10.ベッコウトンボの羽化直後の個体.オス(左)とメス(右).1993年.神戸市.
一年一世代型と考えられています.羽化は4月の中旬に始まり,それ以後6月下旬にかけて成虫が飛んでいるのが見られます.5月上旬のいわゆるゴールデンウィークあたりが最盛期になります.ですから夏には見られません.
羽化した成虫はすぐ近くの草原や林で前成熟期を過ごします.草原では自分によく似た色の枯草の中にもぐり込んで止まっていることが多く,林では高さ1~2mの木の枝などに静止していることが多いといわれていますが,神戸市ではあまりこのような例はありません.1~2週間で成熟し水域に戻ります.
写真11.左:オスは成熟すると褐色から黒っぽくなる.2001.5.4.右:草原で休む未熟なメスのベッコウトンボ.2001.4.22. いずれも加西市.
メスは一生ほとんど体色は変わりません.オスははじめ枯れ草色をしていますが,やがて体が徐々に黒く色づいてきます.そして成熟すると,オスは植物に止まって縄張りを持つようになります.ときどき敏捷に飛び回っては付近をパトロールします.そのとき,ホバリングをして空中でじっとしていることが多いようです.メスを見つけると直ちに補足し交尾をします.交尾は一般的には飛びながら,十数秒であっけなく終わってしまいます.その後すぐにメスは単独で,浅い部分の,挺水植物の間にある開水面に打水産卵をします.
卵は早いものは10日余りで孵化し,その後幼虫が夏から秋にかけて成長し,通常は終齢幼虫で越冬します.そして次の年に新しい世代が羽化することになります.
参考文献
青木典司,1997.ベッコウトンボ発生池における個体数激減の過程と考察.昆虫と自然, 32(7):37-41.
青木典司,2004.絶滅の危機にあるトンボ.なぜ減るのか?.兵庫県の生き物たち, 154-157. 神戸新聞総合出版センター.
青木典司,2005.兵庫県下の注目すべき種の記録.Sympetrum Hyogo (9):15-17.
朝比奈正二郎,1989.絶滅の恐れのある日本産蜻蛉類の撰出について.Tombo,32(1/4):45-46.
相坂耕作,1988.播磨の昆虫.神戸新聞総合出版センター,221pp:91-92.
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井上 清・相浦正信,1989.対馬のトンボ分布記録(第2報).Tombo,32(1/4):43-45.
上田哲行・岩崎正道・山本哲央,1981.深泥池のトンボ相の現状と特徴.深泥池の自然と人,深泥池学術調査報告書,京都市文化環境局:250-256.
関西トンボ談話会,1984.近畿のトンボ.関西トンボ談話会編.170pp.
津田 滋,1989.大阪府のトンボ相.昆虫と自然 24(5):17ー20
二宗誠治,2005.兵庫トンボ研究会調査会報告2001年第1回(ベッコウトンボ).Sympetrum Hyogo (9):30-34.
浜田 康,1991.土佐のトンボ.高知新聞社,183pp:134ー135.
藤本勝行,1991.滋賀県におけるトンボの新知見.Aeschna,25:22-24.
森岡康之・森岡賢史,2005.ベッコウトンボとヨツボシトンボの自然交雑個体を採集.Sympetrum Hyogo (10):15-17.